ヘビーメタル×オーケストラ?クロップ・リバプール進化の過程
“ストーミング”クラブのゲームモデル
かつて自身のサッカーを「ヘビーメタル」、パスを繋ぐベンゲル時代のアーセナルを「オーケストラ」にたとえたクロップ。アグレッシブに前へ前へと出ていくサッカーこそが見ていて楽しいというのが一貫した彼の美学だった。ところが、近年のリバプールは緻密なポジショナルプレーの要素が増してきている。ヘビーメタルとオーケストラの融合の行方は――?
イングランド北西部の港湾都市リバプールに、ユルゲン・クロップが奏でるヘビーメタル・フットボールが鳴り響いている。ドイツの地で結果を残した知将はペップ・グアルディオラの宿敵としても知られ、マンチェスター・シティとの熾烈な争いは今シーズンも続くだろう。CL制覇という最高の結果で幕を閉じた18-19シーズンを経た今、クロップとリバプールはさらなる進化を続けようとしている。クロップは昨シーズンのアプローチに「改善の余地がある」という現実を理解しており、絶対王政を築くにはやらねばならないことが残っていることを理解しているのだ。今回はストーミングの第一人者が目指す、新たなる領域について考察していこう。
ストーミングの罠
以前の特集号において、筆者は「ストーミング」という単語を「ボールを手放すことを厭わず、それを再度回収することを前提とした戦術的思考」と定義した。クロップ自身が「ゲーゲンプレッシングこそが最高の司令塔だ」と豪語するように、彼は要所でボールを奪うことを目的としている。
中盤の指揮者がタクトを振る必要はなく、チーム全体でボールを奪う仕組みを重視するのがストーミングだ。お伽話のような快進撃で人々の注目を集めたドルトムントは、ストーミングを体現するチームだった。前線のロベルト・レバンドフスキに長いボールを当て、五分五分の状況でボールを落とし、そのイーブンボール目がけて前向きに中盤が飛び込むことで回収。ビルドアップを飛び越し、密集地から奪い返すようなアプローチで何度となくジャイアントキリングを成し遂げた。当時はスペースに入り込む能力に長けた香川真司が重用され、ショートカウンターから一気にゴールを陥れる役割を担っていた。
大きなポイントになったのが、現在では当然と考えられている「トランジション局面の把握」だ。クロップは攻守の境目となるトランジションに着目し、攻撃に移行しようとするタイミングで生じる隙を発見。相手が攻撃を意識した瞬間、守備が脆くなるところにショートカウンターで自軍の勢力を注ぎ込むアプローチが猛威を振るった。
日本代表の快進撃で注目されたラグビーの世界でも、敵陣に一気にボールを運ぶことで陣地を回復するロングキックが効果的に活用されており、長いボールをキャッチした選手に全速力で飛び込んだ相手チームがタックルを仕掛ける場面が散見された。手を使うことが可能なラグビーと比べると、フットボールはセカンドボールが「50:50」となる局面が多い。ストーミングを得意としているチームは瞬間的な反応速度を極限まで高め、セカンドボールが転がるエリアを予測することで、相手チームからボールを奪取することに成功してきた。
しかし、フットボールの戦術に「完璧」の二文字は存在しない。ストーミングを主軸に置くチームが直面する大きな課題が、選手への負荷増大だ。トランジションを連発するようなスタイルに求められる運動量は多く、フィジカルコンタクトの回数も増加。フィジカルに優れた選手を多くそろえても、どうしてもシーズン終盤の失速は避けられない。実際、リバプールが昨シーズン優勝を逃した1つの要因はシーズン後半に引き分けが続いてしまったことだった。
さらにもう1つ、相手が徹底的にリトリートしてくると、トランジションの隙を発見するのは容易ではなくなる。あくまでストーミングは格上を倒すことを目的にリソースを集中する「電撃戦」的なアプローチであり、警戒されてしまうと威力は半減する。バルセロナ相手に披露した完璧な逆転劇も、サディオ・マネへのロングボールを起点にストーミングを仕掛けたことによって成し遂げられた。CL史上に残るゲームだったが、バルセロナ側に油断があったのも確かだろう。左サイドを押し込むことが可能なマネを抑えることを考えれば、本職CBの選手を右サイドに配置するような手段もあったはずだ。3点のリードを意識しながら漫然と試合に入ってしまったことで、バルセロナはリバプールのリズムに飲み込まれてしまった。
