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イングランド人らしからぬ決断。海外に出たトリッピアーの勇気

2020.01.09

 昨年7月半ばに決まった、キーラン・トリッピアーのアトレティコ・マドリー入り。マンチェスター・シティのユースからバーンリーを経て、トッテナムで代表クラスに成長した右SBの海外移籍は、巷で「亡命」だの「都落ち」だのと言われた。どこか島国根性がけて見えるような反応だ。

 意外な移籍ではあった。昨季までの白いユニフォーム姿を見慣れたトリッピアーは、赤と白の縦縞ユニフォーム姿からして違和感がある。誰にでも、着こなせる服の色とそうでない色があるように、選手のユニフォームにも、しっくりくる色とそうでない色がある。例えば、逆にアトレティコから移籍したフェルナンド・トーレスは、プレミアリーグで2チームに籍を置いたが、同じアディダス製ユニフォームでも、チェルシーの青よりリバプールの赤が似合っていたように感じた。トリッピアーにとってのアトレティコのストライプは、不似合いどころか不自然にさえ思える。

プレミアリーグ時代、トーレスの「赤」と「青」でのゴールシーン動画

 しかし、当人にすれば「夢の海外移籍」の実現。このイングランド人らしからぬ決断をした29歳は、「異端」ではなく「勇敢」な選手として称えられるべきだ。1軍で芽の出ない若手でも、斜陽期のベテランでもなく、昨季はイングランド代表の4強入りに貢献したW杯でのインパクトに比べれば期待外れだったとはいえ、CL決勝でも先発したピーク年齢で飛び出したのだ。

ロシアW杯では、準決勝クロアチア戦で直接FKでゴールを記録するなど獅子奮迅の活躍を披露

「英→ 西」20人目、悲惨な前例

 英国人には、海外暮らしに抵抗を覚える者が少なくない。その理由の1つに外国語の苦手意識がある。英語が母国語という境遇に「甘えている」という自覚はあっても、外国語の習得努力はいま一つ。大陸側のEU圏内では56%の人が最低1つ外国語を話す一方で、英国人は62%が英語オンリーというデータもある。筆者には英国人の義弟がいるが、やはり日本に住んで何年経っても日本語会話はあり得ない。

 もちろん、英国人サッカー選手の「海外組」は希少。その昔、ユベントスでの1シーズンに終わったイタリア生活を「まるで外国にいるみたいだった」と振り返ったと言われるのは往年の名FWイアン・ラッュだが、この“迷言”を吐かせた感覚も昔の話とは言いがたい。スペインに移籍した英国人はトリッピアーがまだ通算20人目。しかも成功しなかった例が多く、同じDFではレアル・マドリーでのデビュー戦でオウンゴールを記録した挙げ句に退場処分を受け、地元メディアのファン投票で「今世紀最低の新戦力」に選ばれる羽目になった、ジョナサン・ウッドゲイトという悲惨な前例まで存在する。

レアル・マドリー時代のウッドゲイト(右)。写真は同胞のデイビッド・ベッカムと。 負傷にも悩まされ、2シーズンで通算14試合出場に終わった

 それでも、望んで海外に出たトリッピアー。プレミア勢も招へいを願う実力を持つシメオネ監督の下で定位置を獲り、移籍が「勇断」と見直されたことだろう。たとえ「逃げ出した」先でも、海外で成果を上げた者には弱いのが“島国人”の性分でもある。彼の赤白ストライプ姿に対する違和感も失せているかどうかは別として。

アトレティコでは前半戦を終えた時点で公式戦20試合に出場。右SBのポジションをがっちりつかんでいる


Photos: Getty Images

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アトレティコ・マドリーイングランド代表キーラン・トリッピアーリーガエスパニョーラ

Profile

山中 忍

1966年生まれ。青山学院大学卒。90年代からの西ロンドンが人生で最も長い定住の地。地元クラブのチェルシーをはじめ、イングランドのサッカー界を舞台に執筆・翻訳・通訳に勤しむ。著書に『勝ち続ける男 モウリーニョ』、訳書に『夢と失望のスリー・ライオンズ』『ペップ・シティ』『バルサ・コンプレックス』など。英国「スポーツ記者協会」及び「フットボールライター協会」会員。

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