ロシアがブラジルサポーターから学んだ“サッカーの楽しみ方”
画面越しには伝わらないワールドカップの風景#1 サンクトペテルブルク編
オリンピックと並び世界最大級の国際スポーツイベントであるワールドカップは、普段はなかなか触れる機会がない開催国の素顔を知ることができる格好の機会でもある。
特に今回のロシアは、日本人にとって未知な部分も多い国だ。果たして、現地ではどのようにサッカーの祭典と向き合っているのか。
今回、約2週間にわたり現地に滞在し各地を取材した篠崎直也さんに、各都市の文化的な背景なども交えながら画面越しではわからない“ロシアワールドカップの風景”を綴ってもらう。
ソ連崩壊から27年が経過し、ロシアは他国に類を見ないほどの劇的な変化を遂げてきた。1990年代にサポーターの暴動などによって「最も野蛮なスポーツ」として嫌われてきたサッカーは、国の経済発展とともに「新生ロシア」を象徴する旗印として異なる役割を担うようになった。
そして、決してサッカー先進国とは言えないロシアでいよいよワールドカップが開催される――この世界中が注目するサッカーの祭典によってロシアがいかに変わったのか、またこの国の人々はどのように今大会を受け入れるのか。それを体感すべく広大なロシアを北から南へとめぐる旅に出発した。
歴史דお祭り”
まずは「北の首都」とも呼ばれるサンクトペテルブルク。国内随一のエネルギー企業ガスプロムの支援によって地元クラブであるゼニトが強豪へと成長し、ひと足早くサッカーが人々の間に新たな文化として根づきつつある街である。
空港は各国サポーターであふれ、タクシーの手配などを手伝うボランティアスタッフの姿が目についた。しかし、街の中心部への道中は大会のバナーやフラッグが両脇に絶え間なく見えるものの、それ以外は至って普段通りの街並みで、大会の盛り上がりはそれほど実感できない。とはいえ、3日前にロシア代表が開幕戦でサウジアラビアに5-0の快勝を収めた後だけに、現地のロシア人の友人たちからは自然と、興奮気味にサッカーの話題が出るようになっていた。街中の至るところで代表の話を耳にするにつけ、開催国の静かな沸騰ぶりを知ることができた。
今大会は各都市に「ファンフェスト」と呼ばれるパブリックビューイング会場が特設されている。ペテルブルクでは世界遺産である「血の上の教会」に隣接した広場がその会場となった。皇帝アレクサンドル2世暗殺の現場に建てられた壮麗な教会と、長らく放置された廃墟のような工場跡に挟まれた空間で、巨大な画面に試合が映し出されるその光景は、街そのものが文化財である古都の歴史と現代のワールドカップが渾然一体となった稀有な瞬間である。
また、1785年から続く老舗デパート「ゴスチーヌィ・ドボール」の2階のバルコニー部分が仮設のスポーツバーに様変わりしていて、100m以上にわたってテレビがずらりと並び、歩き疲れたサポーターたちの憩いの場となっていた。厳しい景観保護条例があるこの街の中心部でこうした体験ができることは驚きであったし、国や街のお墨つきを得て気兼ねなく大声で叫びながら観戦できることの特権をより深く実感できた。「本当にここでこんなに騒いで良いのだろうか」と普段の街を知る者は一度警官の顔色をうかがってしまうくらいだ。いつもは怪訝(けげん)な顔でサポーターの脇を通り過ぎる市民も、今回ばかりは温かく、自らも参加している。ワールドカップは紛れもなく“お祭り”なのである。
異文化との邂逅
この間ペテルブルクではグループステージ第2節、開催国ロシアとエジプトの試合が開催された。地元民から「空飛ぶ円盤」と呼ばれている試合会場のサンクトペテルブルク・スタジアムは日本の建築家黒川紀章の遺作の一つであるが、街の西側にあるクレストフスキー島のフィンランド湾に面した立地で、交通アクセスの不便さが課題だった。しかし、昨年のコンフェデレーションズカップの時にはまだ工事中だった島への海上道路と新たな地下鉄駅が開幕直前に何とか完成し、スタジアム周辺の景観は大きく様変わり。近くにはガスプロムが建設した高さ462mの高層タワー「ラフタセンター」もそびえ立ち、建都300年以上の古都の街並みとのコントラストが鮮明だ。
この日は平日ということもあり、街中では圧倒的にエジプトサポーターの存在が際立っていた。モロッコとチュニジアのサポーターも加わり、「北アフリカ連合」のボルテージの高さに市民の多くは初めてサッカーの異文化を体験し、興味津々の様子。
一方、押され気味のロシア人たちもスタジアム周辺になると数で上回り、「ロシア」コールで応戦していた。他国のサポーターと比べてあらためて気づくのは、ロシア代表の応援パターンの乏しさである。基本的には大人しく黙って見ているのがロシア人の観戦スタイルで、コールといえば先ほど紹介した「ロシア」のみ。一時期ロシア民謡の「カチューシャ」を歌っていた時期もあったが、定着とまではいかなかったようである。
身につけているものも様々で、みなが今大会の代表ユニフォームを着るわけでもなく、国旗の色をモチーフにした以前のユニフォームを着ている人や普段着の人も多く、どうもまとまりがない。女性は民族衣装で美しいが、男性は騎兵や皇帝、アニメのキャラクター「チェブラーシカ」などウケ狙いのコスプレが目についた。さらに、トレンドとなっているのが開幕戦の活躍を受けて人気上昇中のチェルチェソフ監督の口ヒゲ。男女問わず口ヒゲを描いたり、貼りつけたりして指揮官のトレードマークをリスペクトしている。
このエジプト戦の時点でペテルブルクで目立っていたのは、数日後に試合を控えていたブラジルサポーターである。歌や鳴り物を使いながら底抜けに陽気な応援スタイルはロシア人とは対極にある。そして、サッカーをよく知り、その楽しみ方も熟知している。ブーイングのタイミングや、盛り上げどころが絶妙で、試合がつまらなければ自分たちで盛り上げようという精神である。ロシアの人々はブラジルサポーターに引っ張られながら雄叫びをあげていた。この日得点を決めたFWジュバがブラジル人には発音しやすいためかお気に入りで、しきりに「ジュバ」コールが起きていた。こうしたサッカー観戦の楽しみ方を各国サポーターから教えてもらうことも、ロシアサッカー界にとっては今後の大きな財産となるはずである。
ロシアはエジプトに3-0で快勝し、ソ連崩壊以降初となる決勝トーナメント進出を決定的にした。太陽が降り注ぐ他の開催都市とは一線を画し、誰にも天候の読めない「北の首都」は激しい雨風により震えるほどの寒さであったが、この日ばかりは中心部では明け方まで歓喜の声が鳴り響き、ロシア人とそれに便乗する各国サポーターの熱気に満ちていた。
Profile
篠崎 直也
1976年、新潟県生まれ。大阪大学大学院でロシア芸術論を専攻し、現在は大阪大学、同志社大学で教鞭を執る。4年過ごした第2の故郷サンクトペテルブルクでゼニトの優勝を目にし辺境のサッカーの虜に。以後ロシア、ウクライナを中心に執筆・翻訳を手がけている。