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アルゼンチンの監督学校で習った伝える力――教授法の3つの要素

2019.02.15

芸術としてのアルゼンチン監督論 Vol.5

2018年早々、一人の日本人の若者がクラウドファンディングで資金を募り、アルゼンチンへと渡った。“科学”と“芸術”がせめぎ合うサッカー大国で監督論を学び、日本サッカーに挑戦状を叩きつける――河内一馬、異国でのドキュメンタリー。

 歴史がなんだろうが、教育がなんだろうが、文化がなんだろうが、サッカー監督という職業で上の世界を見たいのであれば、スピーチをする力、つまり演説力を身につければならない。日本人でもアルゼンチン人でも、集団を説得することができなければ、サッカー監督なんて務まるはずがないのだから……と、少なくとも私はそう考えている。

 バロック時代、西洋ではすでに「雄弁術」が研究され始めていたらしい。ああ、気が遠くなる。つまり、目の前にいる観衆の心を動かし、自らの意思を伝えるために、どのような言葉を並べ、どう身体を動かすのか。顔の表情や、声の抑揚の付け方、何がベストな話し方なのかを追求し、それを根づかせていった。それだけ西洋では「人前に立って何かを伝えること」が重要視されていたのだ。イタリア人がリズミカルに抑揚をつけて話すのは、そのような歴史的背景がある。アルゼンチンをイタリア人移民と切り離して考えることはできないが、アルゼンチン人が話すスペイン語は、リズミカルで、抑揚があって、身体的運動が伴っていて、まるでイタリア語のようなのである。今回は、「アルゼンチン人は人前で話すのがうまい」ということを前提にして、それを後天的に身につけるために彼らは何をやっているのか?について触れていきたい。

■「言葉」「身体」「声」の三角形

 アルゼンチンの指導者養成学校には、「教授法・教育学」という授業がある。私がその授業を好きになったのは、講師が優しいおばちゃんだったからであるが、それに加えて内容がおもしろいからだ。私がアルゼンチン人から学びたいことは「知識」よりも「伝え方」である。それを学べるのがこの授業だった。この授業では主に、指導者が選手に自分の意図や意思を伝えるために、どのようなコミュニケーションを取るべきなのかを、実戦練習を交えながら学んでいく。日本ではやったことのないような「テスト」もあり、なるほどアルゼンチン人はこのように学んでいくのかと感心した。後ほどそれについても触れていこうと思う。

 まず授業が始まる際に言われたことは、「テクニックはいろいろあるけれど、大事なのは話に意図や目的があるかどうか。選手を混乱させないように、1回の話に目的は1つであるべき」ということだった。これから様々なことを学んでいく上で、最も重要なことを先に伝え釘を刺しておくことは、私たち指導者にも必要なことなのかもしれない。人は時より手段と目的を履き違えてしまう。

 授業の中で、講師が時より強調していた「三角形」がある。頂点には「言葉」があり、それを支える形で左下にある「身体(ボディランゲージ)」と、右下にある「声」によって構成されている三角形だ。つまり、私たちが伝えたい「言葉」は、「身体」と「声」なしには伝えることができない、という意味である。一見当たり前のように聞こえるが、特に私たち日本人はこのことを忘れてしまいがちである。例えばプレゼンの資料を作ることに必死になって、それを支える「ボディランゲージ」を練習したり、「声」の出し方(どのようなスピードや抑揚で話すのか等)に注力することをしない。ただ、それでは良い「言葉」も伝わらないのだということを、スピーチ文化のない私たちは今一度確認する必要があるのかもしれない。授業では、三角形を構成する「言葉」「身体」「声」について、それぞれ時間をかけて説明が行われた。

■「比喩」の効果、「ボリューム」と「リズム」

 例えば「言葉」のパートでは、「普段使うような言葉を用いるのと同時に、普段使わないような言葉も用いて話をするべきである」といったような「どのような言葉で伝えるべきか?」を教えられる。例えば「比喩」を使って話しをすることは、これに当てはまるのかもしれない。日常会話の中で使わないような言葉、あるいは普段グループで使っていないような言葉を用いることによって、その部分を強調し、強く印象に残すことができる。つまり「スピーチ用の言葉」もありますよ、ということだ。外国人のスピーチを見ていると、確かにうまい言い回しや、比喩表現を用いて話をすることが非常に多いように思う。講師いわく、「言葉を使った時、自分が考えていたメッセージの20%は失われる」ようであるから、その20%を計算に入れて伝えようとしなければならないのだ。

