ヴァハよ、元気か?息をしてるか? その後のハリルホジッチ
短期集中連載:ハリルホジッチの遺産 第1回
4月9日、日本代表監督を解任されたヴァイッド・ハリルホジッチは日本サッカーに何を残したのか? W杯開幕前にあらためて考えてみたい。第1回はディナモ・ザグレブ時代から彼を身近に見てきたジャーナリストの長束恭行氏にボスニア人監督の人物像、そして「その後」について思いを巡らせてもらった。
『ヴァハよ、元気か? 息をしてるか?』(“Kako si Vaha, imaš li daha?”)
これはボスニア・ヘルツェゴビナの国民的歌手、ディノ・メルリンが1993年に作った『モスタルスカ』(“Mostarska”)という歌の一節だ。日本では「ハリル」と略されることが多かったヴァイッド・ハリルホジッチは、旧ユーゴでは「ヴァハ」の愛称で親しまれている。
「政治」を憎む男
プロビンチャのエースストライカーとしてベレジュ・モスタルに初タイトルをもたらし(チトー元帥杯。1981年)、フランスのナントでリーグ1優勝と2度の得点王に輝いたハリルホジッチは、現役引退後にモスタルの名士となっていた。しかし、90年代に入ってユーゴ紛争が勃発すると、ムスリム人、セルビア人、クロアチア人の3民族が共存するモスタルも戦火に包まれていく。民族対立やファシズムを心底憎んだ彼は、セルビア兵と地元警察のにらみ合いを仲裁すべく丸腰で飛び込んで殺されかけたこともあれば(その直後に持参したピストルがズボンのポケットで暴発して負傷)、民族の出自を問うことなく市民の疎開や食糧調達に私財を投げ打つこともあった。
「英雄になりたかった」――そんなハリルホジッチの願いは届かず、彼自身の首が狙われ始めた1993年5月、フランス2部のクラブに監督として請われることで渡仏を決意。選手時代の栄光の品々が保管されていた彼の豪邸がクロアチア兵によって燃やされたのは、モスタルを離れてわずか3日後のことだった。モスタルの人々の心を代弁すべく、メルリンは「ヴァハ」の行方を歌に詠み込んだ。
『ヴァハよ、元気か? 息をしてるか?』
(“Kako si Vaha, imaš li daha?”)
4月9日、日本サッカー協会の田嶋幸三会長が日本代表のハリルホジッチ監督の解任を発表した際、旧ユーゴのいくつかのメディアは25年前の『モスタルスカ』の歌詞を引用したタイトルで「レジェンド」の解任を報じた。ハリルホジッチが周囲を疲れさせる指導者であることは地元記者も承知していたが、旧ユーゴの人々が「組織化されて秩序立った国」「規律と正確性の模範とも言うべき国」と崇める日本において、W杯開幕2カ月前に起きた解任劇はにわかに信じがたいことでもあった。
「国を長年離れているというのに、人々が私を忘れていなかったことはとても誇りに思う」――東京・霞が関の日本記者クラブで記者会見を行ってからちょうど2週間後の5月11日、祖国の首都サラエボを訪れたハリルホジッチは、ボスニア国民にとっての最高勲章とされる「欧州運動勲章」を受賞した。監督として一から叩き上げ、血のにじむような努力とプロ意識で名声を勝ち獲ったフランスでレジオン・ドヌール勲章を受け、フランス国籍を選択した彼だったが、「祖国の勲章は最も愛しい」と心から喜んだ。その3日後にはボスニア紙が主催する2017年度の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」をモスタルにて受賞。スピーチに立った彼は感極まって涙を流し、「ボスニアは友情と協調の橋を作る必要がある。政治家たちよ、妥協策を見つけてくれ」と訴えた。
ハリルホジッチはボスニアという祖国を滅ぼした「政治」を嫌うだけでなく、「政治的駆け引き」すらも一切好まぬ人物だ。田嶋会長は「選手とのコミュニケーションや信頼関係が多少薄れてきた」ことを理由にハリルホジッチを解任したが、そこに彼は政治的な臭いを感じ取ったのであろう。ボスニアのWEBメディア『Klix.ba』のインタビュー(5月11日公開)でこのようなことを言っている。
「コートジボワールで何が起こったのかはわかっている。あれは選挙のために最初の敗北後(※)に大統領が私を切ったのだ。しかし、日本で起きた解任については誰も把握できていない。私の記者会見では誰もが『解任の理由は何?』とだけ質問してきた。私は理由を想像することはできる。だが、3年間多くの仕事をしてきただけに本当の真実を知りたいんだ」(※正確には就任2試合目のキリンカップ、2008年5月24日の日本戦が最初の敗北)
呪われたキャリア。最大の悲劇
