コカイン陽性でW杯後、再謹慎。パオロ・ゲレーロ、ついに復帰へ
名優たちの“セカンドライフ”
欧州のトップリーグで輝かしい実績を残した名優たちが、新たな挑戦の場として欧州以外の地域へと旅立つケースが増えている。しかし、そのチャレンジの様子はなかなか伝わってこない。そんな彼らの、新天地での近況にスポットライトを当てる。
from BRAZIL
Paolo GUERRERO
パオロ・ゲレーロ
昨年のロシアW杯開幕前、ある点取り屋の大会参加をめぐって騒動が巻き起こったのを覚えているだろうか。主人公の名前はパオロ・ゲレーロ。ペルー代表を牽引するベテランストライカーだ。
ゲレーロは2017年12月、ドーピング検査でコカインの陽性反応が検出され1年間の出場停止処分を受けた。本人は「(ペルー名物の)コカ茶を飲んだだけ」と摂取を否定し、処分の撤回を要求。裁定は二転三転したが、最終的には14カ月間の出場停止処分が科される一方、特例としてW杯期間中は処分が凍結されるという“大岡裁き”が下され、晴れて本大会に出場。GS最終節オーストラリア戦で1ゴール1アシストの活躍を見せ、チームを勝利に導いた。
現在はブラジルで活躍しているが、もともとはドイツでブレイクした選手だ。アリアンサ・リマの下部組織に所属していた2002年9月、祖国の英雄クラウディオ・ピサーロ(現ブレーメン)の推薦によってバイエルンのセカンドチームに引き抜かれると、得点を量産。2004年10月23日のハンザ・ロストック戦でトップチームデビューを飾った。2006年6月にはハンブルクに移籍。エース級の活躍を見せたが、ペルーに帰国した際、急に飛行機恐怖症を発症してチーム合流が遅れたり、ヤジを飛ばしたサポーターにペットボトルを投げつけて出場停止処分を受けたりと、問題児の側面をのぞかせることもあった。
2012年、欧州に別れを告げブラジルのコリンチャンスに移籍。同年のFCWCではエメルソン(元浦和レッズなど)らとともに前線をけん引し、決勝でチェルシーに引導を渡すヘディングシュートを決めたことを記憶している方も多いのではないだろうか。2015年には活躍の場をフラメンゴに移し、4シーズンで公式戦通算112試合43ゴールの成績を残した。
そしてロシアW杯終了後の昨年8月12日、3年契約でインテルナシオナウに加入。ところが、直後に出場停止処分の凍結が解除されたため、今なおインテルナシオナウでのデビューを果たせずにいる。
「プレゼントも祝福の言葉もいらない」
35歳の誕生日となった1月1日、自身のInstagramに「プレゼントも祝福の言葉もいらない。とにかくサッカーがしたい」と綴ったゲレーロの処分が明けるのは4月5日。チームのトレーニングには2カ月前の2月5日に合流した。インテルナシオナウでのデビュー戦は、4月24日のコパ・リベルタドーレスの試合が予定されている(編注:最新の報道では4月6日のリオグランデ・ド・スル州選手権準決勝での新天地デビューが見込まれている)。相手は奇しくも彼の古巣であるアリアンサ・リマ。復帰の舞台としてはこれ以上ないものだ。
Um dia de reencontro! Guerrero voltou, vestiu a camisa e iniciou o trabalho para 2019. ??? Assista! ▶ #VamoInter pic.twitter.com/lIeif0nGBV
— S. C. Internacional (@SCInternacional) 2019年2月6日
6、7月にブラジルで開催されるコパ・アメリカ出場にも意欲を見せているゲレーロ。復帰すれば、大会開幕までのおよそ2カ月間で十分にコンディションを取り戻せるだろう。コパ・アメリカとは非常に相性が良く、2011年、2015年大会でいずれも得点王に輝いている。
今回のコパ・アメリカで、ペルーは開催国ブラジルと同じ組に入った。残り2チームはボリビアとベネズエラ。なぜかいつも開催国と同組に入る、南米の中では格下とされる2カ国だ。つまり、ペルーにも決勝ラウンド進出のチャンスは十分にある。そこで彼が日本の前に立ちはだかる可能性もゼロではないのだ。
Paolo Guerrero
パオロ・ゲレーロ
(インテルナシオナウ)
1984.1.1(35歳)185cm/80kg FW PERU
2004-06 Bayern (GER)
2006-12 Hamburg (GER)
2012-15 Corinthians (BRA)
2015-18 Flamengo (BRA)
2018- Internacional (BRA)
Photos: Getty Images, Bongarts/Getty Images
Profile
池田 敏明
長野県生まれ、埼玉県育ち。大学院でインカ帝国史を研究し、博士前期課程修了後に海外サッカー専門誌の編集者に。その後、独立してフリーランスのライター、エディター、スペイン語の翻訳家等として活動し、現在に至る。