日本の『助けを求められない』雰囲気はどこから生まれる?
「ドイツ」と「日本」の育成
~育成を主戦場に活動する二人が日本の現状を考える~
日本の指導者たちは子どものために日々努力を重ねている。が、その努力は正しい方を向いているのだろうか? また、本当に子どもの成長へと繋がっているのだろうか? 日本サッカーはまだ発展段階にある。ならば昨今、どのカテゴリーでも結果を残しているドイツをはじめとする世界の育成にヒントを得てはどうだろうか。そうすれば「今自分が行っている指導を振り返る」キッカケになるはずだ。そこで指導者として、ジャーナリストとして、それぞれドイツと日本の育成現場にたずさわる二人が毎回あるテーマをもとに本音トークを繰り広げる。
7月のテーマ『助けてもらうことの大切さ』
中野 吉之伴(ジャーナリスト/指導者)
木之下 潤(ジャーナリスト/チームコーディネーター)
ドイツは困ったら助けを求めるし、困っていたら助ける
木之下「サッカーファンはワールドカップで寝不足が続いていることだと思います。日本代表もいろんなことがありましたが、グループステージを突破してベルギーと死闘を演じました。様々な見方ができますが、冷静にチームとしては課題がいくつも見られました。ただ個人的には柴崎岳選手の攻撃の起点となる働き、それと相手の攻撃の芽を積む働きがすばらしいな、と。動きを切らさずに出し手にも受け手にもなり、ハーフスペースの活用法の再現性が高く、すでに司令塔としてチームの中心です。
さて、私の感想は誰も興味ないでしょうから、そろそろ7月のテーマ「助けてもらうことの大切さ」を進めていきたいと思います。お題を出したのは中野さんですが、その意図するところは何なんでしょう?」
中野「意図したのは、私自身が何でも一人でやろうとして苦しんだり、逆にそのために周囲を苦しめたりしたことがあったからです。例えば、ドイツに渡ったばかりの頃に指導していたチームのことです。普段はアシスタントコーチが試合の準備や車の手配とかをしてくれていたのですが、ある日、仕事の都合でいなかったので私一人ですべてをオーガナイズしなければなりませんでした。
アウェイ戦だったので車が必要です。さっそくメーリングリストで各選手の親に連絡をし『誰か車を出してくれませんか?』とお願い。でも、返事は一人だけ。次の練習の時に子どもたちに『このままだと大変だから家でもう一度車を出せるか聞いてきて』とお願いしました。でも、結果は変わらず。仕方がないので、車を出してくれるお父さんにユニフォームやボールと何人かの選手の送迎をお願いし、他の選手は私と一緒に電車で行くことにしました。ただ、当時はグーグルマップも精度が高かったわけでなく、私も土地勘がなかったので、駅にいざ着いてからグラウンドを目指したものの明らかに歩いていくには遠いところにグラウンドがあることに気がつきました。
『どうしよう?』と思っていたら、車を出してくれたお父さんが心配して駅まで来てくれました。そこから何とか2往復してもらい、試合には間に合いましたが、道中そのお父さんに『車が足らないならそのことをしっかり伝えてくれないと逆にこっちが困るんだ。できないことをできないままにしている方がよくない。助けが必要なら、助けが必要だといいなさい。それがお互いのためになる』と諭されたんです。穏やかに、でもピシャリとした口調で伝えてくれました。その時の経験から、助けを求めることの大切さを学びました」
木之下「前回の曖昧なコミュニケーションともつながっていますが、日本人には『わかってくれよ』を前提にしているところがあるので、『助けてもらう』というより『助けてくれる』という甘えみたいなものがあるのかもしれません。私は自分で何とかする気持ちが強くて、でも最近は何とかできない状況があって、どうやって助けてもらったらいいのかがわかりません(苦笑)。
中野さんの話の通り、車を出してくれたお父さんのように、誰か代わりにスピーカーになってもらうことも必要です。そのためには「こうこうこうだから一緒に叫んでください」って素直に助けを求めないといけません。選手たち自身も『何がわからないかがわからない』から助けの求め方がわからないのかな。もしかしたら町クラブの指導者も同じかも?
