ドルトムントのレジェンド、バイデンフェラーが明かすGK論
「一つの試合を決めるのはFW。マイスターシャーレを決めるのはDFとGK」
Interview with
ROMAN WEIDENFELLER
ロマン・バイデンフェラー(元ドルトムント)
去る11月中旬、数々の驚異的なセービングでチームを窮地から救い、11-12の国内2冠などタイトルをもたらしてきたドルトムントのレジェンド、ロマン・バイデンフェラーが来日。稀代のシュートストッパーとして鳴らし、現在はクラブのアンバサダーを務める元ドイツ代表に、GKとしての流儀や最新トレンドについて語ってもらったインタビューの完全版を公開。
――ようこそ日本へ。今回の来日の目的を教えてください。
「1年半ぶりに東京に来られてうれしいです。みなさん親切で、街は清潔。いい国です。来日する前、みんなに『日本へ行く』と話したら『いいな!』って言われましたよ。この旅での私の仕事は、クラブを代表してみなさんにドルトムントというブランドを知ってもらうことです。ルール地方にとってどんな意味を持っているかや、2万5000人収容の立ち見席南スタンド、8万人で満員のホームゲームがどんな雰囲気になるかといったことですね。幸運なことに、チームはリーグ戦で首位に立っています。スポーツ的な展望はとてもポジティブです」
――さっそくひと仕事されてきたとお聞きしました。
「名古屋に飛んで、その足でドルトムント・サッカー・アカデミー(DSA)を訪れました。とてもポジティブな印象を受けましたよ。あらゆる年代のクラスがあって、最高の環境で練習していました。僕はあれほど素晴らしい指導を受けたことはありませんよ。僕らが幼かったころは、ピッチからしてしっかり整備されていなくて正確なパスを出すことは不可能でした。それでどころか、コーンやボールなど、練習に必要な道具すらしっかりそろっていたとは言えません。ですから、今の子供たちにはよりうまくなれる可能性があるし、良い指導ができるでしょう。そして、それはもう成果として現れていると思います。(日本人選手の特徴として)繊細なテクニックがありますし、スピードもある。戦術的にも柔軟です。ブンデスリーガにも、とてもたくさんの日本人選手がいます。ブンデスでアジア人選手、特に日本人選手が増えているのは、日本での育成がうまく行っていることを証明するものだと思いますよ」
――実際にピッチに立って指導を行ったのですか?
「本当は視察だけの予定だったんです。でも、子供たちのプレーを見たら一緒にやりたくなってしまってね。ですから、一緒にプレーしてきましたよ。ゴールにシュートを打ってもらいました。みんなに楽しんでもらえたと思います。あまりにもいいシュートだったので、セーブすることができなかったくらいです(笑)」
――ここ4年で3度目の来日です。ドルトムントと日本との深い繋がりを表していると言っていいでしょうか?
「そうですね。例えばギド・ブッフバルトやピエール・リトバルスキといった選手たちが日本でプレーしたように、ドイツサッカーと日本サッカーの繋がりそのものは昔からありました。ただ、日本のみなさんに僕たちのスポーツ的なクオリティを確信してもらうことができたのは、香川真司がドルトムントに来てチームとしても素晴らしいサッカーを披露したからでしょう。それ以来、絆は深まったと思いますし、選手たちは日本へ行くことになるととても喜びます。特に東京はいろいろなことを体験できる大都市ですし、人は親切で、食事は美味しい。決して休むことのない街で、いつも何かが起きていますよね」
セービングの極意
もし自分が相手だったらどうプレーするか、ということを常に考えていました
──ここからは月刊フットボリスタ第64号のゴールキーパー特集に合わせて、GKについてお話を伺いたいと思っています。まず、あなたがGKを始めたきっかけ、選んだ理由から聞かせてください。
「最初から僕が望んだポジションでした。とても信頼が必要で、チームの要となり、ゲームを後方から見る特別なポジションです。GKとしてプレーさせてもらうのは、とても光栄なことでした」
──最初というのは何歳の時だったのですか?
「5歳でサッカーを始めて、最初からゴールの前に立っていました。でも実は、途中で退屈になったことがあってFWとしてプレーしていた時期もあるんです。ただ、そのうち一つのポジションに決めなくてはならなくなって、責任のあるGKを選びました」
──あなたは稀代のシュートストッパーとして名を馳せました。シュートを止めるために、一番大事にしていた要素は何でしょうか?
