レノファ霜田正浩監督から得た学び。技術委員長からJ2の異色の経歴。
林舞輝のJ2紀行 レノファ山口編:第二部
欧州サッカーの指導者養成機関の最高峰の一つであるポルト大学大学院に在籍しつつ、ポルトガル1部のボアビスタU-22でコーチを務める新進気鋭の23歳、林舞輝はJ2をどう観るのか? 霜田正浩とリカルド・ロドリゲス、2人の注目監督が激突する8月12日の山口対徳島を観戦するために中国地方へと旅に出た。
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8月11日。
今、目の前に、日本サッカーを最前線で背負ってきた男が座っている……。
不思議な感覚であった。ザッケローニ、アギーレ、ハリルホジッチといった名将を日本に連れてきた元日本サッカー協会の技術委員長、日本サッカーの舵取りを担ってきた張本人と、2人で向き合って食事をしているのである。山口県で。
特別な計らいで非公開練習を見学させてもらった後に、霜田監督と2人でランチをすることになった。ぜひ指導の中身を詳しく話を聞きたい、という私の身勝手なお願いを快く承諾してくださった霜田監督のオープンさには驚くばかりである(しかも、昨夜に続いてこのランチまで奢っていただいた。山口の人たちの温かさには脱帽である)。
「『準備』とは、次の手を先に用意しておくこと」
注文したのは、瓦そば。山口発祥の麺料理である。数年前にTBSドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」で見かけてからというもの、いつか絶対に食べてみたい料理の一つだった。ちなみに、私は「逃げ恥」エンディングの“恋ダンス”をなかなかのクオリティで踊れる。
今週の練習のこと、これまでの試合のこと、明日の徳島戦のこと、強化部時代のこと、監督業のこと、レノファ山口のこと、このチームでのゲームモデルのこと、攻撃/守備/攻→守/守→攻の各局面での明確なプレー原則のこと、ユニークなレノファ語の数々……。あまりにもオープンに話してもらえて、逆にこちらが戸惑ってしまうぐらいだった。
やはり、日本サッカーを背負ってきた人間の話は伊達ではなかった。何しろ、強化やコーチの経験に加え、ザッケローニ、アギーレ、ハリルホジッチのサッカーを間近で見て学んできたのである。言葉の一つひとつが、重い。あの練習での楽しそうなキラキラした瞳の奥底には、自分がまだ見たことも経験したこともないような得体の知れない何かが潜んでいる――そう感じた。
強化の世界で腕を磨いてきた経験は、監督としても生きているようだ。シーズン真っ只中にもかかわらず、レノファ山口はこの夏、それまで攻撃陣を担ってきた小野瀬康介をガンバ大阪に引き抜かれた。そのことを訊いてみたのだが、痛い放出であることは認めたものの、霜田監督は意外と冷静であった。小野瀬にオファーが届く前からすでにその可能性を察知し、事前に東京ヴェルディから高井和馬を獲得済みであり、さらに新選手の獲得にも目星をつけているようだった(その後、8月13日に北海道コンサドーレ札幌からジュリーニョの期限付き移籍での加入を発表)。
「シーズン中に誰か獲られるかもしれない」ということは常に念頭に置いていたようだ。霜田監督はこの件に関し、「『準備』とは、次の手を先に用意しておくこと。誰かを獲られてから後釜を探す、どうしようと慌てる、これは準備とは呼ばない」と答えていた。このあたりのマーケットでの危険察知能力、対応の正確さと素早さ、そして強化部とのスムーズな連携は、まさに「強化の人」として長年養ってきた経験と知識が大きいように思える。強化部と監督が一体となってチーム編成ができるのは、レノファ山口の大きなアドバンテージの一つだろう。
モウリーニョ流の試合前日のゲーム形式
一方で、強化部時代には専門外であったであろうピッチ上のマネジメントでも、様々な工夫を凝らしてチームの向上に努めているようであった。
例えば、この日本特有の夏の期間のトレーニング方法。Jリーグで戦う限り、夏の暑さ対策というのは永遠の課題である。世界でも例を見ない、異質なタイプの暑さだ。その中で、どういう風にトレーニングの負荷を設定し、どういう試合運びをするかというのは、大きな課題である。