「ブバチ→ラインダース」が象徴する変化
ボールを捨てることによる消耗を考慮した結果、クロップには徐々に「自分たちのボールを大切に運んでいくこと」が求められるようになっていく。モハメド・サラー、マネ、ロベルト・フィルミーノの3トップは警戒され、イングランド国内では「リバプールの破壊力を弱めていく必要に迫られた」大半のクラブが守備に重きを置いたアプローチを選択するようになった。
スペースが消された状態で相手を崩さなければならないという新たな課題に直面すると、「時間」に着目するメリットは薄れてくる。ボールを奪い返し、相手が整っていない間に迅速に攻め込むストーミングは、あくまで相手に綻びがあることを前提としている。一方でリトリートしてスペースを消している状況を許容しているチームに対して、電撃戦を仕掛けることは必ずしも効果的ではない。それどころかショートカウンターに失敗すれば、相手が待ち望んだロングカウンターが飛んでくる。マンチェスター・ユナイテッドは両ウイングを状況によって自陣に引き下げ、守備時は5バックに等しい3バックを採用。強豪クラブ同士の対戦であっても、リバプールの破壊力を警戒するチームは増えてきている。
攻撃力が増せば増すほど、ストーミングの威力が弱まっていくジレンマ。そこでクロップがたどり着いたのは、「自陣から優位性を保ちながら丁寧にボールを運び、時間軸に固執せずに攻撃を仕掛ける」ポジショナルプレーだった。グアルディオラがシティに導入したアプローチは欧州でも一般的な概念になりつつあり、ボールを保有するアプローチはチームに休息する時間を与える。
実際、トランジションの威力を最大化することを主目的にビルドアップを磨くという手法は珍しいアプローチではない。例えばスワンジーを率いたブレンダン・ロジャーズ(現レスター監督)は、後方から丁寧にボールを繋ぐことで相手に攻め込まれる時間を減らし、勝負どころではカウンターを活用していた。リバプールは当初カウンターを主軸にしながら、ボール保持のメカニズムを構築しようとした。しかし、ペップ・ラインダースという腹心の存在がリバプールのポジショナルプレーを新たなる領域に導きつつある。彼らの最終目的は、ポジショナルプレーとストーミングを両立させる形でチームに浸透させることだ。
「クロップのフットボールを知り尽くした男」ゼリコ・ブバチが2019年冬にリバプールを離れたのは、クラブの変革を象徴していた。ともに17年間という期間を過ごした盟友を失ったクロップの新たな右腕には、ペップ・ラインダースが就任。オランダ出身の若き指導者は欧州屈指の才能として知られ、10代の頃からオランダの名門PSVやポルトガルの強豪ポルトで育成年代を鍛え上げてきた実績が高く評価されている。ポルトガル時代には「戦術的ピリオダイゼーションの考案者」、ポルト大学のビトール・フラーデに師事。当時25歳のラインダースがポルトのユース育成コーチに就任した際、フラーデは育成部門のトップだった。彼との出会いで組織的なゲームへのアプローチや複雑系に興味を抱いたラインダースは、最先端のフットボール理論に傾倒していく。現代フットボール理論に重要な影響を与えたフラーデの思想を育成の現場に応用し続けたことで、ラインダースは単なる最先端理論の信奉者ではなく、理論を選手に浸透させる「指導者」へと成長していった。ラインダースの母国であるオランダはヨハン・クライフが体系化した「ポジショナルプレー」の祖国であり、実際にラインダースもチームへの実装に挑んでいる。例えば11人vs11人の紅白戦では、片方のチームをポジショナルプレーの原則に基づいてプレーさせ、もう片方のチームを守備的にプレーさせる。そのような試みによって、攻守両面で必要となるポイントを両チームに効率的に指導していくのだ。
「我われはカウンタープレスを成功させるために、自分たちが攻撃を仕掛ける時に守備の局面についても考えています」
