大迫勇也は、なぜコンタクトプレーに強いのか? 秘密は6年間の中高生活に
西野朗監督に率いられた日本代表が世界に驚きを与えている。
初戦で優勝候補の一角であるコロンビアを2-1で破ったことに始まり、第2戦でもセネガルを相手に一歩も引かない戦いを見せ2-2のドロー。第3戦のポーランド戦では0-1で負けているにもかかわらず、終了10分前から最終ラインでボールを回すことを選択。同時刻に戦っていたセネガルがコロンビアに敗れたことで、狙い通りにフェアプレーポイントの差で決勝トーナメント進出を決めることはできたが、国内外で賛否両論を沸き起こした。
ただ、一連の狂騒を見ていると、誰もが日本代表の力量を測りかねていることが、強く影響していると感じられる。大会直前にヴァイッド・ハリルホジッチを解任し、その後の親善試合でもまったく良いところがなかった“JAPAN”は、大会が始まってみればいきなりコロンビアを撃破しただけでなく、アジアで唯一、決勝トーナメントに進出したチームであり、同時に、ポット4から勝ち抜いてきた無二のチームとなったのだ。日本でも驚きを持って迎えられているこの結果を、世界が驚かないはずがない。
驚きを与えている理由の一つが、FW大迫勇也のパフォーマンスだろう。コロンビア戦ではマークに競り勝って決勝点を決め、「大迫半端ない」のキャッチフレーズが再び注目されることになっただけでなく、2試合目のセネガル戦では圧倒的な身長差があるカリドゥ・クリバリやサリフ・サネを相手に一歩も引かず、ボールを失うことなく攻撃に繋げるポストプレーを見せた。
中でもクリバリと言えば、セリエAで2位のナポリには守備の要として欠かせない存在であり、パスの精度も高い現代のCBの中では最高峰の一人。195cm/89kgの巨漢クリバリを182cm/71kgの大迫ががっちり抑え込みボールをキープする姿は、戦前には予想もつかなかった。
しかし、振り返ってみれば、そうしたプレーはJリーグにいる時から何度も見せていた。鹿島でプレーしていた時とはまったく違う姿であれば驚きを禁じ得ないが、鹿島で見せていたプレーで世界的なDFと渡り合っている事実は感慨深さを誘う。一番の武器を磨き続けた結果が、この大会で結実している。
2009年、鹿島に加入した大迫勇也は、会見の中で自身の特長を問われると「ボールを収めてゴール前で仕事をすることです」と答えた。まだ表情にはあどけなさを残していたが、高校生離れした下半身を有していたことが思い出される。太腿からふくらはぎにかけて隆起する筋肉の太さは、つい先日まで高校生だったとは思えないもの。プロ入りした時にはすでに完成された選手だった。
それもそのはず。一貫指導を受けられることを理由に進学した鹿児島育英館中学から鹿児島城西高校の6年間は、ひたすら鍛え上げられた。もともと地域の相撲大会で優勝するほど足腰の強かった大迫少年は、砂浜のように柔らかいグランドで6年間プレーしたことで足腰の強さを増していく。監督との1対1のトレーニングは徹底して続けられた。
さらに、ポストプレーの練習はさらに足場の悪い砂場で行い、投げ飛ばされるようにしてトレーニングを積み重ねたという。「相撲みたいだった」と振り返る日々の積み重ねが、大迫のポストプレーを高校年代だけでなく、日本全体を見渡しても抜きん出たものへと昇華させた。
この時鍛えた下半身が今でも大迫を支えている。肩や上腕、胸の筋肉は薄い鋼のようではあり、外国人選手の筋肉のように威圧感を与えるような分厚さはない。どちらかといえば痩せ型に見える。しかし、下半身は上半身に比べて6倍ものパワーを生むことができるという説があるほど、人間の力は下半身から生まれる。その証拠に、大腿筋より上腕の方が太い人はいない。体型の見た目ほど、クリバリと大迫にパワーの差はないのかもしれない。
