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城福浩が語る、選手育成。「ポジションを奪うプロセスこそ、成長」

2018.08.08

【短期集中連載】広島を蘇らせる、城福浩のインテンシティ 第二回

昨年はJ1残留争いをするまで落ち込んだサンフレッチェ広島を蘇らせた、城福浩監督。第一回記事「城福浩の時計は、2016年7月23日で止まっていた」では、就任した経緯からプレシーズンまでの苦闘を描いた。同記事の後編となる第二回では、具体的にどのような手法で選手たちの自信を回復したのかを中心としたルポルタージュをお届けする。


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「俺はお前を見ているからな。以上だ」

 2018年2月14日、対岡山戦で圧巻のプレーを見せた千葉和彦が翌日のトレーニングから主力組に抜擢。実力からすれば主力でプレーするのは当然であり、キャンプ当初の出遅れを必死に巻き返した彼の努力はさすがと言うしかない。

 その千葉の代わりに外されたのは、才能に満ちた若者・野上結貴だった。それまでずっと主力組でプレーし、内容も悪くない。今季はCBでポジションを取るんだという強い意識でキャンプに臨み、ここまでのプレーには手応えを感じていた。それだけに、主力組から外されたショックは、彼自身にとっても想像以上。春雨が降りしきる中、トレーニングにもまったく集中できていなかった。

 練習後、指揮官は彼に声をかける。

 「お前がどう思っているか、それはわからない。でも、俺はこういう決断を下した。ただ、(この後も)俺はお前を見ているからな。以上だ」

 雨でずぶ濡れになりながら、指揮官は野上に言葉をぶつけた。

 「おそらく、彼の耳には言葉が届いていなかったでしょうね」

 監督の言う通りだった。

 「あの時、自分をコントロールできなかった。言葉は身体にも心にも入ってこなかったし、一言一句、すべてを否定的にとらえていた」(野上)

 それでも城福監督は野上に「見ているぞ」と言葉をかけた。

 「悔しさは当然。でもここからポジションを掴みにいく立場の選手が、今回のことくらいで右往左往してどうする」

 そういう気持ちを胸に秘め、野上をずっと見ていた。気持ちが荒れた若きDFが大学生とのトレーニングマッチで相手を削りにいった時も、ベンチから外れたプレシーズンマッチ山口戦での振る舞いも、指揮官はずって見ていた。あえて何も言葉をかけず、彼を見続けていた。

 だからこそ、野上結貴は自分を取り戻すことができたのだ。J1開幕節・札幌戦への準備過程の中で若いDFが少しずつ落ち着きを取り戻す様子を確認すると、野上を主力組に入れて「見ている」というメッセージを無言で伝えた。「勝っている状況で使う可能性がある」という意志も伝えた。

 必勝の思いで迎えたその開幕戦、ティーラシンのゴールを全員で守り切っての勝利でスタジアムは歓喜に包まれた。キーポイントとなったのは61分、セットプレーの守備で千葉が右手首を骨折し、交代が必要になったシーンである。この時、城福監督は迷いなく野上を投入し、最大の脅威であるジェイへの対応を求めた。冷静かつ闘志を胸に秘めた背番号2は、見事に役割を果たして勝利に貢献した。外側からは当然の采配に見えるかもしれない。だが、もし野上が「荒れた」ままだったら、あの緊迫したギリギリの場面で投入できなかったし、なによりもメンバーに入れることもできなかったはずである。

 札幌戦の勝利後、指揮官は野上に対して「お疲れさま」といつも通りにねぎらった。そして次の試合からは先発で起用。野上結貴はその後の14試合ですべて先発フル出場し、15試合8失点という圧巻の守備を牽引する立役者となったことは、ご存知の通りである。