ラインダースが攻守の繋がりについて「ボール保持を中心に考えている」ことはこのコメントからも推察できる。
ポジショナルプレーの浸透を目指していく中で、トレーニングにおいてもラインダースの影響は見逃せない。試合前に狭いスペースでのパスゲームを行うリバプールだが、そのトレーニングはラインダースが指導している。ビルドアップにおけるボール循環を意識させる重要なメニューは、ラインダース自らが細かくチェックしているのだ。
オールラウンダー路線の補強と既存戦力の成長
ポジショナルプレーの導入が成功している理由は、トレーニング手法の変更だけではない。リバプールのフロントは、クロップの求める選手を数年にわたって追い求めてきた。ポイントを絞った補強によって、数年間でリバプールの戦力は飛躍的に最適化された。その中で、リバプールが加えてきた戦力はポジショナルプレーにも適応可能な選手がそろっている。シティがグアルディオラの理解者であるチキ・ベギリスタインを中核に的確な補強を進めたように、リバプールの意思決定も指揮官の意向を色濃く反映していると言えるだろう。
2018年に獲得したフィルジル・ファン・ダイクはチームの守備を安定させたことに加え、細かなフェイクを繰り返すことで丁寧に相手の読みを外していくビルドアップでの貢献が大きい。予備動作の少ないロングフィードも武器だが、セルティック時代に相手を押し込む場面が多かったことで磨かれたゲームを構築するスキルでも他を圧倒する。さらに、視野とスキルを兼ね備えたアンドリュー・ロバートソンはスコットランドにおいて「パスを繋いでいくスタイル」の先駆者として知られたクイーンズパーク出身者だ。守護神として獲得したアリソンは後方からビルドアップでボールを動かす技術に優れており、ファビーニョやナビ・ケイタも柔軟にボール保持の局面でも貢献する。
ここ数シーズンのリバプールは決して「ストーミング」だけに主軸を置いた補強ではなく、ポジショナルプレーにも対応可能なオールラウンダーに投資してきた。契約切れで放出したエムレ・ジャンのように屈強だがプレーの幅が狭いタイプは、今のリバプールでは出番を得られないはずだ。同時にトレント・アレクサンダー・アーノルドやジョルジニオ・ワイナルドゥムのように現有戦力を鍛え上げ、オールラウンドなプレーを可能にしたことも大きい。
今季のリバプールは特にボール保持の局面で工夫を凝らしており、ビルドアップの段階から両インサイドMFが相手を誘うように可変。ワイナルドゥムやジョーダン・ヘンダーソンがSBの位置まで下がってくるパターンで押し上げることもあれば、逆に敵陣のハーフスペースにまで進出するパターンもある。中盤の底から両サイドにボールを散らす役割に適合したファビーニョがマークされても、両サイドからの前進パターンが増えたことでスムーズなボール循環が可能になった。アレクサンダー・アーノルドは一撃必殺のアーリークロスに加え、逆サイドライン際にオーバーラップするロバートソンへのサイドチェンジを習得。アウト回転のロングフィードによって、ロバートソンはトップスピードでボールを受けながら次のプレーに移行する。プレミア屈指のコンビに成長した両SBはビルドアップと仕掛けるプレーの両方に対応し、フィルミーノが広いエリアを漂いながら中盤をサポート。ポジショナルプレーとストーミングの融合は、相手を敵陣に押し込むことで反撃の機会を奪い、守備時は敵陣でボールを回収する理想形に近づいている。
トッテナム戦(プレミアリーグ第10節/2-1で勝利)ではオーバーラップを繰り返すロバートソンがエリクセンを自陣に釘づけにすることでカウンターの威力を半減させ、苦し紛れのカウンターはファビーニョが封殺。プレミアリーグ制覇を目指すチームは最高の前半戦を過ごした。ここからのパフォーマンスにも注目したい。
Photos: Getty Images
Profile
結城 康平
1990年生まれ、宮崎県出身。ライターとして複数の媒体に記事を寄稿しつつ、サッカー観戦を面白くするためのアイディアを練りながら日々を過ごしている。好きなバンドは、エジンバラ出身のBlue Rose Code。