【広州富力アカデミー改革(後編)】僕達が中国に呼ばれている理由――喜熨斗勝史インタビュー
16名の日本人スタッフが採用され、日中融合で独自の育成改革を行う広州富力。その中心にいるのが喜熨斗勝史氏だ。ベルマーレ平塚、セレッソ大阪、浦和レッズ、大宮アルディージャ、横浜FC、名古屋グランパスと、Jリーグクラブのコーチやフィジカルコーチを歴任し、長年、三浦知良選手のパーソナルコーチも務めている。喜熨斗氏はなぜ中国に渡ったのか。本人に話を聞いた。
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中国流を日本人の手助けで創る
――広州富力で働き始めたのは、名古屋グランパス時代にコーチングスタッフとして一緒に働いていたストイコビッチ監督に誘われたことがきっかけだとお聞きしました。
「そうですね。彼は『お前は俺の右腕だから』と言ってくれるのですが、右腕というよりは孫の手です(笑)。(ストイコビッチ監督が)手の届かないことを全部やる、副操縦士のような役割で働いています」
――ストイコビッチ監督との信頼関係はあるものの、中国で働くことに対する不安もあったと思います。
「当時、グランパスからも非公式ながら契約延長のオファーがあったので、それを断ってまで(広州富力に)行く価値があるかは非常に迷いました。中国からのオファー自体は納得のいくもでしたが、契約がちゃんと履行されるかどうかの不安もありました。ただ、最終的に決断したのはストイコビッチ監督との関係だけではないです」
――それは何でしょうか?
「僕は1995年頃からJリーグのコーチを経験していますが、現在の中国は当時のJリーグと似ています。ドゥンガやエムボマ、もちろんストイコビッチ監督のようなトップレベルの選手と毎節対峙して、攻略法を考えなければなりません。そういう環境で戦えることは、コーチとして何よりも自分を高められる。今のJリーグが悪いという訳ではないですよ。ただ、中国では相手チームの選手にパウリーニョ(広州恒大)、ラベッシ(河北華夏)、カラスコ(大連一方)などがいて、監督にはザッケローニ(北京国安/2017年よりUAE監督)やビラスボアス(上海上港/2019年よりマルセイユ監督)、カンナバーロ(広州恒大)など一流ばかり。この環境に挑戦できる日本人は僕だけと思ったら価値はあるなと」
――ストイコビッチ監督からの要求も高いものになりそうですね。
「一言で表すならば彼は“オーセンティック”。本物志向の監督です。毎日の練習をコントロールするのにも緊張感が走ります。世界のトップを見据えている。そういうスタンスで選手やスタッフに接することで惹きつけることができるんだと思います」
――クラブのレベルアップは一朝一夕で達成できるものではありません。ストイコビッチ監督の登用の他に、広州富力はアカデミーの責任者として喜熨斗さんを抜擢し、スタッフは日本人を16人も採用するなど独特のアプローチをされています。
「私が意識しているのは日本流をそっくりそのまま中国に持ち込まないこと。中国流を日本人の手助けで創るというスタンスですね。そこを明確に伝えたことでクラブから信頼を得た部分もあります。アカデミーは将来的に全員中国人スタッフで構成されていることが理想です。今、日本人スタッフで行っているのは基礎作り。アジアの中でも日本は育成に成功した実績があるので、そのノウハウを伝えている最中ですね」
――同クラブで働く菊原志郎さんはピッチ上で結果を出すことと同等、もしくはそれ以上に「人間的成長」も意識していると話されていました。中国ではそうしたアプローチは理解されるのでしょうか?