「一番重要なのは、責任と向き合うこと、チームをバックアップすることです。もしチームメイトがミスをしてボールを通してしまったら、僕がそれをカバーする。あとは、しっかりとしたプレーをすること。観客やテレビのためではなく、きちんとセーブをしてチームの助けになる。そして、それを常に行うこと。ビッグマッチの時でも、そうでない試合でもね。(ホームでは)8万人を背に試合をするのだから、ゴール前に立っているのが誠実な仕事をする、チームのためにすべてを尽くす選手だということを伝えようと思いプレーしていました」
──対戦相手に関するデータは参考にしていましたか?
「近年、サッカーはどんどんプロフェッショナル化しています。試合の準備に関しては特にそうです。相手FWやMFの映像はかなりたくさん見て研究していましたよ。ゲームがどうビルドアップされるかに始まり、誰が、どの時点で、どこからシュートを撃つのか、その選手が好きな角度やPKの時にどのコースに撃ってくるかまで。今ではどの選手についてもデータが充実しているので、積極的に活用していました」
──視線や足の角度といった細かなところまで?
「そうです。僕は、もし自分が相手だったらどうプレーするだろうか、ということを常に考えていました。ある程度経験を積むと、どうしてこのシュートを止められたのか、わからなくなるんです。嗅覚で動くようになります。ドイツでは『鼻で仕事をする』と言います。匂いを嗅ぐんです、直感ですね。それが自分にとってとても大切だったし、それがいいGKとそうじゃないGKとを隔てます」
──勘があるかないか、ということですね。
「そう。とても才能に恵まれたGKもいたし、すごくたくさん練習するGKもいました。でも、彼らがいいのは練習の時だけでした。大事なのは、ここぞという時に最高のパフォーマンスを見せられることです」
──多くの観客やチームメイトのサポートがあるとはいえ、GKは時に、自分に非がなくても批判されたりします。重圧とはどう付き合っていましたか?
「プレッシャーとの付き合い方に関しては、僕にはかなり耐性があってね。落ち着きを失うということはほとんどなかったんです。それは、小さいころから学んでいたからだと思います。ユースの時から500人の観客の前でプレーし、もう少し大きくなったら5000人、プロになって最初のクラブで5万人、そしてドルトムントでは8万人、バルセロナとのアウェイ戦になれば10万人。それを居心地良く感じていましたよ。もちろんプレッシャーがないわけではありません。でも、僕はこう考えていました。結局のところ、これも一つの試合でしかないってね。その一つの試合にかなりのもの、莫大な富と名誉、そして期待が懸っていることはわかっています。でも、本当にすべてを出し尽くせば、白いベスト(潔さ)を保てるんです」
──たとえメディアに批判されても、耐性があったから大丈夫だったんですね。では、現役時代に経験した特別なシーンはありますか?
「すべてのタイトルはもちろん、他にも素晴らしい瞬間がたくさんありました。レアル・マドリーとのビッグマッチではロナウドと1対1の状況が何度もありましたし、バイエルン戦ではロッベンやシュバインシュタイガー、ミュラーとの対決。それに、相手のゴール前には僕らドイツのW杯優勝に多大なる貢献をした代表のチームメイト、マヌエル・ノイアーがいました。かなりたくさんの瞬間、シーンが思い出として残っています。それから、良いシーンばかりでなく良くないシーンも、自分がこういう人間になるうえで影響したと思います」
──これはよく覚えている、という特定のセーブはありますか?
「うーん、今言ったようにレアル・マドリーやバイエルンとのビッグマッチはよく覚えているけど……逆に、悪いシーンだったら例えば、ビーレフェルト戦の終盤、自分のミスで失点して1-1の同点に終わった試合がありました。それもこの仕事の一部です。そういうことを望む人は誰もいないですけどね。GKの仕事は、審判が終了の笛を吹くまですべてを正しくやらなければいけないんです」
変わるものと変わらないもの
サッカー、特にGKは発展していくと思います。でも、決め手になるのは“伝統”ですけどね
──先ほどノイアーの名前が出てきましたが、彼のリベロのようなプレースタイルについてはどう思われていますか?
「あれは新しいプレースタイルです。ノイアーに続き、マルク・アンドレ・テア・シュテーゲンもバルセロナで披露していますね。僕は手でプレーすることだけを教えられた世代。ですから、足下のことは後から学ばなくてはなりませんでした。彼らの世代は小さい頃からステップ・バイ・ステップで少しずつ学んでいます。僕らドルトムントのアカデミーでもそうです」
──この潮流は続き、将来GKのイメージは変わっていくでしょうか?
