特殊ゆえに孤独なポジション。GKを支える「心理学」
TACTICAL FRONTIER
サッカー戦術の最前線は近年急激なスピードで進化している。インターネットの発達で国境を越えた情報にアクセスできるようになり、指導者のキャリア形成や目指すサッカースタイルに明らかな変化が生まれた。国籍・プロアマ問わず最先端の理論が共有されるボーダーレス化の先に待つのは、どんな未来なのか? すでに世界各国で起こり始めている“戦術革命”にフォーカスし、複雑化した現代サッカーの新しい楽しみ方を提案したい。
フィールドで唯一、手を使うことを許されたポジション――フットボールというスポーツにおいて、GKは特殊な存在だ。
ゴール前に君臨する守護神は、90分間の孤独な闘いに身を委ねている。北アイルランドの伝説的守護神パット・ジェニングスは、「成功を重ねていく中で、パフォーマンスに対するプレッシャーは強まっていく。大観衆の前で、試合の勝敗に直結するような状況でこそ、精神的な強さが試される」とコメントしているが、90分間の大半を動き続けるフィールドプレーヤーと比べても「集中力を保つのが難しい」のがGKというポジションだろう。今回は、最後の砦として自陣のゴールを背負う守護神の脳内を探ってみたい。
PKは心理戦?それとも統計学?
バレンシアやアルメリアで活躍したブラジル人GKジエゴ・アウベスは、リーグ屈指の「PKストッパー」として知られていた。ペナルティキックを「心理戦」と明言する彼は、試合前からの準備を怠らない。近年は一般的な試みになっているビデオでの分析に加え、PKになるまでの状況を想定する。
「もし試合がPK戦になったと仮定して、あらかじめ複数のストーリーを準備する。さらに、相手選手の感情や心理状態を探ることも必要だ。PKの前に、直接キッカーとなる選手と会話することが好ましい」
相手の心理状態を理解し、優位な状況を作り出す。PKが駆け引きである以上、ゲームの前に「相手の思考を探ろうとする」アウベスのアプローチは理に適っている。まるでポーカーがスタートする前に相手の手札を把握するかのように、アウベスは相手の選択肢を先読みしてしまうのだ。左右にダイブすることがセービングの成功に繋がることから、PKを「統計学的」な観点から研究するケースは多い。しかし、実際はアウベスが示唆するように「感情」や「心理」の観点を除外することは難しい。
特に、行動経済学者のオフェル・アザルが2006年に発表した論文「PK時のアクション・バイアス」は示唆に富む。この研究によれば、統計学的に「左にダイブする」「右にダイブする」「定位置に留まる」の3択では「定位置に留まる」ことが「セービングの確率が最も高い」ことが証明されている。しかし、実際に「定位置に留まる」ことを選んだGKは全体の6%に過ぎなかった。インタビューによって彼らの思考を読み解いたところ、明らかになったのは「感情的なバイアスが、GKの選択に大きな影響を与えている」という事実だ。なぜならGKにとって、「左右へのダイビングというアクション自体が成果に繋がる」というバイアスから逃れることは簡単ではないからだ。大観衆の注目を一身に浴びる中「ゴールの中央で動かない」という選択をするには、セービングできなかったという結果に終わった場合の「プレッシャーを受け入れる覚悟」が必要だ。実際は「何もしない」ことが成果に繋がるとしても、それを受け入れることは簡単ではない。
加えて、外的な環境に依存するバイアスも存在している。アムステルダム大学のマリーケ・ロスケスを中心としたグループが2011年に発表した研究によれば、GKは極度のプレッシャー下では「右にダイビングする」確率が高いそうだ。この研究では、バイアスと「左脳の働き」が連動しているという仮説を主張しており、動物の行動学でも同様の研究が存在する。特に「思考時間が極限まで削られる状況」になると、選手は右方向にダイビングする傾向にある。時間があれば理性的な対応が可能でも、時間が限られた局面では「左脳的な本能」に頼ってしまうのだろう。このような研究を考慮すれば、ビハインドの絶体絶命な状況でこそGKは「間」を作る必要がある。冷静な状態を保つことは、結果的にセービングの精度を高めることに繋がるのだ。ドイツ代表として活躍したオリバー・カーンも「PKは心理的なゲームであり、ボディ・ランゲージとアイコンタクトは重要な要素だ」と明かしているが、心理学的な知識は駆け引きに勝つ「武器」になり得る。
