“意識高い系”のミスチル世代と「自分たちのサッカー」の関係性
『日本代表とMr.Children』リレーコラム第1回
『日本代表とMr.Children』は、名波浩や中田英寿の90年代後半から始まり、長谷部誠や本田圭佑の時代まで続いた日本代表とミスチルとの密接な関係を解き明かしていくことで、「平成」という時代そのものを掘り上げていく一冊だ。
この連載では、本書を読んだ異なる立場のサッカー関係者4人にそれぞれのテーマで書評をお願いした。第1回は『砕かれたハリルホジッチ・プラン』の著者である五百蔵容氏に、“自分らしさを追求した先に勝利がある”という「自己実現」の時代のBGMとして鳴っていたミスチルの楽曲と、“敵を見ないで負けた”と批判された「自分たちのサッカー問題」の関係性について考察してもらった。
フットボールと音楽。それぞれがエンターテインメントとしてメジャージャンルである以上、個々の受け手が熱心な観戦者でもありリスナーでもあることは珍しくはありません。とりわけ、それが平成最大のスポーツコンテンツであるサッカー日本代表と、バンドスタイルのポップ、ロックアーティストとしては平成最大の存在と言えるMr.Children(以下ミスチル)の組み合わせであればなおさらです。
バンドの中心人物・桜井和寿がしばしばサッカーというスポーツへの偏愛を語り自らもプレーすることを公言してきたことは、メジャーシーンの邦楽をプレイリストに放り込んでいるようなリスナーであれば、彼らにさほど好意的でなくとも聞き及んだことがあるでしょうし、日本代表における歴代のキープレーヤー――名波浩や長谷部誠――がフェイバリットとしてミスチルの楽曲を一再ならず挙げてきたことも周知でしょう。
宇野維正とレジーの対談による『日本代表とMr.Children』は、ミスチルとサッカー日本代表それぞれの道程を相互比較しながら平成という時代のいち側面を浮き彫りにする、という大枠を持ちつつ、誰もが「でしょうね」とは感じつつも正面切って論じようとはしてこなかったそれら「事実」の間の関連性を探ろう、跡づけようという試みです。
日本サッカー界の「自分探しの旅」
本書で宇野とレジーは、既発のインタビューや時系列の整理からそれを行っています。集中した、時に軽妙なやりとりの中で実証的というよりは、間接的な状況証拠を積み重ねることで一定の説得性のある仮説を展開しようとしており、読者の議論、毀誉褒貶に広く供しようというものです。この対談の問題意識をもってそのまま桜井と長谷部それぞれに別々にインタビューし、「日本代表とMr.Children」相互のメンタリティ的な関連性そのものへの具体的な問いと応答が収録されていれば、本書の議論はより説得的であったでしょう。
宇野は桜井らと同世代の取材者として、レジーは同時代のシンパシーを強く持つリスナーとして、ミスチルの作品から(とくに桜井の)「意識の高さ」ゆえの時代ごとの逡巡、そこから生み出されるアスリートのメンタリティと親和性の高い詞の言葉を引き出し、読み取っていきます。そして、サッカー日本代表におけるミスチル世代にあたる選手たち――ミスチルの最前線での活動期間が長きにわたるため、その幅はベテランから中堅まで広い――の言動から見られる日本人らしいサッカー=日本人のアイデンティティを追求する「意識の高さ」と、対戦相手に応じた戦略が不十分だった=内向きで外を見ていなかったと批判された「自分たちのサッカー」論を関連付けられるのではないか、ミスチルとサッカー(日本代表)の間には、無視できない相互作用が起きてきたのではないか、と示唆します。
とはいえ、日本代表におけるミスチル世代の「意識の高さ」が、日本代表の具体的なプレー、チーム戦術、その成否に具体的にどう影響したのか、という問題については、宇野とレジーは掘り下げることを注意深く避けています。フットボール面の議論に入り込みすぎて、本書本来の枠組みから外れかねないからでしょうが、それ自体が一冊の本を要する別の考察、取材が必要な「大ごと」であることも要因だったのではと思われます。
本稿では、日本サッカーの未来を考える上で、あえてそこに触ってみたいと思います。
真の敗因は「自分たちのサッカー」の中身の曖昧さ
