2017年1月22日、ギャリー・ケイヒルと衝突してピッチに倒れた際、メイソンはすぐに自身が深刻な状態だと理解した。のちの現地インタビューで語ったところによれば頭蓋骨の骨折で「顔の右側が完全に麻痺していた」といい、救急車の中ではいわゆる“走馬灯”も見たという。運び込まれたロンドンのパディントンにあるセントメアリー病院ではすぐに手術が行われ、メイソンは頭蓋骨に「14枚の金属プレートと28本のボトル」が埋め込まれ、頭部には42針もの縫い傷が残った。退院後、自宅で「自分でグラスを持ち、オレンジジュースを飲んだ」だけで「素晴らしい」と感じたというエピソードが、このケガがいかに恐ろしいものだったかを物語っている。
それでも、メイソンは歩けるようになり、ジョギングができるようになると、「もう一度ピッチに立ちたい」という夢を抱くようになった。イングランド代表歴もあったし、「選手としてピークはこれから」という思いが強かったからだ。その一心でメイソンはリハビリに励んだが、診断を仰いだ様々なドクターの答えはどれも「ノー」だった。脳に一度強い衝撃を受けた人間がもう一度脳震盪を起こした際の「セカンドインパクトシンドローム」は最悪、死に至る――。ケガからちょうど1年あまりが経った2018年2月、「フィジカル的にはまったくもって元気」ではあったものの、メイソンは現役復帰を諦めた。
夢を断たれた彼の無念は計り知れないが、それでも彼は幸運だったとも言える。それは2006年10月に当時チェルシーのGKペトル・チェフ(現アーセナル)が同じように頭蓋骨を骨折した際、30分以上も救急車を待たねばならなかった苦い経験がプレミアリーグの規則を変えたことに由来する。それを機にスタジアムには救急車が配されるようになり、ピッチサイドには「トンネルドクター」が待機するようになった。メイソンがすぐに病院へと運ばれ、無事で済んだのもこのおかげだ(症状は違うが、このガイドライン改正は2012年にピッチで心停止になった元ボルトンのファブリス・ムアンバの命も救っている)。
とはいえ、サッカーが接触プレーである以上、脳震盪はなくならない。現在も規則改正の議論は盛んで、一部のクラブドクターらは脳震盪を起こした選手を対象に10分程度の「一時交代」を可能にし、治療や診断に最善を尽くすべきだという声も挙がっている。現在は古巣トッテナムのユースコーチを務めるメイソン自身もまた、技術が未熟で頭のてっぺんでボールを捉えがちな7、8歳の子供は「脳のダメージを減らすためにヘディング原則禁止にすべき」と持論を語るなど、自分と同じ悲運を味わう選手を少しでも減らすために発信を続けている。賛否両論はあれど、こうしたドクターや“悲劇の経験者”たるメイソンらの意見は一考に値する。
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Profile
寺沢 薫
1984年生まれ。『ワールドサッカーグラフィック』編集部を経て、2006年からスポーツコメンテイター西岡明彦が代表を務めるスポーツメディア専門集団『フットメディア』に所属。編集、翻訳をメインに『スポーツナビ』や『footballista』『Number』など各媒体に寄稿するかたわら、『J SPORTS』のプレミアリーグ中継製作にも携わった。