「中国ではポテンシャルが高い子はサッカーに集中させて、勉強をさせないケースが多々あります。そうなるとプロになれなかった子達はどうなると思いますか? もしかしたら悪い道に進んでしまうかもしれない。だから、僕達は(アカデミーの選手達を)学校に行かせて勉強もさせる。クラブの方針として良い成績を取らなければ試合にも出さない。広州は都会で富裕層も多い。だから、教育にも熱心な方が多く、我々の方針にも賛同いただけています」
――広州は、身体的に小さい子が多く、フィジカル勝負ができないので、日本人が得意とする技術や協調性の指導を重視しているとか。
「それもあります。ただ、僕達がアカデミーで選抜しているのは将来的に180㎝以上になるポテンシャルを持った選手ばかりですけどね(笑)。確かに広州の子は全体的に小さいですが、プロになるためには、やはりある程度のフィジカルは必要です。特にセンターバックやフォワードの選手にはある程度の大きさとパワーを求めます。その上で我々は技術や協調性を指導することで大人になっても世界で通用する選手を育成する。パワーでサッカーさせちゃうクラブが多い中でそこは違いを生み出せると思っています」
――アカデミー年代で広州富力は結果を残しています。ただ、アカデミーにはトップチームでも通用する選手の輩出も求められます。その点の進捗はいかがでしょうか?
「育成の結果はすぐに出るものではないです。例えば、中村俊輔選手。マリノスのユースに昇格できなかったけども最終的にはスター選手ですよね。その逆のパターンもあります。だから、育成年代のKPIの設定は難しい。ただ、言えるのは勝つことを目指す。ただ、勝利に固執するのではなくどのように勝つか。どんな内容で負けたか。それを評価しています」
――『どのように勝つか』の部分で、いわゆる「自分達のサッカー」は広州富力ではどのように定義されていますか?
「色んなタイプの相手や監督に対応できるサッカーです。例えば、相手が前がかりにくるならカウンターを選択するなど、自分達で判断できる選手を育てたいですね。そのために様々な場を設定していく。場数を増やしてフィードバックして、ゲームとトレーニングの繰り返しています」
――そうした指導を行う日本人スタッフは多様な顔ぶれです。喜熨斗さんがスカウトされているのですか?
「そうです。人選にはあえて多様性を持たせています。色んなタイプのコーチにいて欲しい。ただし、クラブが定めたメソッドに沿って指導はしてもらいます。さきほどお伝えした色んなタイプのサッカーに対応できるために、年代別でどのようなサッカーを伝えるべきなのかを理解してもらっています」
――ベースとなる共通理解があった上で、各コーチのオリジナリティを出してもらう。
「そうですね。クラブの指導方針に賛同してくれた上で、大志を持っている指導者に声をかけています。中国でお金を稼ぐことが終着点ではないということです」
――社外秘だと思いますが、そのメソッドについてもう少し具体を教えて頂くことはできますか?
「見ますか?(メソッドが書かれた資料を開きながら)一般には公開できないですが、結構細かく定義しています。完全オリジナルで作成しました。スピードは何歳でどのように鍛えるのか、シュートは、パスは……。年代に応じてコーチングポイントを明確にして。とにかく知性に勝るものはピッチ上にはないということを強調しています。例として、ここに1年分のトレーニングスケジュールを1週間単位で記載しています」
――広州富力が、このメソッドを日本人に任せるというのは大きな決断だったと思います。
「彼らは“クラブオリジナル”が欲しかったのだと思います。これを作ったからこそクラブから信頼を得たとも言えるかもしれません。欧州のクラブでは皆似たようなものを持っていますが、日本ではここまで細かく作りこんでいるクラブはあまり聞かないですね」
――喜熨斗さんが退団後もこのメソッドはクラブに残り続けるのでしょうか?
「どうでしょうね。僕はこのメソッドはクラブにとっての初期フェーズであるというイメージで話をしています。だから、スタッフの中国人も増やして少しずつ育成の主導権を譲っていきたいと思っています」
中国には日本がある。だから、僕達が呼ばれている
――2015年8月から広州富力で働かれて4年間、基盤作りに貢献されてきました。成果を感じられる部分も出てきているのではないでしょうか?
「選手達やご両親から感謝の声を聞けるのは1つの成果でしょう。もちろん勝っていることもありますが、礼儀や規則正しさなどを子供達が取得している。100人の選手のうち99人はプロにはなれない。ただ、サッカーを通じて人間性が育てば別の世界でも通用できる。それは1つの目標達成です」
――課題はありますか?
