アイデンティティ確立のとき新生チェルシーの挑戦
中心選手であったエデン・アザールの退団に加え、FIFAによる補強禁止処分という逆風の状況下でクラブのレジェンドを指揮官に迎え入れたチェルシー。プレミアリーグ開幕を目前に控える中、ブルーズ(チェルシーの愛称)を長年追い続けている山中忍氏が今シーズンの見どころを紹介する。
2019-20シーズンのチェルシーは一味も二味も違う。指揮官は、2003年のクラブ買収を境に始まった黄金期に、在籍13年間で主要タイトル計11冠に輝いたフランク・ランパード。レジェンド、イングランド人、監督歴1年、若手起用積極派と、どれを取ってもプレミアリーグ強豪としてのチェルシー史には前例のない新監督だ。
ランパード新体制のチームスタッフが醸し出す「育成色」も同様だ。昨季ダービー(2部)でも右腕となった助監督のジョディ・モリスは、自らもユース出身者の顔を持つ元U-18チーム監督。練習グラウンドで、クリップボードを片手にセッションの音頭を取るクリス・ジョーンズも、チェルシーの元アカデミー指導者。コーチ陣を補佐するジョー・エドワードは、選手とコーチの双方でアカデミーに在籍した過去を持つ。これほどの「若手登用態勢」は、ロシア人富豪の資金力を後ろ盾に即戦力購入を繰り返してきた過去16年間にはあり得なかった。
FIFA(国際サッカー連盟)による今夏と来年1月の補強禁止処分により、路線変更を強いられたという見方は否定できない。昨季プレミアでの成績は、マンチェスター・シティとリバプールのトップ2に25ポイント以上の差をつけられたが、背後のトッテナムとはわずか1ポイント差という3位。その昨季メンバーからは、最強の「個」であったエデン・アザールがレアル・マドリーへと去ってもいることから、本来ならば積極補強が妥当な状況にある。
とはいえ、「チェルシーだったから」との理由で、監督キャリア初期でのビッグクラブ挑戦に伴うリスクを呑む覚悟を決めたランパードは、今回と同じ3年契約で就任したダービーでも若い戦力を使って育てる基本姿勢を打ち出して、プレミア昇格を懸けた昨季、プレーオフ決勝にチームを導いた。同時に、アカデミーから1軍へのキャリアパス確立は、チェルシーにとってかねてからの課題。攻撃的スタイルの確立も相次ぐ監督交代で難航しているが、生え抜き選手の戦力化は、手つかずの状態だったと言っても良い。チェルシーとしてのアイデンティティも求めるようになって久しいオーナー以下、クラブ関係者とファンにとっては待望の「チェルシー色」を生む基盤を築く絶好の機会。ランパード体制の誕生により、補強禁止を前向きに受け止めることが可能になった。
期待される若手新戦力の出現
そこで、今夏のプレシーズンでは、例年になく若手のアピールが注目された。アカデミー選手の遠征参加は毎年のことだが、昨年までは実質的に1軍練習経験の域にとどまっていた。近年では、シーズンが始まってみれば30人規模の大量レンタル放出が当たり前。昨季は総勢41人が修業先で他チームのユニフォームを着ることになった。一足先に1軍には昇格し、今夏に新契約を結んだ23歳のMFルベン・ロフタス・チークと、本稿執筆時点で新契約発表が間近とされる18歳のFWカラム・ハドソン・オドイにしても、昨季リーグ戦での先発は、それぞれ6試合と4試合に限られた。それが今回は、そろって昨季終盤に負ったアキレス腱のケガから復帰中の両名の他にも、1軍でも通用する力を実証する若手の出現が期待される中でプレシーズンが進行した。
アピール成功の代表例はメイソン・マウントだ。昨季を終えた時点では、レンタル移籍先だったダービーでのランパード体制下で、トップ下と3センター左サイドの双方で主力となった20歳のMFには、プレミア内でのレンタル移籍で経験を積む新シーズンが予想されていた。しかし、チェルシーでのランパード体制が始まったアイルランド遠征でのチーム2戦目、自身は初先発を経験したセント・パトリックス戦(4-0)でゴールを決めると、続く日本での川崎フロンターレ戦(0-1)でも、個人的にはポゼッション能力とゴールへの積極性が光る65分間を過ごし、指揮官からも「チェルシーの1軍でステップアップに挑む時期にある」との評価を得るに至った。Rakuten CUPのバルセロナ戦(2-1)では、敵の中盤深部で対峙したセルヒオ・ブスケッツの注視を怠らなかった守備面も好評。帰国後のレディング戦(4-3)でも2得点の活躍で、特に、ハーフウェイライン付近から駆け上がり、ゴール前で流れたと思われた味方のパスをものにしてパワフルなシュートを決めた1点目は、昨季中も「ゴールへの貪欲さを引き出したい」と語っていた、ランパード監督の現役当時を思わせる得点シーンだった。
マウントとの相性を「U-8時代から一緒で互いを知り尽くしている」と説明するCFタミー・アブラハムも、レンタル移籍が続いた過去3年とは違い、チェルシー1軍での開幕に向けて前進したと言える。フランス代表のオリビエ・ジルー、ベルギー代表のミヒー・バチュアイとポジションを争うことになるが、いずれも絶対的な存在ではないだけに、高さ、速さ、巧さを併せ持ち、昨季にプレミア昇格を決めたアストンビラでリーグ戦25得点の主砲となった21歳にも勝機はある。蒸し暑い日本でも、「6歳から過ごしているクラブでプレーする絶好のチャンス。必死にやってつかみたい」と、汗とともに目も輝いていたストライカーは、軽快なフットワークでGKマルク・アンドレ・テア・シュテーゲンをかわして奪ったバルセロからの先制点で、チェルシー1軍での初ゴールも記録。自信と勢いを増して新シーズンを迎えようとしている。
