ブラジル復権の鍵「ジンガ」 王国に根づく哲学を再考する
TACTICAL FRONTIER
サッカー戦術の最前線は近年急激なスピードで進化している。インターネットの発達で国境を越えた情報にアクセスできるようになり、指導者のキャリア形成や目指すサッカースタイルに明らかな変化が生まれた。国籍・プロアマ問わず最先端の理論が共有されるボーダーレス化の先に待つのは、どんな未来なのか? すでに世界各国で起こり始めている“戦術革命”にフォーカスし、複雑化した現代サッカーの新しい楽しみ方を提案したい。
近代的なスタジアムと、世界各国から集められた優秀なプレーヤー。グローバル化する世界において「資本主義の象徴として君臨する」多くのビッグクラブを抱える欧州に対し、南米のクラブは近年「スター選手を欧州に奪われる」という残酷な事実に苦しんでいる。クラブW杯での結果も象徴的で、欧州のクラブが6大会連続で優勝。2012年にチェルシーを破ったコリンチャンスが、過去10年で唯一の南米勢からの優勝チームだ。
欧州に天秤が傾いていく世界的な潮流に逆らうことは難しく、同様にフットボール理論という視点でも「欧州発の理論」が最先端として評価されている。南米大陸は未知の大陸のように扱われ、欧州最先端のフットボール戦術がメディアを彩っていく。一方で、実際は多くの南米出身者が欧州トップリーグで主力として活躍しているように、彼らの育成システムや哲学が劣っていると結論づけるのは早計だ。今回は王国ブラジルにおける重要な哲学「ジンガ」を再考してみたい。
ジンガとゲームモデルの関係
「サッカー王国」ブラジルにとって、2014年W杯のドイツ戦は屈辱的な試合だった。自慢の攻撃力を嘲笑うように7ゴールを奪われるという「王国の凋落」は、グローバル・フットボールの勢力図を大きく揺るがした。その際に、ブラジル代表の伝説的なプレーヤーだったペレは「ブラジルを強豪国に戻すには、個々のジンガを磨かなければならない」と述べている。この「ジンガ」とは何なのだろう。
歴史的な文献をたどってみると、もともとブラジルのフットボールが大きく変化したのは1920~30年頃と考えられている。人種・階級を超えた交流が盛んになったことを契機に、アフリカの文化であるカポエラやサンバのような格闘技・ダンスにおける「動きのパターン」を模倣するという試みがスタート。「リズムを重視した、トリッキーで創造的なスタイル」を「従来のフットボール文化」と融合することで、ブラジルのフットボール哲学が生み出された。このような歴史的なルーツが、ブラジルのフットボールを支えている。
現在のブラジル代表を背負う絶対的なエースであるパリSG所属のネイマールは、ペレいわく「ジンガの血脈を感じる数少ない存在」だ。同時に、芸術的な文化と色濃く結びついたブラジルのフットボールは「アレグリア(喜び)」を重視している。バルセロナやミランで活躍したロナウジーニョは象徴的で、驚異的なスキルと創造性によって「フィジカルによって支配されていく」欧州のフットボールに彩りを加えた。足下に吸いつくようなボールスキルと、踊るようにリズミカルなドリブルからのトリッキーなパスは、彼の代名詞となった。
現代フットボールで重視されている「ゲームモデル」という概念は、様々な要素が絡み合っているコンセプトだ。その中には「クラブが属している国のサッカー文化」という要素も存在している。多くの指揮官が、ブラジル代表を率いていく中で「ゲームモデル」の統一という命題に挑んできた。
例えば闘将ドゥンガは、堅実な守備と速攻をベースとした「欧州式」のゲームモデルを導入。多くの選手が欧州でプレーするようになっていた2010年W杯において、コレクティブな守備と速攻を武器にしたブラジル代表を構築した。中核となったのはカウンターの申し子であったカカーと、前線で起点になるルイス・ファビアーノ。ロビーニョの存在がアクセントを加えるコンビネーションを主体とした速攻は、新たな可能性を感じさせた。強固な組織と個の融合は、新たな領域にブラジル代表を導くかと思われたが、準々決勝オランダ戦でのフェリペ・メロの退場がすべての歯車を狂わせることになる。もともと守備的なボランチを並べるドゥンガのスタイルは国民の評価も低く、フェードアウトしていくことになってしまった。
様々な挫折を経てきたブラジル代表の復権を目指し、現在の指揮官アデノール・レオナルド・バッチ、通称「チッチ」は明確なゲームモデルの浸透を目指している。ヨーロッパの戦術を積極的に学んでいることでも知られる彼は、「コンパクトな距離感を保ち、数的優位を作り出すチーム」を好む。DFラインを押し上げながら、マルセロとネイマールの左サイドで三角形を作り出し、前線にはゼロトップに近いポジショニングを保つガブリエウ・ジェズスやロベルト・フィルミーノを起用する。