「吉野が来たら、教えてくれ」

 もう一つの事例をご紹介しよう。

 3月31日の対川崎戦に向けて、吉野恭平が主力組のボランチとしてトレーニングを続けていた。浦和・鹿島・磐田と途中出場ながら好プレーを続け、ルヴァンカップではチームを中心として牽引し、結果も出した。相手を潰す守備、スペースへの展開、クサビのパスの精度。攻守にわたって力強いプレーを続けて評価を上げた。プレシーズンの時から懸命に努力を続けてきた23歳の若者の能力を認め、城福監督は開幕からずっと重用。そして昨年王者との戦いに向けて、いよいよ彼にリーグ戦初先発のチャンスを与えていいのではないか。そう考えた。

 だが一方で、これまで通り稲垣祥を先発起用して臨むという考えも捨て切れない。試合前日、トレーニング会場のエディオンスタジアム広島に着いたのは午前8時。その時まで、結論は出なかった。悩む、悩む。決断こそ、指揮官の仕事である。例えば日露戦争の時、それまで作戦は参謀の秋山真之らに任せていた司令長官・東郷平八郎だったが、ロシアのバルチック艦隊が対馬海峡を通るか津軽海峡を通るのかという二者択一の選択では、自ら「対馬海峡だ」と選択。日本海海戦で日本を勝利に導いた。集団を率いるということは、決断することなのである。

 「吉野が来たら、教えてくれ」

 マネジャーに告げた。気持ちを固めた。

 30分後、エディオンスタジアム広島にやって来た若者に、城福浩は一言で、告げる。

 「明日、お前はサブに入ってくれ。以上だ」

 2、3秒の沈黙。吉野恭平は、言った。

 「わかりました」

 そして彼はいつも通り、練習の準備に入った。

 トレーニングでビブスが配られる。吉野はサブ組。その瞬間、本人よりも周りが驚いた。ピリッとした緊張感。「最高のトレーニングができた」と監督が手ごたえを感じる中、王者・川崎との決戦を迎え、そして勝利した。1-0とリードした状況でピッチに入った吉野も見事に役割をまっとう。歓喜の中に若者はいた。

 「誰をチョイスするかは、私が全責任をもって行うもの。ただ、あれだけ準備した選手が試合前日に(主力組から)外れるのは簡単な受け入れ方ではない。吉野はその時、本当にプロフェッショナルでした。その表現がピッタリとくる態度でしたね」

 あの時のことを、その4日後、吉野恭平に尋ねてみた。

 「主力組から外された時は正直、思うところはありましたね(苦笑)。でもその悔しさをピッチで表現すればいいと、すぐに切り替えることができた。何かが足りないから、外されただけ。だったら、ピッチでもっとアピールすればいい。外されたことは、自分にとってむしろ良かった。リーグ戦では途中から使われているけど、それで満足してはいけないということを教えてくれた」

 以前はちょっとしたことで練習中に感情を露わにしてしまうほど、メンタルが不安定だった吉野が、こういうメンタリティを持てるように成長してくれている。指導者にとってこれほど頼もしく、うれしいことはない。


育成とは、ポジションを与えることではない。

 「スタートの11人も、ベンチ入りの18人も、すごく悩んで決めている。そのベースにあるのはこのチームの健全な競争であり、それが広島のストロングポイント。そう言えるだけのことを、彼らは練習場で見せてくれているんです」

 競争意識は、チームに強く浸透している。4月18日、ルヴァンカップの名古屋戦で今季公式戦初敗北を喫した時、馬渡和彰は「リーグ戦組よりも先に負けたくなかった」と唇を噛んだ。青山敏弘は「カップ戦組との紅白戦で圧倒されることも少なくない」と悔しさをにじませた。同じチーム内でライバル意識を持ち、練習から「バチッ」と音が響くほどの激しさを見せつける。

 少しでも油断したら、入れ替わってしまう。

 そんな危機感の証明は、4月21日の対鳥栖戦からのリーグ5連戦時に現れた。2戦目のFC東京戦で初敗北を喫したその2日後、長崎市内の練習場で主力組はターンオーバーを拒否する強い意気込みを見せた。その勢いを評価した城福監督はその後、主力組をほとんど休ませずに起用。5連戦で4勝1敗、8得点3失点。FC東京戦以外の4試合はすべて完封勝利という完璧な戦いぶりを見せつけたのだ。