「トップチームとの連携です。早熟で有能な選手は16歳、17歳でもトップチームで活躍できるくらいになって欲しい。そのためにも若い選手をトップチームの練習に参加させるなどの連携が重要になってきます」
――喜熨斗さんが広州富力に来てからアカデミーのトップ昇格は何人いますか?
「いません。ただ、まだ4年。もう少し我慢が必要だと考えています。今の13~14歳が17~18歳になる頃には絶対にトップで試合に出場できると思っています。そこをクラブには理解して欲しいと伝えています。そして、そういう選手が引退後に指導者やGMになる。先は長いですが、サッカーはそういうもの。そのサイクルがあって中国サッカーが本当の意味で完成するのだと思います」
――長いスパンでサッカー界の発展を考えた時に、人材育成が肝であることは間違いないと思います。
「今の中国サッカーの成長は“爆買い”からスタートしたのは難しい部分があるのは仕方ないですね。初期のJリーグと同じですよ。バックグラウンドがない。海外のビッグネームを呼んで、そこから学んでいるステータス。ただ、当時の日本と今の中国が1つ違うのは、アジア内に育成を含めて成功している国があるということ。中国には日本がある。だから、僕達が呼ばれている」
――南米や欧州から“学ぶ”立場だった日本が、他国に“教えている”のは日本サッカー界の成長も感じます。
「中国と比較すれば日本の育成は優れていますし、アジアトップレベルだと思います。ただ、日本もはまだムバッペやラッシュフォードを生み出せていません。。まだまだ我々も学ばなければいけない段階です」
――最後に喜熨斗さん個人のキャリアについても伺わせてください。まずはこの夏からアカデミーを統括するポストを菊原志郎さんに譲り、トップチーム専任となります。
「より一層トップチームにコミットできる時間が増えたので、ストイコビッチ監督の孫の手として手の届く範囲を広げたいと思っています(笑)。メインの仕事となるトレーニングはもちろん、チームのスケジュール管理や、スカウティング、ミーティング用のVTR編集も行います。大変ですが、そこまで任せてもらえているのは光栄です」
――広州富力での仕事を終えた後のキャリアは何か考えられていますか?
「僕の最終的な目標は3人の子供に『お父さんの子供で良かった』と言ってもらえること。そのためには僕なりの独自性を出さなければいけない。もちろんプロクラブの監督も視野に入れていますが、Jリーガー経験もない、日本代表経験もない人間としては難しいことを自覚しています」
――広州富力での指導実績は十分な独自性だと思いますが、それでは監督就任は難しいですか?
「選ばれる理由のある人間にならければいけない。特に監督はそうなんです。クラブの出身であるとか、クラブのホームタウンエリアに貢献したことがあるとか。S級ライセンスを持っている人間なんてたくさんいますから。僕を選ぶ強い理由を作る必要がある。そのためにも多くの人に認めてもらえるように実績を作れるように頑張ります」
――今日はありがとうございました。
Katsuhito KINOSHI
喜熨斗 勝史
1964年生まれ。日本体育大学卒業、東京大学大学院修士課程修了後、博士課程に進みながらベルマーレ平塚とプロコーチ契約。選手としては関東サッカーリーグで29歳までFWとしてプレー。セレッソ大阪、浦和レッズ、大宮アルディージャ、横浜FC、名古屋グランパスのトップチームでコーチを歴任。2015年8月より広州富力トップチームに所属。日本サッカー協会公認S級コーチ。
Profile
玉利 剛一
1984年生まれ、大阪府出身。関西学院大学卒業後、スカパーJSAT株式会社入社。コンテンツプロモーションやJリーグオンデマンドアプリの開発・運用等を担当。その後、筑波大学大学院でスポーツ社会学領域の修士号を取得。2019年よりフットボリスタ編集部所属。ビジネス関連のテーマを中心に取材・執筆を行っている。サポーター目線をコンセプトとしたブログ「ロスタイムは7分です。」も運営。ツイッターID:@7additinaltime