日本人オーナーらが挑んだタイ4部パントンFCの軌跡
近年、国内の強豪がACLで決勝トーナメント進出を果たすなど目覚ましい進歩を遂げているタイサッカー。選手はもちろん、今年からタイ代表を率いる西野朗監督ら指導者にとっても挑戦の舞台となっているかの地で、現地クラブのオーナーとなった日本人がいる。
「世界で活躍できる選手を育成できるかもしれない」
そんな想いを胸に身を投じたオーナーとしてのチャレンジ。しかし、彼が“微笑みの国”で見ているのは甘美な夢ではなく、厳しい現実だった。
タイ在住のサッカーライター・長沢正博氏が、現地で出会った日本人オーナーの挑戦を振り返る。
タイリーグのチームのオーナーには、個性的な人物が多い。
元日本代表MF細貝萌も所属する強豪ブリーラム・ユナイテッドのオーナー、ネウィン・チットチョープ氏はかつて首相府相を務めた元大物政治家にして、今も政界に影響力を持つとされる。そのブリーラムと優勝を争うチェンライ・ユナイテッドのミティ・ティヤパイラット氏は、タイで今年3月に行われた総選挙に出馬(その後、党は解党処分)した関係で表向きは会長の肩書を妹に譲ったが、実情はオーナーのまま。彼も父親が昔、下院議長を務めるなど、タイ北部の有力者の一族である。
監督と並んでベンチに入り、時には円陣で檄を飛ばし、試合中は選手に指示を出す。メディアへの露出すらも監督以上なのだ。
そんな彼らとは対照的な姿を見せていたオーナーがいる。パントンFCの中田祐樹氏だ。
同氏と知り合ったのは、8月末のタイリーグ4部東部地区、パントンFC対プルックデーン・ユナイテッドでのこと。今季ホーム最終戦だというのに、スタンドに集まったのは数えられるほどの観客だけ。試合はパントンFCが2点を先行するも、終了間際のプレーで追いつかれてリーグ戦3勝目を逃す結果となった。もし試合後に紹介されなければ、スタジアムの外で出店の片づけを手伝い、チームの用具を車に積み込んでいた人物が、同クラブを所有する中田氏とは気づかなかっただろう。同氏は不動産コンサルティング事業などを手がける日本企業のタイ法人、ステイジアキャピタルタイランドの代表を務めている。
参入戦敗退後に決まったチームの買収
中田氏がパントンFCを買収したのは昨年12月に遡る。ただ、最初から買収ありきで動いていたわけではない。
きっかけとなったのは、タイリーグのパタヤ・ユナイテッド(現サムット・プラカーンシティFC)のアカデミーダイレクターとして、2017年からチョンブリ県のサッカー強豪校アサンプション大学付属シーラチャー校で指導していた小野啓希監督の存在。同校を卒業した選手たちがプレーできるチームを作りたいと考え、同じくシーラチャーにオフィスを構えていた中田氏に協力を持ちかけたことからスタートした。不動産ビジネスに長年携わってきた同氏は「日本人とタイ人の街シーラチャーに国籍を越えて応援できるチームがあったら面白い。そこから世界で活躍できる選手が育成できるかもしれない。自分に手伝えることがあれば」と賛同。それが2018年初頭のことだった。
首都バンコクから車で東へ1時間超のチョンブリ県には、自動車産業などの日本企業が多数進出しており、県内に位置するシーラチャーにはそうした企業で働く日本人が多く住んでいる。日本人学校があり、在住日本人向けのビジネスも盛んな地域。ここで日本人が指揮を執るプロサッカーチームが生まれれば、日本企業が応援してくれるかもしれない――中田氏はその可能性を見込んで事業計画書を作り、知り合いの企業にも「サッカーチームができたらぜひスポンサーに」と提案してみた。だが、現実はそう甘くない。返ってきたのは「チームができたらまた来てください」という反応だった。確かに「まだ影も形もないチームのスポンサーに」と言われても、相手からすれば雲をつかむような話だったかもしれない。
ここでいったん、タイのプロリーグ構成を確認したい。ブリーラムらが所属するトップリーグ、タイリーグ1(T1/16チーム)を頂点とし、2部のタイリーグ2(T2/18チーム)、南北に分けて行われる3部のタイリーグ3(T3/14チーム×2)、そして全土を6つの地区に分割した4部のタイリーグ4(T4/7~13チーム×6:計60チーム)が存在する。T4の下では、タイランド・アマチュア・リーグ(TA)というT4への昇格を目指す大会が行われている。
