「ポジション」史#1 GK編
「ゴールキーパーは孤高の鷹 神秘の男 最後の砦」(ウラジミール・ナボコフ)
帝政ロシアから米国へ亡命した作家、詩人、昆虫学者。「ロリータ」の著者であるナボコフはGKの味方だ。長身頑健、運動能力抜群、勇猛果敢なGKはいつの時代も憧れの対象だった。ただ1人、手を使うことが許され、他の10人と違うジャージを着る。孤高で神秘的な最後の砦だ。この特殊なポジションの歴史的変遷を追う。
GKには少し、いや、大いに変わっている、いわば破格の人が多い。
白い丸首のセーターを流行らせたリカルド・サモラは逸話の宝庫だ。1920年五輪からの帰路、ハバナ産の葉巻を大量に持ち込もうとして逮捕された。エスパニョールで活躍し、カタルーニャ選抜でもプレーしながら、バルセロナからレアル・マドリーへ移籍して物議を醸した。イングランドを大陸のチームが初めて破った1929年の試合では、胸骨を折りながら4-3勝利のヒーローに。コニャックと葉巻が大好物という豪傑、難攻不落の砦、史上最高GKの評価をレフ・ヤシンと二分する。
「前に出るGK」の元祖カリーソ。ヤシンとトラウトマンという2人の伝説
GKの戦術的な進化という点では、1945年にリーベルプレートでデビューしたアマディオ・カリーソが最初と言われている。“ラ・マキナ”の名手たちともプレーし、初めてグローブを着け、ペナルティエリアの外へ飛び出して守り、ゴールキックをカウンターアタックに繋げていたと言われている。影響を直接受けた同じアルゼンチン人のウーゴ・ガッティのみならず、レネ・イギータやホセ・ルイス・チラベルトへ繋がる系譜の始まりだった。最後の砦であるだけでなく、鷹の目を持つ最初のGKだったかもしれない。……
Profile
西部 謙司
1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。