去る9月8日、母国開催となったW杯で4得点を決めてロシア躍進の原動力となり、その活躍によって2016年に所属したバレンシアへの復帰を叶えたデニス・チェリシェフに突如としてドーピング疑惑が浮上した。スペインのアンチドーピング機構(AEPSAD)が調査に乗り出し、最大で4年間の出場停止処分が下る可能性もあったが、5日後には同機構が「違反は認められなかった」と発表。チェリシェフも自身のTwitter上で潔白を宣言したのだが、その報道の詳細をめぐって再びロシアと欧米間の「メディア戦争」に火が点いていた。
消えない疑惑の視線
事の発端は英国紙『テレグラフ』による告発記事だった。自身もスペインで現役時代を過ごしたチェリシェフの父ドミトリー(現ニジニ・ノブゴロド監督)が、W杯の大会期間中に「息子が成長ホルモン入りの注射を渡された」と発言していたことを指摘した。ところが、その情報元とされるインタビューはサンクトペテルブルクの地元スポーツ紙『スポルト・ウィークエンド』が2017年に掲載したもので、処置を施したのはチェリシェフが当時在籍していたビジャレアルのドクターであり、彼が代表から遠ざかっていた時期でもあった。つまり、『テレグラフ』はW杯でのチェリシェフの活躍を受けて、今まで気にも留めなかった過去の記事を掘り起こし「ロシア代表内のドーピング」に結びつけたことになるわけだ。
また、『スポルト・ウィークエンド』は編集長の判断で一般人には馴染みのない「成長ファクター」という用語を掲載時に「成長ホルモン」に変えたことを認め、「ドーピングを認めるような発言はなかった」としてオリジナルの録音データを調査機関に提出した。
このように「捏造」や「ミス」が入り混じり、ロシアをめぐる多くの報道は真実の究明が複雑になっている。渦中のドミトリーは「英国メディアは何が何でもロシアを批判しないと気が済まない」と呆れ顔。そのユニークなキャラクターでW杯を通して国民的なアイドルとなったFWアルチョム・ジュバも大会期間中、腕に注射の痕があることを西側メディアに指摘され、疑惑に対して次のように答えている。
「我われのチームは他のどの国よりも多くの検査を受け、一度も陽性反応は出なかった。議論をする意味がない。これはもはや政治レベルの話だ」
現在もスポーツ界全体を見渡すと、連日ロシアのドーピング疑惑が報じられている。世界反ドーピング機関(WADA)が条件つきながらロシア反ドーピング機関(RUSADA)の処分解除を発表し、ロシア側は健全化への取り組みをアピールしているが、「国がらみの隠蔽」という憶測を完全に払拭するためには、西側の要求に応じた国家そのものの政治変革が必要なのだろう。
スポーツの枠を越えた対立に巻き込まれながら、選手たちは現場でなす術もなく困惑している。
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Profile
篠崎 直也
1976年、新潟県生まれ。大阪大学大学院でロシア芸術論を専攻し、現在は大阪大学、同志社大学で教鞭を執る。4年過ごした第2の故郷サンクトペテルブルクでゼニトの優勝を目にし辺境のサッカーの虜に。以後ロシア、ウクライナを中心に執筆・翻訳を手がけている。