ロドリゴ・ベンタンクール。名将も絶賛するウルグアイのピルロ
「今のウルグアイ代表に最適なフォーメーションは[4-3-1-2]。3人のMFと2トップの間に、ボールを奪うのはさほど得意ではないかもしれませんが、ゲームの組み立てに優れている『彼らのピルロ』を置く形です」
これは今年6月、W杯開幕直前にウルグアイのプンタ・デル・エステで開催された指導者向けカンファレンスにおいて、マルセロ・ビエルサがウルグアイ代表の戦術について言及した際のコメントである。そしてこの「彼らのピルロ」について、「いかなる監督も自分のチームに彼のような選手がいてくれたらと夢に見ている」という表現で絶賛した。
ビエルサがアンドレア・ピルロにたとえた逸材とは、ウルグアイ代表のニューフェイスとしてロシアW杯でも一際輝くロドリゴ・ベンタンクール。W杯デビュー戦となったエジプト戦でパス成功率93%を記録し、20歳の若さ(※大会期間中の6月25日に21歳の誕生日を迎えた)でその冷静な判断力と戦術眼、テクニックがワールドクラスであることをさっそく見せつけた期待の新人だ。
セレステに現れた異彩
「セレステ」(空色)の愛称で国民から親しまれるウルグアイ代表の中盤といえば、これまでは汗水(時には血まで)流して相手選手を片っ端から潰しにかかるタフな戦士タイプが典型とされていた。いわゆる「ガーラ・チャルーア」(ウルグアイの先住民チャルーア族から引き継がれたとされるガーラ=勇敢さ)を象徴する選手たちによって支えられていたといってもいい。2010年W杯で4位の好成績を残し、翌2011年のコパ・アメリカを制覇した当時のチームにも、ディエゴ・ペレスやエヒディオ・アレバロ・リオスといったガーラ・チャルーアの代表格とも呼べる豪傑がそろい、「これぞウルグアイ」と言わしめる堅い中盤を築いていた。
だがその後、06年から代表の指揮を執るオスカル・タバレス監督は、時の流れとともに必然となる中盤の世代交代に手こずっていた。ユース代表での人材育成は着実に行われていたものの、攻守のバランスを維持し、かつ攻撃の起点となる確かな中盤の構成に悩んでいたのである。
そこに登場したのがベンタンクールだった。アルゼンチンの強豪ボカ・ジュニオールの下部組織で育ち、2015年4月に17歳の若さでプロデビューを果たして脚光を浴びていたウルグアイ人MFに、U-20代表のファビアン・コイト監督が注目しない理由はなかった。
そしてボカのレギュラーに定着した2016年12月、コイト監督によってU-20代表に招集され、翌年1月に開催されたU-20南米選手権に出場。中盤の要として全7試合中6試合でプレーし、同大会における36年ぶりの優勝に貢献すると同時に、欧州のクラブから一斉に視線を集めることとなった。
同年5月に行われたU-20W杯でも全7試合中6試合に出場して実力を発揮したが、それでもタバレス監督はベンタンクールの招集を急がなかった。ユベントス移籍を経て、初めてA代表に呼ばれたのは昨年9月末のこと。W杯予選2連戦に向けたメンバーとして招集され、まずは10月5日のベネズエラ戦で交代要員としてデビューし、5日後のボリビア戦では先発メンバーとして出場。マティアス・ベシーノとダブルボランチを組み、創造的で効果的なパスワークの拠点が作られ、チームに新たなアイデンティティをもたらした。
後方にディエゴ・ゴディンが仕切る堅固な守備、前方にはルイス・スアレスとエディンソン・カバーニという世界有数のストライカーコンビを擁するチームに、これまで決定的に欠如していたとされるパサーが出現、定着したことは、ウルグアイ国内でも「セレステの明るい未来を意味する」と高く評価された。
ボケンセからの低評価
そんなベンタンクールだが、ボケンセ(ボカサポーター)の大半から終始「どこがいいのかまったくわからない選手」というレッテルを貼られていた。
ベンタンクールの才能に惚れ込み、レギュラーとして起用し続けたギジェルモ・バロスケロット監督に対して不満を感じる人も多く、昨年7月にユベントスに移籍した時は、ボカのファンサイト上で「ベンタンクールは結局、なぜここまで評価されるのかを証明することができないまま欧州に行くことになった」と話題になったほどだ。