つまり、新たにプロサッカーチームとなるにはTAを勝ち抜いてT4に参入する必要がある。そこで、小野監督らは昨年9月から10月にかけて開催されたTAにアサンプション大学付属シーラチャー校のメンバー主体で臨んだ。しかし、後にT4への切符を手にするコークワンFCと初戦でぶつかり、2-1で敗退。その先のステージへ進む前に姿を消してしまった。
彼らに残された道は2つだった。翌年またTAに挑戦するか、もしくは既存のプロクラブを買収するか。T4のチームを買収するには300~400万バーツ(約1050~1400万円)が相場という話だったが、「買えるチームを探したけれど、話が持ち上がっては消える状態だった。買うのも難しそうだと言っていた時に、買えるという話になった」(中田氏)。そこで買収したチームが、2018年は活動を休止し今年からT4に復帰することになっていたパントンFCだった。ようやく話がまとまった頃にはすでに年末が迫っていた。
手探りのままチーム運営がスタート
無事にT4のチームを買収できたのはいいが、2月にはリーグ戦が開幕するため、年が明けた1月からさっそく選手の登録をスタートしなければならない。そしてもちろん、登録の前に選手と契約する必要がある。アサンプション大学付属シーラチャー校のメンバーに、急ぎ外部からテストして選考した選手を加え、突貫工事でチームを作っていった。契約した以上は給料を払わなければならないが、与えられた時間はあまりにも短く十分なスポンサーもまだ見込めていない段階でチームは動かざるを得なかった。
余談だが、タイでは選手への給与未払い、遅配は珍しい話ではない。元ヴィッセル神戸のDF北本久仁衛が今年2月に加入したT3のシモークFCは、開幕当初から給与未払いが明らかになり、最終的にチームに資格停止処分が下され活動停止に陥ってしまった。
話を戻そう。パントンFCが参加するT4には『21歳以下のタイ人選手を2人、23歳以下のタイ人選手を1人以上先発させなければならない』という規定がある。迎えた2月9日の開幕戦ではアウェイでパタヤ・ディスカバリー・ユナイテッドと対戦。その規定を加味しても、2000年生まれが7人登録されているパントンFCのメンバー表には、U-21の表記がある選手が先発に6人、控えに3人。U-23の表記がある選手が先発に2人、控えに4人。一方の相手は先発にU-21が2人、U-23が2人。控えにU-21が2人と、年齢構成に大きな違いがあった。
その開幕戦をパントンFCは0-6で落としてしまう。先発出場した日本人MF渡部大河選手は「ビザや国際移籍証明書の問題で外国人選手が出れなかったり、自分の加入が決まった段階ではアサンプションの選手はまだ卒業していなくて、全員で一緒に練習する機会が少なかった」と連係不足を悔やんでいた。
中田氏はサッカー経験こそあったが、クラブの運営経験はない。チームで雇ったスタッフのタイ人女性ももちろん未経験。試合運営も手探りの状態でスタートした。開幕戦で着用するユニフォームができあがったのは当日。工場から直接会場へ持ち込み、着いたのはキックオフ数時間前だったという。ホーム開幕戦のチケットも、「初戦の相手のチケットを真似して作った」だけだった。Jリーグなど国外リーグも参考にして固い紙のチケットを用意したが、印刷代だけでチケット価格の半分近くを占めてしまったため、次戦以降は家庭用のプリンターで印刷。はさみで切りながらチケットを自作することになった。
遠い勝ち星、ピッチの内外で続いた苦戦
8チームで行われたT4の東部地区は、ホーム&アウェイを2回繰り返して計28試合を戦う。パントンFCは第5節で初勝利を挙げるも、第22節まで次の勝ち星がお預けとなるなど、ピッチの中でも苦しんだ。渡部選手は「若くて足下の技術の高い選手が多い」とチームを評価しながらも、 経験・決定力の欠如を指摘していた。
「ただ、全体的に若い選手の経験不足は否めなかったです。後期に入って経験のある選手たちが加入して成績は前期よりは良くなったのですが、勝ち切れない理由としてはゴールゲッターがいなかったことが大きな要因だと思います」
経験不足はチーム内の雰囲気にも表れていた。前期にはキャプテンも任された渡部選手は「まずチームに足りなかったのはコミュニケーション」だと見抜き、 「年上に遠慮したりして黙る選手が多かったので試合中も積極的に話しかけた」が、そこには“文化の壁”もあった。一般的にタイでは年下が年上を敬ったり、遠慮したりする傾向が強い。これはサッカーにも当てはまり、タイ代表の西野朗監督も「先輩を敬うというか、自分を押し殺して先輩を、という感覚を感じます。それでは駄目。自分をどんどん出さないと、チャンスはあるようでないということも伝えている」と以前会見の場で語っていたくらいだ。