 監督の仕事は戦術の構築だけではない。むしろそれ以外のパート、特に選手のマネジメントが大きなウェイトを占める。野上や吉野の例にあるように、城福監督は選手起用で厳しい判断を下しているが、それによって結束が壊れることはない。クラブやサポーターの大きな期待を背負っている川辺駿に対しても、彼が望むボランチのポジションではなく、サイドMFのポジションを与えた。その位置で浦和戦や鹿島戦では見事な結果を出した。だが、磐田戦後に体調を崩して先発から外れた川崎戦で柴崎晃誠が素晴らしいパフォーマンスを見せつけると、若き逸材はベンチスタート。初敗戦を喫したFC東京戦を最後に、彼には先発の機会がない。

 貫かれているのは明白な結果主義。監督の判断で「やれる」と見た選手を使い、課題がストロングを上回ってしまった選手は使えない。起用法が至ってシンプルに整理されてブレがないから、使ってもらえない不満はあったとしても「どうしてなのか」と考えることはない。例えば馬渡和彰は試合や練習から「攻撃から守備に戻るスピードが遅い」と課題を汲み取り、改善に向けて努力を重ねている。すべてが明快。それが城福浩のマネジメントだ。

 「育成とは、ポジションを与えることではない。それが私の考え方です」

 指揮官の熱い言葉である。

 「ポジションは奪うもの。100試合とか200試合のキャリアを積んだ選手から(レギュラーを)奪うそのプロセスこそ、成長なんです。10代で試合に出すことが育成ではない。トレーニングマッチで一度くらい結果を出したとか、プレシーズンで頑張ったとか、それだけではポジションは取れない。

 たとえば戦術的なことでも、実績を積んだ選手は自身の経験を照らし合わせることができるから、指示が腑に落ちやすい。局面だけではなくその数手前のことまで考えが及ぶ。経験のない選手が実績組からポジションを奪うには、トレーニングで見せるしかない。一生懸命にやるのは当たり前です、プロですから」


100の現象を伝えても、選手は理解できない。

 それにしても、どうしてこれほど勝てるのか。青山敏弘は「(周りの)みなさんは、どうして勝てるのかわからないかもしれないけれど、僕らにはわかる」と胸を張った。

 フォーメーションはオーソドックス。ソリッドな守備と切り替えの速さ。「パトリック頼みの攻撃じゃないか」と言う向きもあるが、彼が点を取っていない試合でも結果を出している。「守ってカウンターだろう」と言われるが、20本以上のパスを繋いでゴールを陥れたのは一度や二度ではない。受け身の守備で15試合8失点という成果は得られない。「運もある」と言われもするが、それだけで勝ち点37(15試合)は奪えない。

 ボール支配率は45%前後、ボールを保持されていることも少なくない広島の試合ぶりを見て、多くの人々は「守備に特化したトレーニングをしているのだろう」と想像する。しかし今季、プレシーズンも含めて守備の練習は、「ほんの数度」(城福監督)。ラインコントロール、守→攻の切り替え、プレッシングの連動などに特化した練習も記憶にない。ボール保持のための練習やクロス→シュートなど攻撃的なトレーニングがむしろ多く、実戦形式でも多くの場合は攻撃の方に指揮官の声は飛ぶ。「(堅守速攻と言われた)甲府時代も、トレーニングはFC東京の時と同じように攻撃が多かったんです」とシーズン前に話していた、そのままの情景だ。

 「守備はとにかく、意識付けを徹底していますね」

 なるほど。では、その意識付けとは。

 「ゴール前に集結する守備にしても、どういう状況で誰がどう(ブロックに)行くかなどの具体的な指針がないと、選手は動けないんです。また、選手が集結するとボールホルダーに寄せることは難しくなる。でも、その寄せがなければ相手はフリーでクロスを入れてくる。“靴1足分の寄せ”と“集結”は、いわば相反関係。そこをどうにかして両立させるためには、意識を共有させないといけないし、プレーの決断も必要なんです」