彼の最終目標は、ブラジルに根づく「ジンガ」という哲学によって生まれる「即興的なチームワーク」を最大限に生かすこと。チッチは当時レアル・マドリーを指揮していたカルロ・アンチェロッティから「状況に応じ、可変する守備システム」を含む戦術的なアプローチを吸収した。NBAの試合を例に、絶対的なエースであるレブロン・ジェームズがチームを優先してパスを選択したプレーを称賛し、代表の選手にも同様の振る舞いを求める。彼が目指すのは、ブラジル人プレーヤーを組織の中で輝かせる「ゲームモデル」の明確化だ。時間が限られた代表チームでは難易度の高い課題に、ブラジル屈指の智将が挑んでいる。
「駆け引き」の質的優位
「質的優位」という観点においても、ブラジル人プレーヤーは他を圧倒する。例えばバイエルンにおいて、アイソレーションから相手守備陣を翻弄したドウグラス・コスタは、ペップ・グアルディオラの理想を実現するうえで欠かせないウイングの一人だった。片方のサイドでの密集を作り出し、相手を寄せてからの展開によって優位性を生かすスキームはポジショナルプレーの基本だが、多くのクラブが「質的優位」をブラジル出身の選手に求めている。
CLの舞台でユベントスとレアル・マドリーを倒し、欧州中の注目を集めたアヤックスでは22歳のダビド・ネレスが眩い輝きを放つ。プレミアリーグのエバートンではリシャーリソンが主軸として君臨し、レアル・マドリーでも18歳のビシニウス・ジュニオールが活躍中だ。
彼らは独特のリズムと「ボールをさらすようにアウトサイドを多用するドリブル」によって、自らの意図を徹底的に隠そうとする。ボールを置く位置を工夫することで、相手に様々な選択肢を提示していくのだ。
音楽家でありながら、サッカーについてのエッセイも寄稿するジョゼ・ミゲウ・ウィズニキの言葉は示唆に富む。彼の表現を拝借すれば、「ジンガ」とは「瞬間的な、状況打開力」だ。こう着した状況を動かすために、ジンガの感覚に優れたブラジル人ドリブラーは「独特のリズム」で相手の守備者を迷わせる。飛び込めば逆を狙われ、時間を稼ごうとすると一気のスピードアップで突破。常に「相手に後手を踏ませる」駆け引きが彼らの真骨頂だ。「質的優位」はスピード・高さ・技術のような「相手選手を必要としない」要素が主だが、「緩急やフェイントを使った、対面するDFとの駆け引き」というのも一種の質的優位だ。文化的に根づいた「駆け引き」の質的優位を武器に、ブラジル人アタッカーはポジショナルプレーにも適応している。
ストリート衰退後のフットボール
2000年代、王国ブラジルを支えてきた育成年代の指導者たちは「異変」に気づいていた。急速な都市化によるストリートフットボールの衰退は、多くの名手を輩出してきた環境を失うことに繋がっていく。その状況を打破することを目指し、彼らは積極的に「構造化されていないトレーニング」や「制約主導型のトレーニング」を育成年代に導入。
例えば、視野を広げながら即興的な連係が可能な選手を育てるために「ビブスではなく、ヘッドバンドでのチーム分け」によるゲーム形式のトレーニングや、イレギュラーバウンドが頻繁に発生するように「ラグビーボールを使用する」メニューを取り入れている。
その結果として、「献身的な守備参加」や「柔軟な戦術理解能力」に「ジンガ」を兼ね備えた新世代のハイブリッド種が台頭してきている。リバプールに所属するフィルミーノや、マンチェスター・シティのジェズスはハイブリッド種の筆頭だろう。彼らはピッチ上の様々なエリアで適切なプレーをこなしながら、局面を打開することが必要になれば「ジンガ」を解き放つ。
ブラジルの至宝ネイマールも、バルセロナではメッシとルイス・スアレスをサポートすることが求められる環境で、自己犠牲的な守備貢献と「オフ・ザ・ボールの動き出し」を披露。単なる旧来の「王様」ではなく、チームに適応することが可能な柔軟性を示した。彼らのようなハイブリッド種の存在――欧州的な理論と「ジンガ」の柔軟な融合こそが「王国の復権」に繋がっていくのかもしれない。
グローバル化の進むフットボールの世界で、自国外でプレーする選手は1万2000人。驚くべきことに、その「10%」はブラジル人だ。世界のフットボールを席巻する「王国の反撃」に期待しよう。
知られざる北中南米発の戦術トレンド
Photos : Getty Images
Profile
結城 康平
1990年生まれ、宮崎県出身。ライターとして複数の媒体に記事を寄稿しつつ、サッカー観戦を面白くするためのアイディアを練りながら日々を過ごしている。好きなバンドは、エジンバラ出身のBlue Rose Code。