新体制下ではチームの戦い方も前体制下とは異なる。マウリツィオ・サッリ采配での昨季は、良くも悪くも[4-3-3]が絶対的な基本システムとされたが、ランパードは、ダービーでも使い分けた[4-2-3-1]と[4-3-3]の他に、中盤がダイアモンド型の[4-4-2]もプレシーズンで試している。試用回数から判断すれば、日本での2試合でも採用された[4-2-3-1] がメイン。新監督にとっては、ジョゼ・モウリーニョ体制下での現役時代に経験しているシステムでもあるが、監督としてのランパードは、前線からのプレッシングを前提に、より攻撃的にシステムを機能させる意図を持つ。
「ランパード軍」の注目選手
2列目では、今年1月の時点でドルトムントからの移籍が成立していたクリスティアン・プリシッチに、純然たる唯一の新戦力として期待が持たれる。ただし、左サイドでスタートするドリブラーとして、いきなりアザールの穴を一人で埋めるインパクトを求めるのは酷というもの。その先代にしても、ワールドクラスと呼ばれるようになったのは、チェルシーでの移籍3年目のことだった。今夏に合流した移籍1年目の20歳は、「自己表現の自由を与えてくれる」という指揮官の下、チェルシーの選手として初めてピッチに立った日本での2試合を皮切りに、ドリブルで勝負を挑む積極姿勢と、チェイシングで守備に加勢する献身姿勢を示しながら順調なスタートを切っている。
中盤の底では、昨季は攻撃参加の比重が高かったエンゴロ・カンテが、本職のボランチを務めることは間違いない。昨季末に痛めた膝のリハビリ中で、別メニュー中心のプレシーズンとなったが、世界でも屈指のボールハンターの存在は、3年前、チェルシー前回リーグ優勝時のキーポイントでもあった。
対照的に新たな存在感を発揮する可能性を秘めているのが、中盤中央のパートナー第1候補と目されるジョルジーニョだ。移籍1年目の昨季は、中盤最深部の司令塔として周囲の見方を前線に押し上げる仕事に徹したが、カンテとのコンビでは、自らも攻め上がる機会が増える。昨季途中から対戦相手の徹底マークにあった当人も、「もっとフリーでボールを持てるからクリエイティブにプレーしやすくなる」と前向きで、自ら「アシストもこなせると思う」と語り、パス本数はリーグ最多でもアシストのなかった昨季「横パス王」の汚名返上にも意欲的だ。ピッチ上で発する声もボリュームを増した27歳は、直接的に得点に絡む姿を披露してくれると思われる。
最終ラインでは、もともと声の出るダビド・ルイスがリーダー格。昨季にチームCB陣で最高の安定性を見せたアントニ・リュディガーが、今春に手術を受けた左膝のケガから回復中という事情もあり、チェルシーの30代には異例の2年契約を今夏に結んだブラジル代表DFは、プレシーズン中にメディア対応を任された頻度からしても、背後でゴールを守るケパもまだ24歳のチームにあって、舞台裏の「ロッカールーム隊長」を超えた重要性を思わせた。
監督からして41歳と若いチームは、トップ4維持が具体的な目標になるだろう。ランパード自身は、プレシーズンに入って「優勝争い」も目指すと示唆してはいる。だが、通年の戦いぶりでは昨季3位が妥当だったトッテナムの補強意欲も認識しているはず。その状況下で、若手にチャンスを与えて1軍戦力に育てつつ、アーセナルとマンチェスター・ユナイテッドとの4位争いを制することができれば、アザールの孤軍奮闘なしにはあり得なかったリーグ3位とヨーロッパリーグ優勝に漕ぎ着けた、前体制下での昨季に勝るとも劣らない成果となる。
そのためには、チェルシー経営陣も従来とは異なる姿を見せる必要がある。傍目には「経験の乏しい新米」と映るランパードは、就任が決まった瞬間から大手ブックメイカーの予想による解任第1号監督の最有力候補。先のレディング戦では、先制を許した前半に、ホームの相手サポーターから「朝一で解任!」と“口撃”されもした。アウェイでマンチェスターUと対戦する開幕戦で黒星スタートとでもなれば、いきなり本格的なプレッシャーにもさらされる事態も想像にかたくない。その際、これまでは水面下で後任監督探しに動くのが常だったフロントが、勇気あるランパードの新監督抜擢を、毅然とした全面支援の公言という、かつてない行動でフォローできるかどうかが非常に興味深い。外野では補強禁止による停滞や後退も危惧される一方で、実際には明確なアイデンティティを持つチェルシー像に向けて、かつてない進展も遂げ得る斬新な「ランパード軍」。正式な戦いは、8月11日のオールドトラッフォードで幕を開ける。
Photos : Getty Images
Profile
山中 忍
1966年生まれ。青山学院大学卒。90年代からの西ロンドンが人生で最も長い定住の地。地元クラブのチェルシーをはじめ、イングランドのサッカー界を舞台に執筆・翻訳・通訳に勤しむ。著書に『勝ち続ける男 モウリーニョ』、訳書に『夢と失望のスリー・ライオンズ』『ペップ・シティ』『バルサ・コンプレックス』など。英国「スポーツ記者協会」及び「フットボールライター協会」会員。