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営業→強化→社長。「ミスターベルマーレ」坂本紘司が歩んできた異色のセカンドキャリア

2024.10.07

【特集】ベルマーレの生存戦略。
「残留力」「湘南スタイル」の先へ
#1

J1残留争いが佳境になってきた10月、毎年この時期に底力を発揮するクラブがある。23年の予算規模28億円と限られた資金力にもかかわらず、いつも土俵際で驚異的な踏ん張りを見せてきた湘南ベルマーレだ。中小クラブの「残留力」の根源にあるものは何か、坂本紘司社長率いる若い経営陣が目指す「湘南スタイル」の先にあるものに迫る。多くの日本人選手の目が「外」に向き、大きな岐路に立たされているJリーグを生き抜くためのベルマーレの生存戦略とは――?

第1回は、湘南ベルマーレでクラブ歴代最多となる456試合に出場したレジェンドで引退後、営業本部長→スポーツダイレクター→GMを歴任し、23年から代表取締役社長に就任した坂本紘司社長に話を聞いた。前編では、異色かつ濃厚な現役引退後のセカンドキャリアを振り返る。

「いざ営業を始めてみると、自分って誰にも知られていない」

――坂本さんは2012年のシーズンをもって現役を引退されました。ご自身のセカンドキャリアについては現役時代からイメージしていましたか?

 「引退後のことは思い描いていなかったですね。現役を辞めた時に自分がどういう気持ちになるかわからないし、その時の気持ちに従おう、くらいのスタンスだったので、まったく準備していませんでした。ただ、自分の知らない世界を知りたいという好奇心はすごくあったので、指導者という選択肢だけ除外して、セカンドキャリアはサッカーの現場以外、グラウンドに立つ以外のことをやりたいと考えていた。

 もう1つ、僕はベルマーレで長くプレーさせてもらいましたけど、日本代表に選ばれるとかJ1でタイトルを取るとか、輝かしい実績はまったくなかったから、自分としてはサッカー選手として成功したと思っていないんですね。だから現役を終えた時に、選手の時以上に社会に何かを残せるようなセカンドキャリアにしたいなと思ったんです」

――指導者を除外した理由は?

 「自分には向いていないからと、周囲には話していたと思うんですけど、子どもたちを教えてみたいという気持ちは今もあります。でもそれ以上に、当時はスーツを着て会社に行ってみたいなと思っていた(笑)。というのも、30代半ばになるまで16年間サッカー界で過ごして、ずっとチームメイトやサッカー関係者とかしか交流のない人生を歩んできたから、外の世界の人と会話してみたいなとか、外の仕事ってどんなものがあるんだろうとか、何かをゼロからやりたいという気持ちが強かった。誰もが想像しそうな道は面白くないという気持ちもあったかもしれません。そういういろんな想いがあり、ジャージを着ない仕事がいいなと漠然と思っていました」

――そして翌2013年、湘南のフロントに入り、営業部に配属されました。

 「引退した後も何らかの形でクラブに関わってほしいと言ってもらい、それは素直にうれしかったです。クラブにはピッチ以外の仕事がたくさんあるはずだし、いろんなことを学んでみたいという気持ちはここに就職させてもらっても叶うと思い、決心しました。でも、今社長をやっていますけど、野心があったわけでは全然なくて、まずはビジネスメールの送信しかり、名刺交換しかり、人生で初めて経験することや目の前の仕事を一つひとつ必死にやっていこうという感じでした」

――あらためて振り返って、どんな1年でしたか?

 「現役の頃は、例えば取材を受けるにしても、相手が『サッカー選手の坂本』を知っている上でコミュニケーションが成り立つけど、いざ営業を始めてみると、自分って誰にも知られていないんだなと思い知らされました(笑)。ホームタウンを回り、当時は飛び込み営業もけっこうやっていた中で、ベルマーレや僕のことを知らない方も当然いらしたので、サッカー選手だったという経歴なんてたいしたことないんだなと思ったし、その現実を知ってすごく謙虚になれたんです。自分はもうピッチに立つわけではないし、何者でもないと、そこでパーンと意識が切り替わって、僕のことを知らない方と話したり、ベルマーレの説明をしたりするのが逆に楽しくなりました」

――苦労よりも楽しい思い出の方が記憶に残っているんですね。

 「そうですね。1年目は営業で走り回っていたので、いろんな方と知り合えたり、いろんな話を聞いたり、自分が知らないジャンルの話をしたり、そういうのがとにかく楽しかった。ただ、途中からノルマが重くのしかかってきて、僕のことを知っていてスポンサーになってくださった方がいる一方で、僕を知らない方からは契約が取れず、自分の力不足を痛感することは多々ありました。だから楽しいと思える日と落ち込む日が交互に来るような、そういう日々を過ごしていた記憶があります」

――クラブ史上最多の456試合出場を記し、「ミスターベルマーレ」と称された現役時代の自負やプライドが邪魔をするようなことはなかったですか?

 「そういうのはなかったですね。自分としては社会人1年目、新入社員の感覚でした。だから、例えばホームゲームが終わった後に、みんなで備品などを段ボールに詰めてスタジアムから事務所に運ぶんですけど、それを率先して運んだり、とにかくスタッフの中の腫れ物にならないように早くフロントに溶け込みたいなと思って行動していました」

――腫れ物にならないとは?……

Profile

隈元 大吾

湘南ベルマーレを中心に取材、執筆。サッカー専門誌や一般誌、Web媒体等に寄稿するほか、クラブのオフィシャルハンドブックやマッチデイプログラム、企画等に携わる。著書に『監督・曺貴裁の指導論~選手を伸ばす30のエピソード』(産業能率大学出版部)など。