CL戦術総括:加速する攻撃優位。「ストーミング」が生み出すカオス
CALCIOおもてうら
昨シーズンのCLを一言で総括するとしたら「攻撃優位」ということになると思う。とにかくゴールが多かった。なにしろ、決勝トーナメントの全29試合中、1試合の総得点が2以下(ブックメイカー的に言うとアンダー2.5)だったのはたったの5試合、逆に全体の4割以上にも及ぶ12試合で4得点以上(オーバー3.5)が決まっている。すでにそういう印象が強かった一昨シーズンですら、アンダー2.5が9試合、オーバー3.5が11試合だったから、攻撃優位の傾向にさらに拍車がかかったことになる。
その中で、これまではあまり見られなかったけれど昨シーズンやけに目立ったのは、オープンな殴り合いのような試合。主導権が両チームの間を目まぐるしく往き来し、あるいは90分の中で一方から他方へと大きく振れて、ついさっきとはまったく力関係が逆転するような、不安定でカオティックな展開が頻繁に見られた。
リバプールとローマが体現する「カオス」
そのシンボルとも言えるのが、2試合で13ゴールが飛び交ったリバプールとローマの準決勝だろう。アンフィールドでの第1レグは、リバプールが70分までに5点を叩き込む一方的な展開で、もうこれで決着はついたように見えたが、最後の10分でローマが2点をもぎ取って希望を繋ぐ。オリンピコでの第2レグも、最初の25分でリバプールが2‐1とリードした(この時点で合計スコア7-3)が、後半に入るとローマが攻勢に転じて3ゴールをねじ込みあと1歩まで迫った。
つい数年前までは、CLもファイナルが近くなると、お互いが安全な距離を置いてにらみ合うようなこう着した展開の試合になり、小さなミスや偶然、あるいは1つのスーパープレーが勝敗を分けるという結末になることが多かった。しかしこの準決勝は真逆もいいところ。ここまでオープンな殴り合いはそうそうない。
それも含めて、CLの攻撃優位トレンドを加速させた主役は彼ら、リバプールとローマだったと言えるかもしれない。興味深いのは、どちらのチームも旧来的な意味では決して「攻撃的な」サッカーをしているわけではないところ。ポゼッションによって主導権を握りゲームを支配することにはほとんど興味を持たず、むしろいったんボールを持ったらできる限り手数をかけずに敵プレッシャーラインを越えて前線にボールを送り込み、一気に攻め切ることをよしとする。したがって、相手がベタ引きで守りを固めない限り、ボール支配率が50%を大きく超えることは滅多にない。しかし、結果的には少なくない数の決定機を作り出し、3点、4点を叩き込む。
この2チームに共通するのは、(攻撃ではなく)守備の局面で人数をかけて敵陣に押し入り、相手のビルドアップをその起点から妨害し潰しに行こうとするアグレッシブネスである。敵のゴールキックや深い位置でのFKといったリスタートを含め、最終ラインからスタートするビルドアップに対して激しいプレッシングを仕掛けることによって、パスの出しどころを奪うだけにとどまらず、落ち着いてボールを持つ時間すらも与えず、唯一フリーになっているGKにパスを下げれば、そこにもプレッシャーをかけに行く。GKには、ロングボールを前線に蹴り出すか、リスクを冒してDFに繋ぐか、さらに大きなリスクを冒してプレッシャーに来る相手をドリブルでかわすかという選択肢しか残らない。
もちろん、このアグレッシブな超攻撃的プレッシングが常にハマるとは限らない。しかし、スムーズなビルドアップを妨げ前進を許さないというのは、それだけで相手にとっては小さくないダメージだ。特に、ポゼッションの確立を通して主導権を握り試合を進めることを前提とするタイプのチームをどれだけ大きな困難に陥れることができるかは、リバプールがマンチェスター・シティ、ローマがバルセロナをそれぞれ葬り去った準々決勝を観れば明らかだ。
「アンチフットボール」の再定義
世界のフットボール論壇におけるオピニオンリーダーの1人、サイモン・クーパーは、『ESPN』に寄せた記事でリバプールの戦術を評して、「攻撃的プレッシングはさらに加速され、『ストーミング』とでも呼ぶべきものに進化した」と述べ、この「ストーミング」こそが戦術の新しい時代を開いたのだと断言している。ここで言う「ストーミング」をもう少し具体的に定義するならば、ビルドアップに対する超攻撃プレッシングとボールロスト時のゲーゲンプレッシングを組み合わせた、敵陣でのアグレッシブな守備によるボール奪取とそこからのショートカウンターを中心に据えたゲームモデル、ということになるだろうか。
ポイントは、「ストーミング」の柱となる2つの「プレッシング」がいずれも、相手の攻撃を「壊し」、相手に「ボールをプレーさせない」ことを目的に行われる守備のアクションだという点にある。つい数年前までならば、こうした非建設的=破壊的な守備のアクションは「アンチフットボール」という一言で切って捨てられていたかもしれない。しかし、今や話はそれほど単純ではない。