では、同じく“年功序列”の文化がある日本と何が違うのだろうか? 渡部選手は「(そういった傾向は)日本よりも強い」と答える。
「特に今まで同世代とずっとやってきた選手ばかりなので、年の離れた選手とサッカーする経験もなく、対等な立場で言われていたことも上から言われるようになる。 ピッチの中に入ったら年齢は関係なく言われるし、もっと自分から言ってもいいということがわからない選手が多かったです」
ピッチ外でも苦戦は続く。スポンサーを獲得しようと営業に回っても、周囲との温度差を感じ中田氏は戸惑っていた。
「もともと、スポンサーも集めないと経営は厳しい。ある程度、みんなに応援してもらえるんじゃないか、という前提だった。いざスタートをしてみると、『プロサッカーチームなんだ、すごいね』という反応止まりだった」
会場の都合により、シーラチャーの街から約1時間離れた会場でホーム試合を行わなければならなったことも影響していたのかもしれない。ただ、変更するにしても、T4の規定を満たさなければならず、おいそれとは変えられなかった。
「ここからプロサッカー選手が育ち、ゆくゆくは代表まで上り詰めたり、海外でプレーする選手が生まれてくれれば」
そんな理想も大きなうねりを巻き起こすには至っていない。中田氏は「会場をシーラチャーに用意できなかったことやチームの結果が出なかったこと、私の伝え方も悪かったもしれない」と自省するが、限られた人員での運営に加え、同氏は普段の業務も抱えている。自ずと限界はあっただろう。
パントンFCの未来はどこに…
結果として、パントンFCは東部地区で7位に勝ち点12差をつけられた8位の最下位でリーグ戦を終えた。これまでの規定なら来季はTAからの再スタートとなるが、実際のところは不透明。中田氏によれば、降格や一昨年のパントンFCのような活動休止の他に、プレーオフや残留の可能性まであるという。
「協会に近しいチーム関係者が話し合っているという噂で、何が本当かわからないです。スタッフが聞いている話なので、希望的観測も含むのかもしれないですけど、残留の可能性が一番高い」
というのも、T4は各地区でチーム数にばらつきがあるからだ。例えば、南部地区が7チームしかない一方、バンコク首都圏地区は13チームと差は2倍近く。8チームの東部地区からも上位2チームが他地区との昇格プレーオフに出場しており、『ただでさえ少ないチーム数が減るくらいなら残留させよう』という判断があってもおかしくはないのだ。
しかし、仮に残留できたとしても、中田氏は「社長に加えて、営業部長や経理部長、大道具係、購買部長もやって」チームを支える現状の体制に限界を感じている。さらに追い討ちをかけているのは資金面だ。 タイはトップリーグでもスポンサー料や入場料などだけでは足りず、有力者のオーナーや母体企業の援助によってチームが成り立っている。例え下部リーグであっても、同氏のような一企業人が個人として支えるには無理があっただろう。
「所属した選手の中から将来、タイ代表や世界で活躍できる選手を育成したいという気持ちは変わらない。ただ、来季も一人で支えていくのは難しい。誰かこの夢に賛同してくれる方がいらっしゃれば」
アサンプション大学付属シーラチャー校を今年卒業してパントンFCに加入し、今季25試合に出場したDFナッタポンは「初めてプロサッカー選手になることができて、とてもうれしかったです。いつかはタイ代表に選ばれたい」と話す。 来季に向けてチームの売却もしくは運営の委託を検討しているパントンFCだが、その挑戦が多くのタイ人選手に夢と希望を与えたことは間違いない。一人でも多く未来のタイ代表が挑戦の舞台に立つためにも、もし読者の中に関心がある人がいれば、公式サイトまで連絡してほしい。
Photos: Phanthong FC
Profile
長沢 正博
1981年東京生まれ。大学時代、毎日新聞で学生記者を経験し、卒業後、ウェブ制作会社勤務などを経てフリーライターに。2012年からタイ・バンコク在住。日本語誌の編集に携わる傍ら、週末は主にサッカー観戦に費やしている。