“感動的でした。絶対に戻ってくる、と決意しました”
Ryo MIYAICHI
宮市 亮
FW12|ザンクトパウリ
1992.12.14(26歳) JAPAN
アーセナルにまばゆいまでの才能を評価され、Jリーグを経ることなく欧州の舞台へ――フットボールのグローバル化を象徴する存在になる可能性もあった快速アタッカーは、18歳で華々しいデビューを成し遂げる。しかし、成功に彩られるはずだった彼のキャリアは、過酷な環境と不運に行く手を阻まれてきた。
1207日。宮市亮がケガによって離脱していた期間だ(ドイツ『Transfermarkt』による集計)。8年のキャリアのうち3年以上の月日をケガとの闘いに費やすことになった男は、2015年にアーセナルから放出される。武者修行先のボルトンやフェイエノールトでは攻撃的なポジションを与えられ、そのキレ味とスプリント能力を発揮したものの、アーセナルのトップチームで評価されるには至らず。ウィガン時代にはウイングバックやトップ下でも試されたが、適応に失敗。負傷の影響やローンが続く境遇もあり、チームに馴染む時間を得ることも叶わなかった。
宮市を特に苦しめているのは膝のケガだ。爆発的なスプリントを武器にしていた元ブラジル代表FWロナウドが膝の靭帯断裂に苦しんだように、瞬間的なスピードで勝負する宮市もプレースタイル的に負荷が膝へと集中しやすい。激しいタックルを日常的に浴びなければならないイングランドを主戦場に選んだことが、発展途上の肉体を傷つけることになってしまった。
勤続疲労のように溜まったダメージは20代中盤になっても完全には回復しておらず、ザンクトパウリ加入後の2015年夏に左膝の前十字靭帯を断裂。17年には逆足である右膝の前十字靭帯を断裂している。過酷なリハビリを経験した後の18年には3度目の靭帯断裂も危惧された。
最終的に致命的なケガとならずに済んだのは不幸中の幸いだったが、そんな宮市にとって「苦しい状況でも支えてくれるチームメイト」が心強い存在になった。昨年5月のリーグ第33節ビーレフェルト戦前、チームメイト全員が「YNWA(You’ ll never walk alone)13 宮市亮」と書かれたシャツを着て、ケガの検査を控えていた宮市を励ましたのだ。
逆サイドから飛び込んでのダイビングヘッドや、抜け出してのヘディングシュートでゴールを記録しているように、現在の宮市はこれまで以上にオフ・ザ・ボールの質を高めている。しかしながら、得意のドリブルも錆びついてはいない。いまだにファウルをもらう回数は多く、「スピードで勝負するタイプなので、どうしても相手からファウルを受ける回数は増えてくる」と語るドリブラーは、イングランドの観衆を魅了した突破力を取り戻そうとしている。「家族もハンブルクでの生活を楽しんでいるし、このクラブに残りたい」と地元紙に語る26歳は、ついにたどり着いた居場所で輝きを放ってくれるだろうか。
Photo: Bongarts/Getty Images
Profile
結城 康平
1990年生まれ、宮崎県出身。ライターとして複数の媒体に記事を寄稿しつつ、サッカー観戦を面白くするためのアイディアを練りながら日々を過ごしている。好きなバンドは、エジンバラ出身のBlue Rose Code。