「ケガとともに生きた」選手たち#1
3月12日に発売された『月刊フットボリスタ第67号』では「ケガとともに生きる」と題し、アスリートにとって逃れることのできないケガにサッカー界がどう向き合っているのか、不運に見舞われた選手たちの逆境の乗り越え方、人生への向き合い方から、なかなか表に出ないケガの予防、治療、リハビリにまつわる最新事情までを取り上げている。
ただ実は、フットボリスタがこうしてケガについて特集するのは初めてではない。ちょうど10年前の2009年11月5日発売号で、負傷に泣かされた選手たちの状況や当時の最新事情にフォーカスしていた。そこで今回の最新号に合わせて、当時の特集からいくつかの記事をピックアップして掲載する。
#1は“悲運の天才”セバスティアン・ダイスラー。ドイツの未来を担うはずだった男を早過ぎる引退へと追い込んだもの、それは心身の“傷”だった。
※2009年11月5日発売『週刊footballista #142』掲載
Sebastian DEISLER
セバスティアン・ダイスラー|元バイエルン
「もう自分の膝を信じられない」。そう言ってダイスラーが引退を発表したのは、07年1月16日のことだ。5度の手術により膝はボロボロになり、うつ病を患って心もズタズタになった。その結果、“100年に1人の天才”と期待された男は、27歳でスパイクを脱ぐことになってしまったのである。
ダイスラーが負った主なケガを列挙してみよう。98年9月:右膝の十字靭帯断裂と半月板損傷(手術)、99年4月:内側靭帯伸張、同12月:右膝の十字靭帯断裂(手術)、00年3月:そけい部炎症(手術)、01年2月:右太腿の肉離れ、同10月:右膝の被膜損傷(手術)、02年5月:右膝の軟骨損傷(手術)、03年11月:うつ病で入院、04年10月:再びうつ病で入院、06年3月:右膝の軟骨損傷(手術)。とても一人の選手に起こったものとは思えない。彼は2度もW杯直前に膝を負傷し、02年日韓大会と06年ドイツ大会を棒に振ってしまっている。
ダイスラーは引退後、表舞台から完全に姿を消していたが、09年10月、自伝本を発売してついに沈黙を破った。そこで彼は、引退のもう一つの理由を赤裸々に告白した。彼は所属クラブで“いじめ”に遭っていたのである。「バイエルンでは陰口を叩かれていた。それが我慢できなかったんだ。今でも顔を見たくない人間がいる」。チームメイトさえもが敵になったのだから、「心が空っぽになり、疲れてしまった」のも仕方がないかもしれない。ダイスラーは突然の引退会見後、チームメイトには誰にも挨拶せずにクラブハウスから立ち去っていた。
今年8月、ダイスラーはベルリンから故郷のレーラッハに引っ越し、静かな生活を送っている。「将来、サッカースクールを開くのが夢なんだ。子供たちにサッカーの喜びを伝えたくて」。
この悲運の天才が第二の人生において、今度こそ思う存分にサッカーを楽しめることを祈りたい。
Photos: Bongarts/Getty Images
Profile
木崎 伸也
1975年1月3日、東京都出身。 02年W杯後、オランダ・ドイツで活動し、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材した。現在は帰国し、Numberのほか、雑誌・新聞等に数多く寄稿している。