そのあたりは、ドイツの指導者ってどうなんですか?」
中野「ドイツでは指導者だけではなく、一般的にできないことはできないと言いますし、困っているから助けてほしいという人が多いです。これはドイツだけではなく、ヨーロッパでは全体的にそういう傾向があると思います。一人でやってうまくいかないことがあれば、次にやる時はその前に対策を立てる。経験としてそういう積み重ねができると、『一人で全部やろうとして追い込まれたらその後どうなる?』というイメージを持つことができるようになるのかな、と。
『何がわからないかがわからない』という状態になることは普通にあります。そんな時に落ち着いて考える時間を持てるかどうか。相談する相手がいるかどうか。整理することができたら、やるべきこと、自分でできること、誰かに頼むことも明確にわかってくる。でも、そうした整理を飛ばして『そのくらい自分で考えろ』とか、『時間ないから何とかして』という感じになってしまうとあやふやなまま、とりあえず先に進めるための応急処置止まりになってしまう。
だからいろんなところで整理したり、相談したりする時間と機会を作ることはこのテーマの上でも非常に大事なんことではないかと思います」
木之下「あやふやにしたまま、とりあえず先に進める。これって日本の日常ですよね。根治手術ではなく、部分手術といった感じに。整理・分析をすることなく、その場を取り繕うために部分的な解決を施します。そのあとにしっかり原因を突きとめ、次のために解決策を練るといいのですが、「その場をうまく切り抜けたからほじくり返さなくてもいいだろ」って雰囲気になります。それが整理とか、相談とかにつながらないのかな、と。
たくさんの人がそれを繰り返しているから、『どうせ○○だから』と一人で収めようとしますよね。一人でやれること、思いつくこと、学べることなんてたかが知れています。会話することすら面倒だという人もいますから。『見て学べ』なんてまさにそういうことです。
少し前に鮨屋の開業に関することが話題になったことがあります。『カウンターの鮨屋を開くのに、何年も修行が必要なんて誰が決めたの? 鮨屋をやっていけるだけのノウハウを学べば半年でオープンできるし、商売としてやっていけるんじゃないの? 技術一本で戦おうとするから修行なんて考えになる』って。
もしかしたら相談する相手が整理も、分析も、理解もできていない、もしくは絶対数が少ない環境なのかもしれません。私も相談相手に困ることがいっぱいあります。話していて思ったのですが、それは同じ境遇の人じゃなければいけないって先入観があるからですかね?」
中野「同じ境遇だったり、同じ業界の人に相談した方がいいと思っても、思った通りの答えが返ってくるとは限らないし、そのジャンルとまったく関係のない人に聞いた方が実は意外と理にかなった答えが見つかるというのはよくあることです。
ただ勘違いしてはいけないのは『見て学ぶこと』『見て感じること』で得られるのもすごく大きいということです。いつでもどこでも何でもかんでも相談しろ、頼れというと話が違ってくる。鮨屋の話でいえばノウハウだけでは学べない大事なこともたくさんある。師匠につくというのはそういうことだと思います。
ただ、それを子どものころから無慈悲に要求するのはやっぱり違う。だから、前回の話でもありましたが、『解釈する力』を身につけることが大切なのだな、と。そのためには、小さい時から整理する時間を持つことが欠かせない。練習後にみんなでフィードバックを行う。何が良くて何があんまりだったのか。何が楽しくて、何が楽しくなかったのか。なぜそうなったのか。
そうした時間を持つことで視野や解釈が身についていく。できることとできないこと、できたこととできていないこと、できるようになるためにすべきこととそうではないこと。その判断が少しずつできる環境を作ってあげることが大切でしょう。小さい子供に『自分で考えろ』『自分で感じろ』はよろしくない。一緒に考えてあげる大人が絶対に必要です。子供のころに相談できないという経験をしたら、大人になってもやっぱりしづらいものですから」
木之下「日本人にとっては『整理する時間を持つこと』というのがキーワードですよね。大人の心の余裕、それが伝播した子どもの心のゆとり。落ち着いて話すから丁寧な意見交換ができて、結果的に視野の広がり、解釈力の向上につながっていく。
2週間前、指導に関わるクラブの6年生に『サッカーのメカニズム』に関する話をしたのですが、中心選手が長年甘やかされた状況にあり、ほとんど耳を傾けていませんでした。その数人以外は興味深く聞いてくれました。でも、中心選手が発するネガティブな態度は周囲に深く影響します。
やはり小さい頃から大人がゆとりを持って選手たちと会話を重ねることが大切だなとあらためて思いました。4年生は『聞きたい』という雰囲気を醸し出して、私の話を楽しそうに聞くんです。大人と子ども、男性と女性、肌の色など、自分と違う意見や感覚を持った人と忌憚なく話をすることが『助けてもらうことの大切さ』にも通じていくような気がします。
伝えていない、経験させていないのに大人の当たり前の感覚で急な要求をすると、助けも求められません。サッカーだけでなく、日本スポーツの育成現場では多々見受けられることだと思いますが、ドイツではそういうことはないですか? またそういう現場に出くわした場合、それを指摘する大人はいないのですか? 日本ではそういうことを言えない雰囲気があるのですが」