筆者はこの世代の「意識の高さ」が標榜させたと思われる「自分たちのサッカー」論が、例えばブラジルW杯での敗戦の直接の、主たる理由だとは考えていません。そういった、個々人のメンタリティの性質よりも、もっと具体的なフットボール的ディテール、当時の育成や日本のサッカー状況全体の蓄積の上に現れた、やはり具体的な実装上・戦術上の問題が敗因にはあったはずです。その、より具体的な問題の検討からアギーレやハリルホジッチを招聘するプランが立てられたはずで、(ミスチル世代の)主力選手たちが主張する意味での「自分たちのサッカー」に固執しすぎたから負けたというような、具体性を欠いた観念的な総括はなされていなかったのではと考えます。
実際、『通訳日記』における、プレーコンセプトをめぐるザッケローニの発言を見ても、とりわけブラジル本戦前年に行われ、本戦にむけた具体的な「仕様」の大枠が定まったと思われるオランダ代表・ベルギー代表との親善試合の内容を見ても、それが一般に「自分たちのサッカー」論の中身として認識されているであろう「ボールを回し倒す」「攻撃的なポゼッションサッカー」でなかったことは明らかです。そこで展開されていたのは、ミドルゾーンに組織的に網を張って相手ボールを奪取し、ショートカウンターを試みるか、素早く敵陣深くに入り込みコンビネーションでゴールを狙う、インテンシティ高くその復元性を高めていくというコンセプトでした。
ザッケローニが「相手を見ていなかった」とは到底思えません。「大量得点で勝つしかない」という戦略的に難しい状況に追い込まれたグループステージ第3節のコロンビア戦を除き、初戦のコートジボワール戦、第2節ギリシャ戦では、上述したコンセプトのサッカーを狙いつつそれに適合した形で、しっかりとした分析が行われ対策が打たれていた形跡があります。
その一方で、「自分たちのサッカー」論の中身そのものが曖昧で、時期によって変遷している様子が見受けられるのは確かです。それが指ししめす中身は変わっているのに「自分たちのサッカー」という看板は変わっていない、というある種倒錯的な状況があるのではないか、という面があるのです。
ブラジルW杯へのプロセスの中では、「ボールを回し倒して相手を崩しまくるポゼッションサッカー」というイメージから、ザッケローニが就任当初から打ち出していたビジョンに近いコンセプトに整理されていく中で選手側・指導陣間で一種の妥協が成立し、オランダ戦、ベルギー戦の成功体験をもとにそれを「自分たちのサッカー」と称するようになっていたのでは?という節があります。
特定のエリアと選択肢の中でしか長所を発揮できなかったザッケローニ期の問題を改善する(けれど基本的には同構造の)コンセプトを持ち込んでいたハリルホジッチを結果として拒否し臨んだロシアW杯におけるサッカーもまた、「ボールを回し倒す攻撃的なポゼッションサッカー」ではありませんでしたし、ザッケローニのプレーモデルとも異なるものでした。なのに、JFAがその内容を踏まえて「Japan’s Way」を標榜し始めたところを見ると、ロシアW杯でのプレーも当事者内では「自分たちのサッカー」と認識されているのではと感ぜられます。
ケーススタディを重ねれば重ねるほど、実例を具体的に検討すればするほど「自分たちのサッカー」とは一体何なのか?という思いに駆られます。気宇壮大で自己実現的ではあるが曖昧で観念的である、という点においてミスチル世代の「意識の高さ」と接する点があるのは間違いのないことでしょう。けれども基本的にはそこに留まらない、より多くの当事者間で、かなり広い解釈のレンジ(とはいえ特定のサッカーを積極的に除こうとする程度には排他的な)において「自分たちのサッカー」観は育まれ、日々成長しているのではないかと思われてくるのです。先に「一冊の本を要する考察と分析が必要」と書きましたが、実際のピッチにおける準備や実装のみならず、JFAの思惑や育成の現場、その変遷も踏まえなければ「自分たちのサッカー」の実態は見えてこないし、その上での議論でないとこの問題をめぐって意味のある示唆を後代に残すことはできないのではないかとも思えます。
「ミスチル世代の意識の高さ→自分たちのサッカー論」示唆を通じて、『日本代表とMr.Children』はそういった広汎な議論の起点を提供してくれる一冊と言えるでしょう。
Photos: Getty Images
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Profile
五百蔵 容
株式会社「セガ」にてゲームプランナー、シナリオライター、ディレクターを経て独立。現在、企画・シナリオ会社(有)スタジオモナド代表取締役社長。ゲームシステム・ストーリーの構造分析の経験から様々な対象を考察、分析、WEB媒体を中心に寄稿している。『砕かれたハリルホジッチ・プラン 日本サッカーにビジョンはあるか?』を星海社新書より上梓。