これまでアンチフットボールと呼ばれてきたゲームモデルは、相手の攻撃を壊しボールをプレーさせないこと「だけ」、あるいはそれ「そのもの」にターゲットを絞って構築されており、その結果として目指すべき場所は0-0の引き分け、つまり「負けない」ことにあった。もちろん、ボール奪取後に少人数のロングカウンターでゴールを奪って勝つことができれば理想だが、それは「あわよくば」以上の話ではない。その意味で投機的な色彩の強いゲームモデルだと言える。
しかし「ストーミング」は、相手の攻撃を壊すところは同じだが、目的はそこにあるわけではない。そうではなく、敵陣の高いところでボールを奪うこと、そしてそこからのショートトランジションで一気に相手ゴールに迫るという状況を少しでも多く作り出し、数多くの得点を奪って勝つことに焦点が合わされている。プレッシングは自らのゴールを守るための手段ではなく、相手ゴールに最も効果的に、かつ効率的に迫る手段と位置づけられているわけだ。その意味では「ストーミング」も、敵陣でのポゼッション確立によるゲーム支配とボールロスト時の即時奪回(ゲーゲンプレッシング)を組み合わせた「ポジショナルプレー」と同様に、「攻撃と守備を一体不可分なものとして捉える」ゲームモデルだということができる。
しかし、「ポジショナルプレー」と「ストーミング」の共通点はそこまでだ。それ以外、というよりも最も根本にあるサッカー哲学、あるいはフットボールというゲームに対する認識と解釈において、この2つのゲームモデルは対極にあると言っていい。それを最も端的に表すとすれば「秩序とカオスの相克」ということになるだろうか。
「ポジショナルプレー」と「ストーミング」の対決
戦術的ピリオダーゼーションの教祖であるビトール・フラデ教授は「サッカーとはカオスとフラクタルである」と定義しているという。そこを出発点とすると、グアルディオラやサッリに代表される「ポジショナルプレー」というゲームモデルは、連続的かつ非線形的にピッチ上の状況が変化し続けるサッカーというゲームの中に、ボールを中心とした1つの幾何学的な秩序を打ち立て、それを連続的に保ち続けることによって、主体的にゲームを支配しコントロールする立場を手に入れることを目的として構築されている、と言うことができそうだ。
レナート・バルディによれば、グアルディオラはボールポゼッションに執着する理由について「自分がボールを持っていないといつゴールを奪われるか不安で仕方なくなるから」と説明していたという。それはつまり、グアルディオラは自ら築いた秩序が壊され、ゲームに対するコントロールと自己決定権を失うことに対して強い不安や恐怖を感じるタイプだということだ。だから、ゲーゲンプレッシングで即時奪回することによって、ボールと同時に自分たちの秩序も取り戻そうとするのだ。このゲームモデルの最終的な目的は、打ち立てた秩序をできる限り長い時間(理想は90分間すべて)保ち続け、その必然的な結果として挙げたゴールによって勝利を手に入れることにある。グアルディオラやサッリが、毎試合毎試合マニアックなまでにチームのメカニズムを設計・準備し、自らの幾何学的な秩序をピッチ上で働かせ続けようとするのも、まさにそれゆえだろう。
一方の「ストーミング」は逆に、この種の秩序を破壊するだけでなく、それを築こうとする試み自体を妨げることによって、ピッチ上に秩序を欠いたカオティックな状況を作り出し、それを主体的に利用することによってゴールを奪うことを目的に構築されたゲームモデルだと言うことができる。クロップやディ・フランチェスコはおそらく、ピッチ上に自らの秩序を構築することにはほとんど興味がなく、むしろ秩序が失われたカオスの中に自由や解放の喜びを見出すタイプなのだろう。このカオスの中では、ポジショナルな配置や幾何学的な秩序はほとんど意味を持たない。そこで必要なのは、相手よりも早く状況に反応し、ボールに追いつき、混乱を突き抜けて一気にゴールに運ぶスピードと強度、すなわちインテンシティである。このゲームモデルの最終的な目的は、相手がピッチ上に築いた(あるいは築こうとする)かりそめの秩序を破壊してカオスの状態を作り出し、それに乗じて一気にゴールを奪うという「破壊と解放」の円環を可能な限り繰り返すことによって勝利を手に入れることにある。
同じように「攻撃と守備が一体不可分になったゲームモデル」でありながら「秩序とカオス」という対極的な関係にもある「ポジショナルプレー」と「ストーミング」。これからの何年か、サッカーの戦術はこの思想的な対立軸を中心に回っていくのだろうという気がしている。
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Profile
片野 道郎
1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。主な著書に『チャンピオンズリーグ・クロニクル』、『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』『モウリーニョの流儀』。共著に『モダンサッカーの教科書』などがある。