ボカ機関誌の記者として下部組織時代からベンタンクールのプレーを見てきたマティアス・ルッソは、同クラブのトップチームでデビューした頃の彼を次のように評価している。
「ゲームを読み取る能力に優れ、ピッチ全体の動きを誰よりも早く察知する。得点に繋がるパスをいつ、誰に出せば良いかを即座に判断し、正確なタイミングで最適の位置にボールを送り出す。スペースを有効に利用することができ、90分間にわたって高いインテンシティを維持したままプレーする。まだ10代でこれほどコンプリートな選手を見たのは久しぶりのことだ」
では、なぜボケンセたちはベンタンクールの真価を理解できなかったのだろう。その原因についてルッソ記者は、「ボカらしさがなかった」ところにあると考える。
「ボカでは、執拗に相手のボールを奪いまくるタイプのボランチが好まれる。ところがベンタンクールはそういう仕事をほとんどせず、あくまでもゲームメイクに徹していた。しかもクラブのアイドルであるファン・ロマン・リケルメのような華麗な足技を見せることもほとんどなかった。頭脳的にスペースを巧く使うエレガントなMFより、泥まみれになってタックルを仕掛けるMFが求められるのがボカなんだ。今のチームでは、ウィルマル・バリオス(コロンビア代表)がサポーターから絶大な人気を誇っているのがその良い例と言えるだろう」
「この子はガラスの箱に大切にしまった方がいい」
幸い、ボカの下部組織でスカウティングを行っているコーチたちは、ルッソ記者と同じ目を持っていた。ベンタンクールがボカにやって来たのは2011年、14歳の時だった。
ベンタンクールは1997年6月25日、ウルグアイ南部の街ヌエバ・エルベシアに生まれた。欧州、特にスイスからの移民が定住した街として知られ、名前も「新しいヘルヴェティカ(スイスのラテン名称)」を意味している。
人口1万人という小さな街で物心ついた頃からサッカーを始め、地元のジュニアリーグでプレーしていたが、将来的にプロを目指そうと考えたのは13歳の時。首都モンテビデオに本拠地を置く名門ペニャロールに入団し、片道2時間かけて週2回の練習と週末の試合に参加するようになった。
「ペニャロールのジュニアチームに所属する身長180cmの器用なMF」の噂はやがて、ラプラタ河を隔てた隣の国アルゼンチンに届く。ボカのスカウティング担当者はすぐウルグアイに渡り、ベンタンクールのプレーを見るなり即クラブ側と連絡を取り、契約することを勧めた。
ボカのジュニア部門の総監督で、過去フェルナンド・レドンドやファン・パブロ・ソリン、エステバン・カンビアッソ、フェルナンド・ガゴといった逸材を発掘してきたラモン・マドーニが、ベンタンクールについて当時の下部組織の総責任者だったホルヘ・ラッフォに「この子はガラスの箱に大切にしまった方がいい。絶対にボカから出してはならない」と告げたのはクラブ内で有名な話だ。
そのラッフォは、プロデビューする直前のベンタンクールについてこのように話している。
「万能型の選手で、どのポジションでも器用にプレーできる。ある国際大会ではセンターバックとしてプレーしたこともあるが、難なくこなしていた。非常に頭が良く真面目で、監督やコーチの指示をよく聞いてすぐ実践する。今後さらに進化を遂げることは間違いない」
ラッフォの言葉通り、ベンタンクールは順調に成長を遂げている。W杯ではタバレス監督の指示でそれまでよりも前寄りのポジションでプレーし、文字通り攻撃の軸として躍進の鍵を握る存在となっている。
ボカのサポーターから理解されなかった才能を代表チームで活かし、21歳にしてセレステのレギュラーの座をつかんだベンタンクール。ビエルサも見込んだ逸材の今後に期待したい。
Photos: Javier Garcia Martino/Photogamma, Getty Images
Profile
Chizuru de Garcia
1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。