GKのパフォーマンスと「心理学」の関係
35歳の元イングランド代表GKベン・フォスターは、「すべてのチームはスポーツ心理学者を雇用するべきだ」と断言する。彼はワトフォード時代に心理学者キース・ミンチャーと出会ったことを機に、心理学の世界に魅了されることになる。イングランド代表時代に心理学者としてチームに帯同したスティーブ・ピーターズの著書を愛読していた守護神は、「トップクラブには多くのコーチングスタッフがいるが、脳という重要な領域を担当するスタッフは足りていない」と問題提起する。他のポジションと比べても、GKにとって心理学的な要素が重要となることは、イェール大学の研究でも証明されている。GKと他のポジションを比較した同研究によれば、GKの選手は「心理面の対処能力」における自己評価が突出していた。この対処能力は、逆境への対応能力・プレッシャーへの適応能力・目標の設定能力・自信・目標を達成することへのモチベーションなどの要素が含まれている。ハンガリー体育大学での研究でも同様の結果が得られているが、一方で「自信」のスコアが他のポジションに比べて低いことも判明した。
ジャンルイジ・ブッフォンは「GKとしてプレーする選手にとって人生で確かなことは失点することだけだ。そして、失点はGKにとって喜ぶべきことではない」とGKの難しさを表現する。精神的に強い選手であっても「パフォーマンスを一定に保つこと」は簡単ではない。特にトップレベルでの経験が不足している若い選手にとって、自らのミスを原因とした失点は精神的な動揺に直結する。メディアの批判的な記事による影響も大きく、3人のGKをインタビューしたノルウェーの研究では「冷静に記事の中から事実だけを抽出するスキル」だけでなく、批判的なメディアを読むことを避ける「回避型」の対応策も奨励された。コーチと選手の信頼関係が構築されていれば、指導者とともにミスを繰り返さないようにトレーニングを改善することも可能だ。
心理学的なトレーニングの重要性が、着目されるべきテーマであることに疑いの余地はない。例えば「Imagery(心象)」と呼ばれるアプローチは「意識的に、実際の状況に近いイメージを想像する」ことで、選手のパフォーマンスを向上させる。実際の試合での状況をイメージするトレーニングは、選手が「自信を保ちながらプレーし、集中力をコントロールすること」を助ける。ジョアナ・リベイロがポルトガルのプロリーグに所属するGKを対象とした研究によれば、すでに多くの選手が同様のアプローチを取り入れていることが判明。リベイロは「ポルトガルサッカー協会は、イメージトレーニングの重要性を指導する授業や訓練を導入するべきだ」という結論に至った。また、試合後にイメージトレーニングの効果を高めるには「落ち着いた音楽を流すこと」が効果的だと考えられている。ゆったりとした音楽で集中力を高めることで、試合を明確にイメージすることが可能になるからだ。
心理学的な研究は、これまでGKというポジションの特異性をクローズアップしてきた。しかし、マヌエル・ノイアーが「GKはチームの一員として受け入れられるようになってきており、心理的にもチームメイトと近い存在になってきている」と言うように、ビルドアップへの貢献やDFとのコミュニケーションが求められている今、GKというポジションは「チームの一員」として見直されつつある。そういった視点で切り取れば、GKは現代フットボールの中で「孤独から解放されていくポジション」という見方もできるのかもしれない。
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Profile
結城 康平
1990年生まれ、宮崎県出身。ライターとして複数の媒体に記事を寄稿しつつ、サッカー観戦を面白くするためのアイディアを練りながら日々を過ごしている。好きなバンドは、エジンバラ出身のBlue Rose Code。