とはいえ、それだけでは大迫がクリバリらのパワーに潰されない理由にはならないだろう。実は、大迫はボールが来る前に相手に体を一度当てている。低い姿勢を保ちながら下から上に押すことで、相手の腰を浮かしているのだ。それは、小兵の力士が自分よりも大きな力士に勝つことができる相撲の極意とまったく同じ。まだ中学生の頃から大人を相手に鍛えたテクニックを用いることで、大きな相手のパワーに負けないポストプレーを実現させている。
通常であれば体の大きさを武器にポストをこなすFWが多い中で、世界的に見れば小さい大迫の希少性は、相手DFからすれば非常に厄介だろう。自分よりも機敏に動き、パスが入る時には間合いを空けられてしまう。パワーで押しつぶそうとしても下から突き上げられ、こちらに対して壁を作ってボールを奪えない位置に収めてしまう。そうした選手がゴロゴロいるなら駆け引きや対処法も自然と磨くことができるが、そんな相手はそういない。大きなDFにすれば、小さな大迫に戸惑いを覚えるはずだ。
セネガル戦のクリバリとサネの大迫への対応をあらためて見直してみると、非常に苦労していることがうかがえる。40分、長谷部誠からパスを受けた大迫は、背後から寄せてきたクリバリを背中で完全に封じて右へ展開、原口元気のカットインを導いた。腕を使ってでも無理矢理体勢を崩そうとしたクリバリの苛立ちが感じ取れる場面だ。
そんな大迫勇也が鹿島時代、手も足も出ないほど封じられた試合があった。自身最後のJリーグでの試合となった2013年最終節の広島戦である。マッチアップしたのは、現在UAEのアルアインでプレーする塩谷司。この年から広島のレギュラーCBとなっていた塩谷に1トップに入った大迫のポストプレーは封じられ、何度もボールを失ってしまう。苛立った大迫が無理に奪い返しに行ってはファウルを犯し、前半のうちに2度目の警告を受けて自身初の退場処分を下され、エースを失った鹿島は0-2で敗れ目の前で広島に優勝を許した試合だった。
今振り返ってみれば塩谷もスピードとパワーにあふれた選手であり、身長は大迫と同じ182cm。パスを受ける瞬間、インターセプトされないように角度を作る大迫を上回る速さと力強さで次々とボールを奪い、現在大迫が見せている特長を出させてもらえなかった。そのことは、逆説的にW杯での活躍の理由を物語っている。
とはいえ、自分より大きなDFがひしめく海外の舞台で、最初から活躍できたわけではない。むしろ辛酸を嘗める経験の方が多かったはずだ。ドイツで過ごした時間だけを見ても5年半。その蓄積がこの大会で花開いたと言えるだろう。
ただ、それは必然だったとも言える。大迫は「FWでプレーする」ということに常にこだわってチームを選んできた。時にはサイドや中盤を任されることもあったが、そこで結果を残しても是とせず、常にセンターフォワードでのプレーを求めてきた。当然、なかなか出場機会をつかめない時期もあり、そんな時には古巣の鹿島から「帰ってこいよ」とオファーを受けた。しかし、「もう少しやらせて下さい」と絶対に首を縦に振らず自分の能力を信じてきたことが、成長の証となっている。
次のベルギーは3バック。4バックのクリバリとサネの間にポジションを取って、パスを引き出すこともできたセネガル戦とは違い、マンマーク気味に付かれる場面もあるかもしれない。起点となる大迫をマルティネス監督は必ず潰しにくるだろう。
しかしながら、日本代表のFWに、相手DFに対策を強いるような選手が出てきたことは非常に感慨深い。FWは相手に意識されてナンボ。大迫が警戒されることで周囲の選手がより能力を発揮することに期待したい。
また、絶対的なポストプレーは確かに鹿島で見せていたプレーではあるが、武器はそれだけではなかった。鋭いターンでゴールに向き直り、1対1の勝負を仕掛けられることも大きな魅力である。ポストプレーの次は、大迫ターンで世界を驚かせて欲しい。
Photos: Getty Images
Profile
田中 滋
サッカーライター。08年よりサッカー専門新聞『EL GOLAZO』にて鹿島アントラーズを担当。有料WEBマガジン『GELマガ』も主催する。著書に『世界一に迫った日 鹿島アントラーズクラブW杯激闘録』など。