中野「ドイツだと一人で抱え込んで助けを求めないというのは少ないのかなと思います。困った人がいたら助けるという当たり前を目の当たりにする機会は多いです。電車やバスでベビーカーや車椅子の人がいたら必ず誰かが助ける。席を譲る。重たい荷物を持っていたらスッと持ってあげる。そうした風景を子どもたちもよく見ているのではないかな、と。うちの子どもたちにしても、友人の子どもたちにしても言われる前にスッと動き出す。そして、助けてもらう立場になったら助けを求め、その後でしっかり感謝をする。ドイツ全土どこでもそうかというともちろんわからないところはありますが、少なくとも私が活動しているところではそうした助け合いの精神を感じさせる場面を日常でよく見かけます」
木之下「もしかしたら子どもの頃にはわりと『助け合い』の精神を持っていて行動にも移すけど、年齢を重ねるごとに大人の背中を見て育っていくので、そういう子どもが減っていく環境を大人側が作り出しているのかもしれません。ということは、指導者や保護者が日頃から助け合いの精神を身をもって表現することが大切ですね。では、いつも通り最後に〆をお願いします。それと8月のテーマも!」
中野「何でもかんでも『助けを求める』と自分では何もしなくなってしまい、誰かにやってもらわないと何もできない人になってしまう。それはよろしくない。まず自分でやってみることは大切ですし、最初から手を貸してしまうのは子どもたちから成功体験の機会を奪うことになってしまう。やってみてもうまくいかない時に、大人がサポートやアドバイスをすることで、できるための手助けをする。それでも難しい時は一緒に取り組んでみる。まだ時期尚早なら次の機会にまたチャレンジする。大人同士でもそうではないかなと思います。
そして、助けがお互いに大切で必要なことを知るためには、何が困ったことで、どんな時に助けが必要なのかを知る機会を持つことが大事でしょう。例えば、がんばっているけど、何をどうしたらいいかわからなくて困っている。そのことを口にできる雰囲気があるかどうか。それが大きな意味を持つと思います。放任と自主性を育むのとは違うんです。
さて、8月のテーマですが、『試合の流れを読むって何?』というのはどうでしょう?」
木之下「ワールドカップでも最後、ベルギーに最後見事なカウンターを受けましたが、あの前のコーナーキックも賛否ありました。サッカーには大切なことなので、中野さんの考えを聞いてみたいですね」
【プロフィール】
中野 吉之伴(指導者/ジャーナリスト)
1977年、秋田県生まれ。武蔵大学人文学部欧米文化学科卒業後、育成年代指導のノウハウを学ぶためにドイツへ渡る。現地で2009年7月にドイツサッカー連盟公認A級ライセンスを取得(UEFA-Aレベル)。SCフライブルクU-15チームでの研修を経て、元ブンデスリーガクラブのフライブルガーFCでU-16監督、翌年にはU-16・U-18総監督を務める。2013-14シーズンはドイツU-19の3部リーグ所属FCアウゲンでヘッドコーチ、16-17シーズンから同チームのU-15で指揮をとる。3月より息子が所属するクラブのU-8チームを始動する。2015年より帰国時に全国各地でサッカー講習会を開催し、グラスルーツに寄り添った活動を行う。2017年10月より主筆者としてWEBマガジン「中野吉之伴 子どもと育つ」(https://www.targma.jp/kichi-maga/)の配信をスタート。
木之下 潤(編集者/文筆家)
1976年生まれ、福岡県出身。大学時代は地域の子どもたちのサッカー指導に携わる。福岡大学工学部卒業後、角川マガジンズ(現KADOKAWA)といった出版社等を経てフリーランスとして独立。現在は「ジュニアサッカー」と「教育」をテーマに取材活動をし、様々な媒体で執筆。「年代別トレーニングの教科書」、「グアルディオラ総論」など多数のサッカー書籍の制作も行う。育成年代向けWEBマガジン「中野吉之伴 子どもと育つ」(https://www.targma.jp/kichi-maga/)の管理運営をしながら、3月より「チームコーディネーター」という肩書きで町クラブの指導者育成を始める。
■シリーズ『「ドイツ」と「日本」の育成』
第一回「育成大国ドイツでは指導者の給料事情はどうなっている?」
第二回「『日本にはサッカー文化がない』への違和感。積み重ねの共有が大事」
第三回「日本の“コミュニケーション”で特に感じる『暗黙の了解』の強制」
■シリーズ『指導者・中野吉之伴の挑戦』
第一回「開幕に向け、ドイツの監督はプレシーズンに何を指導する?」
第二回「狂った歯車を好転させるために指導者はどう手立てを打つのか」
第三回「負けが続き思い通りにならずともそこから学べることは多々ある!」
第四回「敗戦もゴールを狙い1点を奪った。その成功が子どもに明日を与える」
第五回「子供の成長に「休み」は不可欠。まさかの事態、でも譲れないもの」
第六回「解任を経て、思いを強くした育成の“欧州基準”と自らの指導方針」
Photos: Kichinosuke Nakano