5レーン理論?ハーフスペース?なぜ、サッカーの言語化が必要か
戦術リストランテV 重版御礼特別企画
7月にソル・メディアから刊行された『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(西部謙司・著 フットボリスタ編集部・編)の重版が決定。その御礼企画として、「サッカーの言語化」をテーマにした冒頭のコラムを特別公開!
今回のメインテーマは「サッカーの言語化」です。
最近、聞き慣れない用語が使われるようになっています。「ポジショナルプレー」「5レーン」「ハーフスペース」がその代表格でしょうか。ただ、こういった用語が先にあったわけではありません。すでにフィールド上にあったことに、あとから名前がついているだけです。そもそも「言語」とサッカーはあまり相性が良くないのです。
サッカーにおける「考える」とは何か?
通常、私たちは言語を使って物事を考えています。ところがサッカーにおける「考える」は言語を使っていません。言語で考えていたらあまりにも遅過ぎるのです。
サッカーは常に判断が伴います。その意味では考えることを要求されているのですが、プレーにおける考える(=判断する)は言語を使わないことがほとんどです。自動車の運転に似ています。熟練のドライバーなら、運転する時にいちいち言語を使って考えていないはずです。運転は「認知」「判断」「実行」の繰り返しです。信号、標識、道路状況などを見て、なにがしかの判断をする、そしてブレーキを踏む、ハンドルを切るといった実行に移すわけです。ただ、この認知→判断→実行は1、2秒の間に完了していて、その間に「判断している」という実感もほとんどありません。ほぼ、見る=実行になっています。この感覚はサッカーとよく似ているのではないでしょうか。つまり、プレーするのに言語はあまり必要がないわけです。
では、サッカーを言語化することにどんな意味があるのでしょうか。
1992年に日本代表監督にハンス・オフトが就任しました。オランダ人のオフト監督は日本人にもわかるように簡単な英語を使ってサッカーを言語化していきます。「アイコンタクト」「スリーライン」「トライアングル」「コンパクト」「ターゲットプレー」「ノー・スクエアパス」など、様々な用語がありました。オフト監督はサッカーを構成している諸要素を分解して、それぞれに名前をつけたのです。名前がついたことで、それが何を意味しているかが明確になり、みなが理解することで共通の認識となった。すると、日本代表のプレーは飛躍的に進化したのです。劇的な変化としては、それまで相手チームがボールを支配することを前提にプレーしていたのが、自分たちがボールを支配して主導権を握れるようになったことが挙げられます。ところが、オフト監督就任前と選手の顔ぶれはほとんど変わっていませんでした。同じ選手なので急にうまくなったわけではありません。どうプレーすべきかが整理されたので力を発揮できるようになったのです。整理できたのはオフト監督がプレーを言語化したからでした。
オフト監督は選手が知らないことを教えたわけではありません。当時の選手の中には「そんなこと知っているよ」という反応もありました。ただ、言語化されていなかったので共有されておらず整理もついていなかったのです。オフトの言語化によって、プレーの定義ができるようになり、広く普及させていくことも可能になったと思います。ただ、言語化できなかったものもあります。
「ハーフスペース」でラモス瑠偉を再現
ラモス瑠偉は技術的にも戦術的にも飛び抜けた存在でした。例えば、「ハーフスペース」(=ピッチを縦に5分割した際の2番目と4番目のレーン)を使ったビルドアップはヴェルディ川崎の定番でした。ラモスがCBとSBの間のハーフスペースに下りてきてパスを受ける、同時に左SBの都並敏史はタッチライン際にポジションを上げ、三浦知良やビスマルクがラモスから右斜め前へのパスコースを確保する。さらに最前線の武田修宏がダイアゴナルランで一気に裏をつく準備をする……いわゆる「ポジショナルプレー」です。これに関してはオフト監督も歴代のヴェルディ監督も言語化していません。今ならハーフスペースという用語を使って容易に理解できますが、当時はラモス自身も言語化はしていなかったと思います。なので、ヴェルディでも代表でもラモスがいればできる、ラモスがいなければできないビルドアップでした。