この時期、霜田監督はトレーニングのインテンシティを維持しつつ、ボリュームをトータルでも一つのセッション毎でも少し下げるように意識して、練習時間も少し短く設定していると話していた。それだけでなく、休養を与えることの重要性を挙げ、木曜日の練習を10時、次の日の金曜日の練習を17時にすることで、練習と練習の間を24時間以上空けるようにし、2日連続で練習しているにもかかわらず、実質丸1日の休養が取れているようにするなど、様々な工夫を凝らしていた。
また、様々な外国人指導者との接点があった霜田監督ならではの、監督としての引き出しの多さには、本当に驚かされた。今までの数々の名将からアイディアを得ている、いわば「名将の日本アレンジ版パッケージ」だ。それは、前述の歴代日本代表監督からだけではない。個人的に以前にはまったく知らなかったことで面白かったことの一つが、霜田監督とモウリーニョ監督との接点だ。S級ライセンスの取得時に義務付けられている海外研修で、当時からポルトガルサッカーに興味を持っていた霜田監督は、私の住むポルトに行っていた。そこでFCポルトでまだ無名に近かったモウリーニョ監督のトレーニングを特別に見学し勉強していたそうだ。
モウリーニョ監督は試合前日に短い時間ながら、小さなコートでバチバチのゲームを行い、チームを盛り上げ、空気をピリッとさせていたようである。フィジカル的な負荷はかかるものの、チームや選手たちの心理的側面やソーシャルな側面も考慮に入れてトレーニングを構築するモウリーニョ監督らしい一面だ(ちなみに、霜田監督が見てきた中で試合前日にゲーム形式の練習をしていたのは、モウリーニョとアマル・オシムだけだそうだ)。そのようなところからアイディアを得た霜田監督は、山口でも前日に短い時間で小さなコートでゲームを行い、チームをピリッとさせて試合への準備を終えているという。
「いつかは外へ」監督としての飽くなき挑戦
最後に、霜田監督にどうしても訊いてみたいことがあった。彼自身の、現在の野望である。強化に携わってきた間も「いずれは監督になる」という志をずっと持っていたという霜田監督。日本代表の技術委員長という、ある意味で強化の世界の頂点にまで登り詰めた後、監督としてまた異なる大きな山に登り始めた彼の、今の野望はなんなのだろうか。この質問はもしかしたらはぐらかされるかもしれないと思っていたのだが、正直に話してくれた。
「監督という世界で自分がどこまで行けるか、挑戦してみたい」
そして、もう一つ。
「日本人の指導者として、外へ出て監督をやってみたい」
飽くなき野心、そしてその先に見据える「日本を出て監督をする」という大きな夢。監督としての霜田正浩の長い旅は、まだ始まったばかりなのだ。
その後、私はいったん山口を出て、神戸へと向かった。狙うは、生イニエスタ&ポドルスキである。
そして、非常に幸運にも、その日は2人の初共演の日となっただけでなく、ポドルスキのアシストからのイニエスタのJリーグ初ゴールをこの目で見ることができた。スタジアムでのファンの興奮、そして何より自分自身の興奮を全身で感じた90分間であった。スタジアムの生観戦であそこまで興奮し、サッカーを心の底から堪能できたのは、いつぶりだろう。
……だが。まさか、この次の日に山口の地でさらなる興奮、今後の自分の人生を変えるかもしれないほどの大きな大きな興奮が待ち受けているとは、まだ思いもよらなかったのである。まして、第一部で登場した某サッカージャーナリスト・オススメのネカフェにて3000円で一晩を過ごした、私には……。
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●林舞輝のJ2紀行 レノファ山口編
第一部:新世代コーチ林舞輝、J2を観る。レノファと霜田監督との出会い
第二部:技術委員長からJ2の異色の経歴。霜田監督とのランチで得た学び
第三部:J2最高峰の名将対決を徹底分析。山口対徳島という極上の戦術戦
第四部:維新の地で感じた「Jの夜明け」。山口と徳島のファンに嫉妬した
第五部:記者会見、2人の知将との対話。感謝と違和感、そして“ある想い”
Photos: Renofa Yamaguchi FC
Profile
林 舞輝
1994年12月11日生まれ。イギリスの大学でスポーツ科学を専攻し、首席で卒業。在学中、チャールトンのアカデミー(U-10)とスクールでコーチ。2017年よりポルト大学スポーツ学部の大学院に進学。同時にポルトガル1部リーグに所属するボアビスタのBチームのアシスタントコーチを務める。モウリーニョが責任者・講師を務める指導者養成コースで学び、わずか23歳でJFLに所属する奈良クラブのGMに就任。2020年より同クラブの監督を務める。