名優たちの“セカンドライフ”
欧州のトップリーグで輝かしい実績を残した名優たちが、新たな挑戦の場として欧州以外の地域へと旅立つケースが増えている。しかし、そのチャレンジの様子はなかなか伝わってこない。そんな彼らの、新天地での近況にスポットライトを当てる。
from USA
Nicolás LODEIRO
ニコラス・ロデイロ
「ウ・ル・グアージョ! ウ・ル・グアージョ!」――「ウルグアイ人」を称えるコールが響き渡るボンボネーラ(ボカ・ジュニオールのホームスタジアム)の光景を、ロデイロは今でも鮮明に覚えている。
ほんの1年半足らず在籍しただけだったが、毎試合ピッチで全力を出し切ったロデイロはボカのサポーターたちの心をしっかりとつかんだ。闘志あふれるウルグアージョと情熱的なボケンセたちは完全に相思相愛の関係で結ばれていたのだ。
シアトル・サウンダーズへ移籍したのは2016年7月、コパ・リベルタドーレス準決勝で痛恨の敗退を喫した後のこと。
「移籍を決意するのは容易なことではなかった。長い間ボカでプレーすることを夢見ていた者として、お別れはとても辛い。(シアトルからは)もっと早く加入してほしいと言われていたけど、僕はリベルタが終わるまでボカにいたかった。期待に応えることができなかったとしたら謝りたい。自分は常にベストを尽くしたつもりだ」
惜しみ、惜しまれつつボカを去ったロデイロは、未知の世界だったMLSで新たなキャリアをスタートさせた。
「サウンダーズの象徴」
シアトルでロデイロ獲得を誰よりも切望していたのは、当時監督を務めていたシギ・シュミット(2018年12月に死去)だった。だが皮肉なことに、シュミットはロデイロ入団が実現した時、すでにチームを去っていた。「シギは僕のプレーをよく知っていて、全面的に信頼してくれていた。自分を欲しがった監督がいないチームでの挑戦に、最初は不安を抱いた」というロデイロだったが、間もなくそんな心配は余計だったと気づくことになる。新しい環境に難なく馴染み、瞬く間にサポーターから愛される存在になったからだ。
その後シアトルは順調に勝ち点を加算し、プレーオフを制して優勝を遂げる。初めてのシーズンで満足の行くパフォーマンスを披露した上にタイトルを獲得したことで、チームを代表するスターの一人として確固たる地位を築いた。
だが、18年のロシアW杯では予備登録されながら最終メンバーに選出されず。10年、14年と2大会連続出場し予選でも定期的にメンバー入りしていただけに、そのショックはかなり大きなものだった。
「とても悲しいけど、シアトルのチームメイトのためにも打ちひしがれたままでいるわけにはいかない。それに、ウルグアイ代表の仲間は家族のようなもの。いつかまた代表に戻れるように努力するつもりだ」
ウルグアイ代表復帰は、思いのほか早く実現した。昨年9月に行われたW杯後初の親善試合で、負傷したアラスカエタの代わりに招集されたのである。有望な若手を基盤とする中盤の改革に伴い世代交代が進むウルグアイにおいて、ロデイロの立場は決して安泰とは言えないが、コパ・アメリカのメンバーに晴れて選出された。
またシアトルでは今年3月からキャプテンに就任。ガース・ラガーウィGMからも「ニコ(ロデイロ)は選手として常に全力を尽くすだけでなく素晴らしい人格の持ち主であり、文字通りサウンダーズを象徴する存在」と絶賛されている。ボケンセたちからもボカへの復帰を望む声はあとを絶たず、30歳になった今、まさにキャリアの全盛期にあると言えるだろう。
Nicolás Lodeiro
ニコラス・ロデイロ
(シアトル・サウンダーズ)
1989.3.21(30歳) 170cm / 68kg MF URUGUAY
2007-10 Nacional
2010-12 Ajax (NED)
2012-14 Botafogo (BRA)
2014-15 Corinthians (BRA)
2015-16 Boca Juniors (ARG)
2016- Seattle Sounders (USA)
Photos: Getty Images
Profile
Chizuru de Garcia
1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。