ロシアW杯のベルギー代表メンバーから落選、代表引退を表明したラジャ・ナインゴラン。今シーズンからクラブシーンにすべてを注ぐ男は、なぜローマの主軸だったにもかかわらず移籍を選んだのか? また、なぜインテルは若いラフィーニャの完全移籍ではなく、30歳のMFに賭けたのか? その背景に迫る。
Radja NAINGGOLAN
ラジャ・ナインゴラン
インテル MF
1988.5.4(30歳)175cm/65kg BELGIUM
「インテルがナインゴランの代理人と接触し、選手とクラブ間では合意を得た」。そんなニュースが流れたのはW杯前、5月末のことだった。
ローマでは中盤の主力、そして精神的な支柱として、ナインゴランの立場は盤石のはずだった。しかしクラブは、プレースタイルで通じる部分のあるクリスタンテの獲得を決定。これを信頼の欠如と受け取った彼は、かつて指導を受けたスパレッティ監督のいるインテルとの条件交渉に応じたのだ。ラフィーニャの完全移籍交渉が難航していたインテルにとっては渡りに船で、両者はトントン拍子で詳細を詰め、このビッグネームの引き抜きに成功した。
バルセロナが提示したラフィーニャの買い取り金額と、ナインゴラン移籍のためにローマに支払う移籍金はほぼ同額の約3800万ユーロだったと言われている。タイプは若干違うが、中盤をマルチにこなせるという点では共通。その投資を年齢の若いラフィーニャではなく、30歳になったナインゴランの方に行った理由は戦術への相性と、選手としての強烈なパーソナリティの2点にあると言える。
スパレッティ監督は、ローマ時代の手法にならってプレスと攻撃の両方で貢献できるトップ下の発掘を模索していた。だがシーズンを通して、ポジションを確固たるものにしたという存在は現れなかった。ジョアン・マリオは失敗、ブロゾビッチも調子が安定せず、ボルハ・バレーロの起用はプレー強度の点で物足りない。その中ではフィットしたラフィーニャも、これまでの出場機会の少なさがたたり90分は持たない面があった。
そんな中で、かつての教え子のナインゴランを直々に引っ張ってこられたら問題の解決は簡単だ。激しくボールを奪って、ゴールの近くでは得点に直結するプレーを決然と敢行し、何より調子の波がない。これまでの試合で彼が見せてきたピッチ上でのリーダーシップは、シーズンを通して調子が持続しなかったインテルというチームの役に立つものだろうし、逆に言えばそれを求められての獲得だったはずだ。「ここに来たのは勝つためだ」というその言葉通り、チームを勝たせる“個”としての仕事が期待されている。
昨季のローマではリーグ戦で4ゴール。ただこれはゴールから遠いところの仕事も多かったインサイドMFとして挙げた数字であり、トップ下起用ならば2桁ゴールも期待できる。ポストプレーのうまいジェコにボールを預けつつ自ら前を向くコンビネーションを、イカルディとのコンビでも実現できるかが課題だ。
Photos: Getty Images
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Profile
神尾 光臣
1973年福岡県生まれ。2003年からイタリアはジェノバでカルチョの取材を始めたが、2011年、長友のインテル電撃移籍をきっかけに突如“上京”を決意。現在はミラノ近郊のサロンノに在住し、シチリアの海と太陽を時々懐かしみつつ、取材・執筆に勤しむ。