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【広州富力アカデミー改革(前編)】 菊原志郎、中国での挑戦

2019.09.24

習近平国家主席の意向を背景とした中国サッカー界発展への取組みは、多くのスター選手を獲得することから始まった。“爆買い”とも称されたサッカーバブルはしばらく続くかと思われたが、選手獲得額とほぼ同額をサッカー文化発展のために納めなければならないとする「贅沢税」の導入などを理由に一旦落ち着きを見せている。

2017年からはクラブ総予算の15%を育成組織の運営に使用することが規定されるなど、新たな強化フェーズに入った中国サッカー界において、独特な強化プロジェクトを推進するクラブが広州富力だ。ストイコビッチ監督率いる同クラブの育成部門では現在16人の日本人スタッフが指導にあたっている。一体、なぜこのようなことが起きているのか。同クラブのU-14監督を務めた後、2019年8月より育成部門を統括するHead of youth academy coachingに就任した菊原志郎氏に話を聞いた。

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日本人への信頼

 「指導者は黒子であるべきだと思っているので」と語る菊原氏はメディアの取材をあまり受けず、ウィキペディアには2008年以降のキャリアが掲載されていない。育成年代における指導者としての経験値は、日本サッカー界でもトップクラスであることは一般にはあまり知られていない。ヴェルディなどJリーグクラブの他、世代別日本代表のコーチも歴任。JFAの指導者養成にも携わった実績を持つ。現在はそうしたキャリアが評価され、中国サッカー・スーパーリーグ(以下、CSL)広州富力で育成年代の指導にあたっている。

 「広州富力に入団したのは2018年の1月。私より先にクラブに所属していた喜熨斗(勝史)さんに誘ってもらったことがきっかけです。日本ではアブダビやモルディブなど、研修や短期留学で来日した他国の選手を指導させていただく機会が何度かあったのですが、言葉が上手く出てこないこともあり、選手に伝えきれない歯がゆい記憶も中国で働くことを決めた動機の1つです。指導者として色んな経験をしましたが、インターナショナルな時代で、私に足りないのは新しい文化に触れることや言葉を覚えることではないかと考えました。広州富力では英語で指導するんですよ。そういう環境で苦労しながら新しい指導を学ぶチャレンジがしたかったんです」

 広州富力が育成年代において、多くの日本人スタッフを採用している背景には広州の地域性がある。中国の中で広州は比較的に小さな子が多く、フィジカルでは勝負できない中で、技術や協調性で世界を相手に結果を出してきた日本の指導法に白羽の矢が立った。現在16名が在籍する日本人スタッフにはガンバ大阪のアカデミーに長年携わった足高裕司氏や、横浜FCのアカデミーから転籍した藪田光教氏など、実績のある指導者の名前が並ぶ。とはいえ、中国国内において日本人に対する抵抗感は根強いのではないかと危惧するが、意外にも好意的に受け止められていると菊原は語る。

 「技術はもちろんですが、日本人が大切にしている“チームのために頑張る”や“原理原則を守る”というのは、世界のトップレベルでも求められること。英語で指導する方針も(選手の)保護者はすごく喜んでくれています。中国は豊かになってきていて、子供達に良い教育を受けさせたいニーズも高まっているので、国際的な感覚を重視する僕達の指導コンセプトは評価してもらっています。もともと持っている広州の子達の特徴と世界基準の指導を融合させたサッカーを作っていきたいです」

 “自分達のサッカー”は中国には存在せず、現時点においては色んな国のエッセンスを吸収している段階だ。事実、A代表監督のリッピ(イタリア人)を筆頭に、各カテゴリーにおいて欧州を中心とした様々な国の人材が登用されている。広州富力のお隣、広州恒大は育成部門においてレアルマドリードと提携している。そうした状況を「今はどの国の指導者が中国人に合うのかを意図的に試している印象もあります」と菊原氏は分析する。

選手を指導する菊原志郎氏

 広州富力にとって日本人に指導を託すのは決して簡単な決断ではなかったはずだ。菊原氏も「失敗すれば強く批判されるリスクのある判断」と、自身の重さを理解している。ただ、菊原氏が指導を始めて1年半が過ぎ、チームは着実に進化している。今年、日本のインターハイや国体にあたる「中国青年運動会U-14」で広州富力が優勝。ただ、菊原氏が優勝以上に価値を感じているのはフェアプレー賞も同時受賞したことだ。「勝つ意識が強いので激しい接触プレーによるファールも多い」という中国の環境において、フェアに戦って結果を出したことには大きな意味がある。こうした実績の積み重ねが中国国内における日本人指導者の価値を高めている。菊原氏の指導によって組織性や公正さを身に着けた選手は将来、プロサッカー選手になれなかったとしても社会で活躍できるはずだ。

 「クラブが未来を担う子供を日本人に託してくれた以上、責任をもって彼らの子供を成長させていく。それによって子供も保護者もクラブも幸せにする。それは僕達がやらなければいけない仕事。全力でやるだけですね」

