ジョン・テリー、青い英雄。第二のキャリアにひそむ危機と可能性
まさに「青い英雄」だったテリー
イングランド・フットボール界の伝説であるボビー・ムーアと同じ地区で育った少年は、運命に導かれるようにスリーライオンズの腕章を巻く選手にまで上り詰めた。しかし、現役生活に別れを告げた今、彼が指導者としても成功する保証はどこにもない。
ジョン・テリーは、まさに青い英雄だった。チェルシーの生え抜きとして1998年のデビューから2017年までクラブ歴代3位となる717試合に出場し、プレミアリーグ優勝5回やCL制覇など数々の栄冠を手にしてきた。もちろんタイトルだけではない。戦う姿勢を誇示してチームを牽引すると、体を張ったシュートブロックでサポーターを沸かせた。いつの時代も、「自前の選手」の活躍はファンの誇りなのだ。テリー以降、レギュラーに定着する生え抜きを一人も輩出できていないチェルシーではなおさらだった。
無論、生え抜きだから優遇されたわけではない。彼はれっきとした世界有数のセンターバックだった。どんなクロスも跳ね返し、一度タックルをかわされたら、次は顔面でブロックに行く。そんな古き良きセンターバックでもあった。2007年のリーグカップ決勝では、頭から飛び込んで顔面を蹴られて失神したことも。病院に搬送されたが、すぐに抜け出して優勝した仲間の下へと駆けつけた。
だが、決して勇猛果敢なだけではなかった。彼にはプレーメイカーのような優雅な側面もあったのだ。利き足はもちろん、左足でも長短のパスを蹴り分けた。とりわけ、前線に入れる浮き球パスは、寸分の狂いなくチームメイトに胸に届けられた。2005年には、勇敢な守備と確かな技術が評価され、イングランド・フットボール界最大の栄誉とされるPFA年間最優秀選手にも選出された。1992年のプレミアリーグ発足以降、DFの受賞者はテリーを含めて2人しかいない。
そして、歴代最高のセンターバックの一人と称えられた最大の理由は、彼のリーダーシップにあった。2001年に21歳の若さで初めてチェルシーの腕章を託され、その3年後には正式にクラブキャプテンに就任。以降、2017年に退団するまで、「兄貴肌」と「模範」の両面を併せ持つリーダーとしてチームを栄光へと導いた。イングランド代表でもキャプテンを任された彼のリーダーシップは、「父も草サッカーのキャプテンだった」というDNAと、若手時代の貴重な経験からきている。
監督の資質は十分だが、選手時代の素行がリスク要因に
テリーは17歳の頃、トップチームの練習に呼ばれると、必ずチームメイトを削ったという。それがアピールの手段と思ったからだ。だが、無名の若手に削られる選手はたまったものではない。ダン・ペトレスク(元ルーマニア代表DF)などは、血気盛んな若者の無茶なプレーに腹を立てて蹴り返したことがあるという。
そんなとき、「若手に文句があるなら俺が相手になる」とかばってくれたのが、当時のキャプテン、デニス・ワイズだった。テリーは若手の頃にワイズのスパイク磨きを任されていたため、彼に可愛がられたのだ。兄貴的な性分はそうやって育んだのだろう。
もう一人、彼が影響を受けたリーダーはマルセル・デサイーだ。テリーは18~20歳の頃から、折に触れてチームメイトのデサイーに戦術やポジショニングの指南を仰ぐと、自分の意見もぶつけたという。すでにフランス代表として世界王者に輝いていたデサイーは、「生意気だったが、どこか特別だった」とテリーについて振り返ったことがある。そうやってテリーは、35歳まで代表選手として活躍したデサイーからプロの姿勢を学んだのだ。
だからこそテリーは、人一倍キャプテンに対する思いが強かった。過去に着用してきた腕章のコレクションをSNSで披露し、「誇らしい」と書き込んだことがある。2010年には、ウェイン・ブリッジのガールフレンドとの不倫問題で代表キャプテンの座を剥奪され、直後のリーグ戦では大ブーイングを浴びた。しかし、ゴールを決めたあとにチェルシーの腕章を指差した。「腕章はかけがえないものだ」と。
ピッチ外でも、テリーはリーダーシップを発揮した。チェルシーの女子チームが予算を削られると、身銭を切って資金を提供。チームメイトにも寄付を呼び掛けた。女子チームだけでなく、時間を見つけてはユースチームの練習にも顔を出した。“スター選手”として若手にアドバイスするだけではない。一緒にチェスをして遊ぶような交友関係も築いた。
現ファーストチームの一員であるDFアンドレアス・クリステンセンは、ユース時代に家まで車で送ってもらったことがあるという。世話好きなリーダー、それがテリーなのだ。選手時代から指導者の資質を兼ね備えていたのだ。
2018年10月7日、テリーは自身のインスタグラムで現役引退を発表。その3日後に昨季プレーしたアストンビラ(イングランド2部)でディーン・スミス新監督のアシスタントに就いた。
本人は当初チェルシーのユースチームを手伝いながら指導者キャリアを歩み始めるつもりだったが、このありがたい話を受諾した。「まだまだ学ぶことがある」とし、監督業は「4、5年先のことだ」と話す。それまでは、下部リーグで魅力的な攻撃サッカーを展開してきたスミス監督の元で指導者の“いろは”を学ぶことになる。そして近い将来、監督として輝かしいキャリアを送る……とは残念ながら言い切れない。彼には大きな障壁があるのだ。
テリーは、チェルシーとアストンビラでは愛されたが、それ以外のファンには好かれていない。拒絶されていると言っても過言ではない。前述通り、テリーは選手時代に不倫問題で代表の腕章を剥奪された。1年後にはキャプテンに復帰したが、次はリオ・ファーディナンドの弟(アントン・ファーディナンド)への人種差別問題で二度目の剥奪を受け、それがきっかけで代表を引退した。
さらにCLやELを制した際には、決勝戦を欠場しながらも試合後にユニフォーム姿になって我が物顔でトロフィーを掲げ、他クラブのファンから酷評された。今も、チャリティーマッチや友人の引退試合に出場するとブーイングを浴びてしまう。これがどこまで彼の監督キャリアに影響を及ぼすか、それは世論次第になるだろう。少なくとも現時点では、クリーンなイメージも強く、すでに監督業に乗り出しているフランク・ランパードやスティーブン・ジェラードに後れを取っている。
それでも純粋な資質だけを見れば、選手時代に負けない輝かしいキャリアが期待できる。「彼はピッチ上の偉大なコーチだった」とアーセン・ベンゲルが称賛すれば、ランパードも「人を率いる確かな才能がある」と太鼓判を押す。テリーの指南役となるスミス監督も「彼は筆箱を持って現れた。非常に謙虚で、学ぶ姿勢がある」と副官に期待する。普段の穏やかな口調とピッチ上での凶暴な二面性も、上手く使い分ければ指導者に向いているはずだ。そして勤勉さと飽くなき向上心は――世間のイメージが致命傷にならなければ――彼を名将へと誘うことだろう。
Photos: Getty Images
Edition: Daisuke Sawayama
Profile
田島 大
埼玉県出身。学生時代を英国で過ごし、ロンドン大学(University College London)理学部を卒業。帰国後はスポーツとメディアの架け橋を担うフットメディア社で日頃から欧州サッカーを扱う仕事に従事し、イングランドに関する記事の翻訳・原稿執筆をしている。ちなみに遅咲きの愛犬家。