ハーフスペース、ポジショナルプレーという言葉はありませんでしたが、90年代初期の日本サッカーにもすでにフィールド上には存在していた。ただ、そう言えるのは我われがそれを説明できる用語を持ったからです。多くの人に伝える、理解してもらうには言語化が有効です。ごく限られた人々しか理解していなかったことを周知させる力が言語化にあるわけです。
サッカーのプレー判断に言語は相性が良くありません。相性というより関係ないと言った方がいいかもしれません。しかし、オフト監督の言語化の例でも、それによってプレーの質が劇的に変化しています。言語化は判断そのものに影響はありませんが、それ以前の認知に関係があるからだと思います。
車の運転なら、道路標識が目に入っていても意味がわかっていなければ判断には反映されません。まあ、標識の意味がわからないと免許は発行されないと思いますので、ものの喩えです。標識の意味を知ることで、より正確な判断の助けになります。その時の状況が何を意味しているかわかることで判断の精度アップが期待できる。
例えば、ハーフスペースという用語と意味を知ることで、ハーフスペースを意識するようになります。フィールドを見るだけでなく「見抜く」ことが可能になる。その状況に対する見通しが良くなるわけです。そうした見抜く能力、洞察力を誰に教えられることなく身につけている選手がいます。いわば頭の中に「地図」が入っている選手です。彼らに言語化はそれほど影響ないでしょう。フランツ・ベッケンバウアーはユース時代にデットマール・クラマーから「初めて戦術を教えられた」そうですが、その内容については「すでに実行していることだった」そうです。彼にとっては、やっていることを言葉にしてもらっただけでした。
しかし、「地図」が入っていない、「地図」を読めない選手もいます。言語化によって状況の認知力を上げるのは、カーナビを搭載することに近いかもしれません。言語化によってあらかじめ状況を整理し、同じような状況を何度も体験する中で判断を自動化させていきます。
言語化による認知力のアップは、パターン認識の強化と言えるかもしれません。ペップ・グアルディオラ監督はフィールド上で起こっている事象をパターン化させるのが上手な監督だと思います。バルセロナ時代の「ファルソ・ヌエベ(偽9番)」やバイエルン時代の「アラバ・ロール(偽SB)」などは、それ以前にもあったものでした。ただ、そうした過去のゲームの中で埋もれていたもの、あるいは指導しているチームで散らばっていたものを、見抜いて取り上げて定着させるのが上手です。ペップは現役時代に「地図」が入っている選手で洞察力に優れていましたからね。監督としてもその能力を生かしているように感じます。
「未来のカオス」とどう向き合うか?
いずれにしても机上の論理が先ではない。言語化はあとからついてくるものです。言い方を変えると、フィールド上にはまだ言語化されていないものがたくさんあるはずなのです。現在は「カオス」として片付けられている事象にも、やがて名前がついて整理される可能性があるのではないでしょうか。
サッカーは科学ではありません。必ず不確定な要素があります。その不確定な部分を最小化しようとするのがヨーロッパ的なアプローチです。不確定要素をなるべく小さくして、再現可能な法則性に依拠しようとする。ですから、基本的にカオスを嫌います。無視はできませんが、そもそも数値化できないからカオスなのでそこに注力することもしません。
一方、南米は伝統的にカオスをカオスのまま受け入れてきたように思います。そのせいか、南米のサッカーに関する言説は科学よりもポエムに近いものが多いのでしょう。しかし、そのポエムはある意味核心を突いています。
今回のリストランテでは、「サッカーの言語化」というトレンドをテーマとしていますが、もう一歩先にはカオスとどう向き合うかが待っているような気がします。おそらく現時点でカオスとされているものの中には、実はカオスでも何でもないものが含まれていると思うからです。言語化はある種のパターン化ですから必ず対処されます。次の一歩を先んじるのはカオスを言語化するか、カオスをカオスのままとして利用できるか、そのあたりではないかと。そして、体質的にそれが難しいヨーロッパ以外の場所で何かが起こるのではないかという予感はしています。
Photos: Getty Images
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Profile
西部 謙司
1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。