指導者として。教育者として

 菊原氏がトップカテゴリーではなく、育成年代での指導に注力するのは自身の経験によるところが大きい。中学生時代に指導を受けたヴェルディの小見幸隆氏や竹本一彦氏をはじめ「良い大人に恵まれて育った」ことを感謝している。だからこそ、サッカーにおいても、人生においても、大きな影響を与えられる育成年代の指導にやりがいを覚えているのだ。現役時代の“天才”の印象が強く、才能でプロになったと捉えられがちだが、本人はそれを否定する。

 「子供の頃から『天才』と言われるたびに思っていたのですが、言葉が抜けているんですよ。僕は“努力の”天才だと思っています。子供の頃は毎日家の前の階段を何十往復もドリブルしてから学校に行っていましたし、誰もよりも考えて、努力した自覚があります。そして、その努力が出来たのは親や指導者が僕をしっかり見て、適切な声をかけてくれた影響だと思っています。

 1人で成功したとは思ってないし、色んな人に育てられて、色んな人に支えられて生きてきてきました。だから、今度は子供たちを支えて、大きく成長できるようなサポートをして、時には厳しく、時には優しく見守って、良いアドバイスをしてあげたいなっていうのが僕のスタイルです」

 現在もLINEで連絡を取り合うという中島翔哉選手や鈴木武蔵選手、植田直通など「1回でも指導すればいつまでも見守っていたい」という菊原氏の元には多くの教え子から連絡が入るという。指導するのは“天才”だった現役時代を知らない子供達ばかりだが「一緒にプレーすれば僕が上手いのは分かるから(笑)」と笑う。教え子の話をする時の菊原氏の表情はプロサッカー選手を育成する指導者というより学校の先生のようだ。

 「僕は教育者でありたいし、良いお父さんでもありたい。子供の成長を手助けしたい。サッカーが上手くなればOKではない。サッカーを通じて色んなことを学んで人生の基盤をつくって欲しい。教え子全員がプロになれる訳ではないですが、サッカー以外の仕事や生活でも役に立つことを伝えたい。人間性を高めないと壁を乗り越えられない。指導者を20年以上経験して、それは強く感じるところです。自分のためだけではなく、チームや親のために一生懸命頑張る子供を増やすことが人の幸せにつながるはずです」

 教え子について語る菊原氏は穏やかで、メディアで語られる“天才”のイメージとは真逆の人物だ。率直にその感想を伝えてみる。

 「そうかもしれません。サッカーだけ上手くて、自分1人でわがままなプレーをしているイメージ(笑)。ただ、現役時代から僕は人をつなぐポジションだったんですよ。中盤で加藤久や都並、松木からボールを受けて、ラモスさんやカズさん、武田さんにパスを出す。サッカーにおいて人と人のつながりを濃くするのはすごく大切。助け合うことでチームは上手く回ります。

 最近、個の成長が強調されますよね。1人で突破ができるとか。僕はそれだけでは個は足りないと思っていて。仲間を大事に考え、人を助けられる個。苦しい時に相談にのれる個。そういう精神を身に着けられればサッカー以外の人生でも上手くいくはず。指導者人生の中で優秀だった子がトップに昇格して2年でクビになるようなことも経験するのですが、その度にその後の人生を心配します。違う指導があったのではないかとか、大学に行かせておけばよかったとか、色んな葛藤があります。指導者としてだけでは足りない。教育者として選手を良い人間に育てないと将来不幸にしてしまうかもしれない」

 菊原氏はこの先も多くの優秀な人材を生み出すだろう。きっとそれはサッカー界だけに留まらない。

 「負けても評価される指導者って最強だと思います。もちろん、勝利を目指す。ただ、負けても子供を預けたいと思われる指導者が理想です。指導者の本当のゴールは子供たちを正しい方向に導いて、良い人生にしてあげることですから」

Shiro KIKUHARA
菊原 志郎

1969年生まれ。小学校4年から読売クラブ(ヴェルディの前身)に入り15歳でプロ契約。日本代表でもプレーした。引退後はヴェルディのコーチを長く勤め、その後日本サッカー協会でU15〜U17代表コーチやナショナルトレセンコーチ担当。マリノスジュニアユースコーチを経て、2018年より広州富力アカデミーに所属。U14監督を務めた後、2019年9月からは広州富力Head of youth academy coaching に就任。

Profile

玉利 剛一

1984年生まれ、大阪府出身。関西学院大学卒業後、スカパーJSAT株式会社入社。コンテンツプロモーションやJリーグオンデマンドアプリの開発・運用等を担当。その後、筑波大学大学院でスポーツ社会学領域の修士号を取得。2019年よりフットボリスタ編集部所属。ビジネス関連のテーマを中心に取材・執筆を行っている。サポーター目線をコンセプトとしたブログ「ロスタイムは7分です。」も運営。ツイッターID:@7additinaltime