「そう思います。サッカー、特にGKは発展していくと思います。でも、決め手になるのは“伝統”ですけどね。GKは最後の砦。常にシュートを止めないといけません。ボールを前線に展開すること、ビルトアップを始めることではありません」
──現在、世界一のGKは誰でしょうか?
「(しばらく考えて)決めるのは難しいね。ドイツはノイアーやテア・シュテーゲンなどいいGKに恵まれていると思います。僕はアトレティコ・マドリーのヤン・オブラクも好きです。もちろん、ティボ・クルトワもね。他にも長年世界最高峰にいたブッフォンにカシージャスもいます。このポジションには、いつの時代もずば抜けた名手が存在してきました。これからもそうあり続けると思いますよ」
──でも残念ながら、日本では人気がないポジションなんです。GKの魅力とは何でしょうか?
「それは、FWと似ています。ゲームを決めることです。FWはゴールにボールを入れなくてはならず、GKはボールをセーブしなくてはいけません。もちろん、MFは90分間を通してより注目を浴びます。試合を指揮していいゲームになるかどうかを決めますし、拍手をもらうことも多いです。でも、責任を持つのはいつだって必ず、彼らの後ろにいる者です」
──試合を決めるのはGKということですね。
「ドイツにはこういう格言があります。『一つの試合を決めるのはFW。マイスターシャーレ(リーグ優勝)を決めるのはDFとGK』なんです」
──日本では、GKは世界と一番差のあるポジションの一つだと言われています。世界の舞台で戦っていくためには、最低どのくらいの身長が必要だとお考えですか?
「先ほど名前を挙げたテア・シュテーゲン(187cm)は、ノイアー(193cm)や僕(190cm)のようには大きくありません。でも、跳躍力が素晴らしいんです。それは日本のGKの特徴になり得るのではないでしょうか。(日本人は)俊敏で、柔軟でもありますからね。なので、日本のGKが国際舞台でやっていくのが難しいとは言えません。今はあまり人気がないのかもしれませんが」
──では最後に、日本にいるドルトムントの情熱的なファンたちと、将来あなたのようなGKになりたいと思っている子供たちにメッセージをお願いします。
「日本に来ることができてうれしいです。日本にいるファンからは、いつもたくさんの郵便が届きます。テレビの視聴率もいいですし、スタジアムでも多くの日本人ファンの方々を見かけます。情熱的で攻撃的なドルトムントのサッカーを楽しみ、ブンデスリーガを好きになり、もしかするとドイツに恋をしてくださる方もいるかもしれません。ドルトムントが、国を越えてその情熱を広げることができることを、僕たちは誇りに思っています」
──プロを目指す将来のGKたちにはいかがですか?
「自分の才能だけを頼っていてはいけません。常に自分を磨きましょう。大きな野心を持って、ネガティブなこと、ポジティブなことにあまり左右されず、自分の道を歩みましょう。目標から決して目をそらしてはいけません。プロになること、趣味を職業にすることは、本当に大きな幸運なのですから」
Roman WEIDENFELLER
ロマン・バイデンフェラー
(元ドルトムント)
1980.8.6(38歳) GK GERMANY
PLAYING CAREER
1998-02 Kaiserslautern
2002-18 Dortmund
ドイツ西部の街ディーツ出身。地元の小クラブから16歳の時にカイザースラウテルンへと移り、20歳でブンデスリーガデビューを飾る。ただ、ラウテルンでは定位置確保に至らず2002年にドルトムントへ。当初はドイツ代表GKレーマンの控えだったがシーズン終盤に出場機会を得ると、レーマンがアーセナルへ移籍した翌03-04から正GKの座をつかむ。以降、負傷離脱時を除き10シーズン以上にわたりドルトムントのゴール前に君臨し、11-12の国内2冠など5つのタイトルを獲得。ハイパフォーマンスを続けながら代表とは縁がなかったが、13年に念願のドイツ代表デビューを果たす。14年W杯ではノイアーの控えとして優勝を経験し、17-18シーズンをもって現役を引退。現在はドルトムントのアンバサダーを務める傍ら、解説者としても活動している。
Photos: Takahiro Fujii, Bongarts/Getty Images