 コンマ数秒の間に必要なプレーを判断し、身体の動かし方を決断する。そのためには、チームとして具体的な指針が絶対に必要だ。そこを理解し、頭と身体に染み込ませるという準備があって初めて、瞬間のうちに決断することができる。広島は攻守の切り替えが速く、ブロックに入るスピードも速いが、それも指針あってのことだ。

 「例えばルヴァンカップのグループリーグ最終戦、対浦和戦での失点シーンです。あの失点は、柏好文がボールを失ったことが直接的な原因。絶対にやってはいけない軽いプレーでした。ただ、その10数秒前に立ち返ると、逆サイドで我われの指針通りではない場面があったんです。そのため、ボランチがそのサイドに寄らざるを得ない。

 柏がボールをマルティノスに奪われた時、近くには野上だけ。ボランチがそこにいなかった。集結しないといけない時にできていなかったのは、そういう事情があったんです。指針といっても、守備でいえば7~8つのことに過ぎないんだけど、それができていないと失点に直結してしまう。逆にいえば、しっかりと指針通りにできていれば、数秒後の失点シーンは起きない。100の現象をそのまま伝えても、選手は理解できない。でも指針を明示しておけば指摘は具体的に絞られ、頭に響いてくるものです」


氾濫している言葉は、できるだけ使わない。

 ここでいう「指針」とは何か。戦術の核にあたることでもあり、さすがに具体的なことは言えない。ただ注目したいのは、城福監督が状況を分析して選手に伝えるにあたり、情緒的な言葉は使っていないということ。耳にタコができているような使い回された言葉を極力避けている事実だ。これまで出てきた「靴1足分の寄せ」や「集結」「決断」、そして「12時の針」や「指針」。他にも「矢印」や「電流」など、彼独特の表現が散りばめられる。

 「気持ち、頑張る、メンタルが課題、死ぬ気でいけ。そんなあやふやな単語を使われるのが、僕は現役時代から嫌いだったし、そんな言葉は指導用語ではないとすら思っていた。論理的な理由が存在し、そこに基づいて指摘を受けて初めて、僕は頑張ることができたんです。

 例えばチャレンジ&カバーという言葉はそれこそ“耳にタコ”。5万回くらい言われているかもしれない(苦笑)。そういう世の中に氾濫している言葉は、できる限り使わないようにしています」

 選手たちのコメントにもよく「集結」や「決断」という言葉が出てくる。一方で「チャレンジ&カバー」や「球際」などの使用頻度は減っているように感じる。取材している側がこれらの言葉を使い、選手が「そうですね」といったことをコメントして使用することはあるかもしれないが。

 「感覚的に、選手に伝わる言葉を使いたい」

 城福浩のこの言葉を聞いて、直感的に思い出したのはイビチャ・オシムである。

 「ライオンに襲われた野うさぎが逃げ出す時、肉離れなどしない」

 臆病な野ウサギが常に「逃げるための準備」を整えていることから、いい準備がいかに大切かを教えた言葉だ。だが「いい準備をしておけ」と言うよりも「野ウサギは肉離れしない」という方がどれほど心に響くことか。考えることか。

 2006年、ナビスコカップでの対広島戦で彼が発した言葉を思い出す。オシムが率いる千葉が4得点で先行し、後半は一気に広島が3得点で追い上げたゲーム後の会見だった。

 「残念なのは、結果がひっくり返らなかったことだ。あのようなプレーの内容では、むしろ逆転された方が良かった。まあ、どういうことができて、どういうことができないかがわかったことは、選手たちのためにも良かったこと。サッカーはいい学校のようなものだ。その学校を卒業すれば、素晴らしい人生が待っている」

