スペインでの「イングランド国歌ブーイング事件」から考える
スペイン国歌へのブーイングには慣れっこになっていたが、イングランド国歌へのそれを耳にしたのは初めてだった。この許されない行為の裏には、もう一つの許されない行為があった。アピールの場としてのスタジアムは“魅力的”過ぎる。
昨年10月のスペイン対イングランドの試合前、イングランド国歌にブーイングを浴びせられ、プロリーグ協会(LFP)のハビエル・テバス会長が慌てて謝罪メッセージを出す一幕があった。「国歌は多くの人たちの感情を代表する高貴で奥深いもので、常に尊重されなくてはならない」「イングランドの人々に謝罪し昨日のことは繰り返されてはならない」というテバスの言葉は正しい。カタルーニャ独立に反対でスペインとその国歌を愛す彼は、バルセロナがコパ・デルレイ決勝に出るたびに起こるブーイングに忸怩(じくじ)たる想いのはずだから今回、即謝罪という反応になったのだろう。
だが、一部報道(『SPORT』紙電子版)で「謎」とされたこのブーイングには明確な理由があった。そもそも観客に理由が共有されているからこその一斉ブーイングであって、それにこの記事の記者が気づかないというのは鈍感のそしりを免れない。当日取材していた私も耳をつんざく大音量には驚いたが、理由はすぐにわかった。
ブーイングの標的は、サウスゲイト監督や選手でもイングランド人一般でもない。当日ベニート・ビジャマリンスタジアムに集まった3000人のイングランドファンの中に混じる数十人に向けられていた。前日セビージャの中心街でフーリガンが乱闘騒ぎを起こしており、車やバルを破壊し警官隊とにらみ合う映像がメディアやSNSで拡散されていたのだ。
England lads causing avoc in Seville ??♂️ #SpainAway #England #ESPENG pic.twitter.com/DExsd2QBhD
— Ben Daniels (@BenDaniels_96) 2018年10月15日
明らかだったブーイングの理由
試合前にイングランドサッカー協会(FA)も素早く反応、スポークスマンがフーリガンの蛮行に対し遺憾の意を表明していた。イングランドファン総勢3000人というボリュームもあって、試合当日の警備の厳しさも相当なもので、動員された警察官と警備員合わせて900人というのは、この試合の1カ月半前のセビージャダービー(500人)の約2倍。イングランドチームは専用バスではなくカモフラージュされた民間バスでスタジアム入りする、という念の入れようだった。
とまあ、こういう背景があったわけだが、それでも国歌へのブーイングはお門違いだ、という意見はあるだろう。6600万人のイギリス国民の感情の拠りどころを、たった数十人の蛮行ゆえに侮辱するのはけしからん、という声もあろう。そうした意見もテバスの声明も含めて、国歌を尊重せよという意見は正しい。
だが、現実問題として国歌へのブーイングがスタジアムから消えることはないだろう。なぜなら、サッカーの試合は数百万単位の耳目を集められるほど巨大化しており、ブーイングは最も手っ取り早い抗議の手段であって、称賛するにしても軽蔑するにしても国歌は、社会、国民、政治体制を含む国のシンボルそのものだからだ。
あるいは、ブーイングする観客を厳罰に処すとか、起立しないジャーナリストを取材禁止にするとか、代表選手の国歌斉唱を義務化するとかすれば、なくなるかもしれない。だが、それでは『ゴッド・セイブ・ザ・クイーン』や『ラ・マルセイエーズ』が讃える価値自体が国から失われて、国歌の成立基盤がなくなってしまう。同胞愛や自由を歌う国歌を持つ国が民主的ではない、というのは矛盾でしかない。
UEFAもFAもRFEFも沈黙
このブーイング事件以降、UEFAやスペインサッカー連盟(RFEF)が制裁に乗り出すということはなかった。FAの抗議もなかった。引き金は自分たちが連れて来たフーリガンだったのだから当然だろう。
そもそもスペインとイングランドとの間にサッカー的な遺恨はない。プレミアリーグはスペイン人監督や選手にとって憧れの舞台であり、逆にリーガでの成功例がほとんどないイングランドの監督や選手はスペインにはやって来ない。W杯でもEUROでもCLでも実績はスペインの方が上だからライバル意識というのもほとんどない。
サッカー以外では、外国人旅行客の4人に1人、年間1900万人が押し寄せるイギリス人観光客はスペインにとって一番のお得意先。週末の弾丸ツアーで酒を浴びるほど飲む若者の行儀の悪さが問題になってはいるものの、経済危機の中の一筋の光である観光産業の大黒柱イギリス人を敵視する空気など皆無である。
フーリガンがいくら暴れても、イングランド人一般が愛する国歌を侮辱してはいけない、という良識を持つべきではあった。だが、そんな良識のある人たちでサッカーのスタジアムが埋まっていれば、そもそもフーリガン自体が消滅しているはず。そんな日が来るのはまだ当分先だろう。
Photos: Getty Images
Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。