 「声」のパートでは、重要なのは「ボリューム」と「リズム」である、とまず教えられる。「いつも大声で話をしないことが、子供に話す時には重要」であることや、「受け手が飽きないように、異なる声質・リズムで話すことを試みる」などの基礎的なテクニックを始め、それを身につけるために何を意識し、どう練習しなければならないのか、といったところまで講義があった。すべて書くのは文字数の関係で難しいが、例えば「新聞や、お気に入りの本を音読する」練習方法や、「声を録音する」ことで自分が発する声を気にかけることの必要性などである。自分の声を客観的に聞くことで、異なる口調・強調・スピード・ボリューム・表現を使う実験をすることができるからだ、と講師は言う。外国語と日本語の違いの1つは「自然に抑揚がつけられるか否か」だと私は考えているが、相手に何かを伝える時に「抑揚」が重要なのであれば、私たち日本人はスピーチをする際に「意識的に」行わなければならないことは明白である。

■有名監督の写真で異色のグループワーク

 中でも私が最も興味のある分野は「身体(ボディランゲージ)」だった。監督がベンチで行えるコミュニケーションは、ほとんどが「身体(ボディランゲージ)」にあると思っているからだ。個人的にも、試合中あらゆる監督がベンチでどのような表情をしているか、どのような仕草をするのかは、試合内容以上に注目して見てしまう部分である。

 アルゼンチンの指導者養成学校では、「移動」「頭」「手」「姿勢」「動作」「目」という6つの要因に分けてそれぞれ分析がされている。それらの授業を受けた上で、1年目のライセンス取得のための中間試験では、興味深いテストが行われた。受講者には、ビエルサ、メノッティ、サンパオリ、シメオネなどのアルゼンチン人監督の写真が載った用紙が渡される。その中には、物凄い形相で指を差す者や、選手の耳元に近寄って話す者、呆然と立ちつくす者、観客を煽る者、いろいろな状況の監督が映し出されている。私たち受講者は、それらの監督を見て、状況を読み取らなければならないのだ。監督は何を思っているのか、それを見て選手、または観客はどのように読み取るのか、それは適切なのか、そうではないのか……と言ったような具合である。それについて、事前にグループワーク(議論)も行った。つまり、監督(指導者)というものは、「見られている」ということを意識し、そしてそれが受け手にどのような影響を与えているのか「考えろ」ということだ。おそらくそこに正解はない。しかし、想像し、考え、その上で行動をする必要性があるのだ。

現在ブラジル1部サントスの指揮を執るサンパオリ監督

 今回伝えたかったことは、アルゼンチンで指導者が学んでいる「内容」そのものではない。先天的にスピーチがうまいと思っていたアルゼンチン人が、しっかりと後天的にそれを身につけるように努力をしている、という「事実」である。私は「ああ、やっぱりやってるんだよなあ」と、初めてこの授業を受けたときに思ったものだ。不幸かな、私たちには学校教育でこのようなことを学ぶ機会はない。であれば、何をしなければならないのかは、明白である。監督(指導者)が持つ知識は、伝えることができなければまったく意味を持たない、ということ今一度確認し、自分へのメッセージも込め、ここに記しておきたいと思う。

Photos: Getty Images

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アルゼンチン監督

Profile

河内 一馬

1992年生まれ、東京都出身。18歳で選手としてのキャリアを終えたのち指導者の道へ。国内でのコーチ経験を経て、23歳の時にアジアとヨーロッパ約15カ国を回りサッカーを視察。その後25歳でアルゼンチンに渡り、現地の監督養成学校に3年間在学、CONMEBOL PRO(南米サッカー連盟最高位)ライセンスを取得。帰国後は鎌倉インターナショナルFCの監督に就任し、同クラブではブランディング責任者も務めている。その他、執筆やNPO法人 love.fútbol Japanで理事を務めるなど、サッカーを軸に多岐にわたる活動を行っている。著書に『競争闘争理論 サッカーは「競う」べきか「闘う」べきか』。鍼灸師国家資格保持。

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