 勝ったにもかかわらず、負けた方が良かったと言い切る。その哲学、その洞察力、そして言葉のチョイス。誰でも真似できることではない。

 「指導者としてすごいと思ったのは、やはりオシム監督です」

 城福は打ち明ける。

 U-17日本代表監督時代、彼は旧知の小倉勉コーチにぜひ、チームに参加してほしいと思っていた。だが当時、彼はオシム監督の元でのアシスタントコーチとして千葉と契約中。それでも諦め切れない城福は、偉大なるイビチャ・オシムに直談判を試みた。ただルール破りとも言えるこの行為をとがめるでもなく、監督は語った。

 「日本のためには、小倉が城福の元で働くのも、いいのではないか」

 こういう懐の深さも含め、彼はオシムを敬愛する。

 「オシム監督の指導を受ければ、うまくなれる」

 選手がそういう言葉を紡ぐ関係性は、指導者にとって目指すべきところ。城福浩もそう、考えている。


バルサでもレアルでもなく、アトレティコに。

 繰り返して記すが、15試合で勝ち点37。2005年の18チーム制以降以来、優勝チームの平均勝ち点は68ポイント。つまり平均勝ち点2.0のペースでタイトルが届くことになる。このラインに対して広島は19試合31ポイント、つまり平均勝ち点1.63で届く。ハードルが低いとは言わないが、優勝に向けて最短距離にいることは間違いない。

 「現時点での勝ち点とかには興味はない。一戦一戦、今まで通りに戦うだけ」

 佐々木翔はそう言った。青山敏弘の言葉も紹介しておこう。

 「ここまでの戦績は素晴らしいが、いつ崩れるかはわからない。だからこそ、常に改善していく必要がある」

左から佐々木翔と青山敏弘

 見事なまでに地に足がついている。それはもちろん、去年の経験がベースにはあるから。そして、城福浩監督のマネジメントが生きているからだ。

 「チームにとって最大の補強は選手個々の成長。そのためにはまず、本当の意味でのハイレベルなベーシックを研ぎ澄ませ、健全な競争原理を高めていきたい。その上で、攻撃での崩しのパターンも増やしていきたいですね。ここまでの15試合、立ちはだかる課題に対して一つひとつ取り組んできた。それをこれからのシーズンも続けていくだけです」

 最近、サッカーファンの間で今季の広島をアトレティコ・マドリーになぞらえる向きもあるが、その評価に対して指揮官は「うれしい」と笑顔を見せた。

 「広島は明白に、バルセロナやレアル・マドリー(のようなビッグクラブ)ではないですから。アトレティコは、そういう強烈なクラブとの戦いの中で成長し、栄冠も勝ち得ている。だからこそ〈アトレティコ〉という評価はうれしいです」

 ディエゴ・シメオネが率いるアトレティコ・マドリーは、全選手に浸透する高い守備意識とハードワークによって鉄壁の守備を誇り、鋭い切り替えからのシンプルな攻撃によって強豪の仲間入りを果たし、2013-14シーズンには17年ぶりのリーグ優勝を果たした。同じことを夢見たいと言うと、きっと城福浩監督から叱られるだろう。圧倒して勝った試合は一つもない、常に目の前の試合に全力を集中するだけだ、と。


【短期集中連載】広島を蘇らせる、城福浩のインテンシティ

第一回:城福浩の時計は、2016年7月23日で止まっていた(前編) …8/7
第二回:城福浩が語る、選手育成。「ポジションを奪うプロセスこそ、成長」(後編) …8/8
第三回:稲垣祥、「連続性」のモンスター。広島を動かす中盤のモーター …8/9
第四回:覚悟を決めた選手でないと、広島ではやれない。足立修(広島・強化部長) …8/10
第五回:GK林卓人(広島)。寡黙な男が語る、雄弁なプレーのすべて …8/13
第六回:池田誠剛は、城福浩を男にしたい。「正当な評価がされなければ、日本の未来はない」 …8/14
第七回:池田誠剛が語る、広島。「ここにいる選手たちを鍛え上げたい」 …8/15


Photos: SIGMACLUB, Takahiro Fujii
Edition: Daisuke Sawayama

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J1リーグサンフレッチェ広島城福浩

Profile

中野 和也

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。

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