ハリルホジッチの心の傷はいまだ癒えていない。解任後は妻のディヤナから「あなたは呪われているわ。これはあなたにだけ起こり得ること」と諭されたという。キャリアハイを迎えた1982年のスペインW杯で、ムスリム人の彼はセルビア人のミリャン・ミリャニッチ監督に冷遇されて計61分のみの出場に終わった。「私の苗字は長過ぎるため、首都ベオグラードのスタジアムの電光掲示板に表示できなかったのだろう」と皮肉った彼は、のちに謝罪を申し入れたミリャニッチを許すことはしなかった。
コートジボワール代表監督としては南アフリカW杯予選を突破しながら、再選を狙うローラン・バグボ大統領(当時)の選挙宣伝でアフリカ・ネーションズカップ優勝を託され、準々決勝で敗退するやW杯開幕3カ月前に解任の憂き目に遭った。だが、ハリルホジッチにとっては3度目の悲劇となる日本代表監督解任の方が苦痛だと訴える。
「この解任だけは克服することはできないし、ロシアW杯が始まったらもっと辛い思いになるだろう。ブラジルW杯では私が率いたアルジェリアが躍進し、全サッカー界における人気チームとなった。同じ功績を私は日本でも成し遂げられると思っていた。成功とは準備されるもので、偶然に訪れるものではない。チームをしっかり仕込む必要があるし、成功が実現されるためには多くの仕事をしなくてはならない。日本は偉大なサッカー大国ではないが、W杯の仕込みのため1カ月にわたってチームとともに活動できる最初の機会こそ私には必要だった。ベスト16に進出すれば立派な成功だっただろう」(『Klix.ba』のインタビューより)
5月24日、不可解な解任理由で名誉を傷つけられたとして、ハリルホジッチは日本サッカー協会と田嶋会長に謝罪広告と慰謝料1円を求める訴訟を東京地方裁判所に起こした。いまだに彼を「変なガイジン」に仕立てる日本のメディア関係者は数知れないが、ハリルホジッチは『ラジオ・サラエボ』のインタビュー(5月12日)で自分の性格をこう分析している。
「私は何度も『ヴァハは好まれるか嫌われるかのどちらかだ。無関心にいられることはない』と言われてきた。おそらく私が人生を通して自分のポリシーや思想を持っていたからだろう。思ったことを口にすることを恐れていないが、それで私は割を食ってきたと思う。私は感じたように振る舞う。悲しい時は誰もが私が悲しいとわかるし、幸せな時は誰もが私が幸せだとわかる。私の中に二面性なんてないんだ。いつも真っ先に表情へと出てしまう。もしかしたら、それは良いことかもしれないし、良くないことかもしれない。だが、私はそのような人間なんだ……」
祖国ボスニアでもハリルホジッチを嫌う人物は少なからずいる。ボスニア代表監督を引き受けないのは、金銭面の要求が強いせいだと疑われているのだ。モスタルに戻るたびに彼の中では20年以上前の記憶が呼び起こされ、最初の日々は奇妙な思いになるという。授賞式でサラエボを訪れた際、ボスニア代表監督に就任したばかりのロベルト・プロシネチュキとホテル周辺で偶然出会い、一緒にコーヒーを飲んだ。そこで彼は親身になってアドバイスをしている。
「ボスニアでは残念ながらスポーツで起こり得るすべてのことに政治が影響してしまう。スポーツに政治は必要ないと私は思っているが、あらゆるスポーツ活動のセグメントに政治が関わっているんだ。それは私には受け入れられない事実だが、監督業には多くの野心と情熱、厚かましさが必要だ。少しも楽なことではないだろうが、プロシネチュキにとって、チームにとって最高の形になるべく選手を選択するよう伝えた。他人の話を聞くことはできる。だが、自分のため、チームのために代表監督の彼が決定を下す必要があるんだ。もし助けが必要ならば私はいつでも協力するよ、と言っておいたよ」(『ラジオ・サラエボ』のインタビューより)
解任理由について自問自答を続け、裁判では名誉回復を望むハリルホジッチだが、彼の元には世界各地からオファーが絶えず届いているという。しばらくは休養すると明言しているものの、「飽くなき勝利と成功への欲求」は失われてない。
「私は監督キャリアを上手には築けなかったと思っている。自分の可能性に対して実力やクオリティに欠けているかもしれないチームばかりを引き受けてきたんだ。偉大な選手たちがそろった偉大なクラブを率いてみたいし、そのための能力が自分にどれだけあるのかを試してみたい。相応のポテンシャルの選手たちがそろえば、自分はチャンピオンズリーグ決勝まで勝ち進めるだろうと確信している」(『ラジオ・サラエボ』のインタビューより)
月日の流れは誰も止められず、逆戻りも不可能だ。だが、誰にも負けないという強烈な意志がある限り、指導者としても、人間としても枯れることはない。実は冒頭の『モスタルスカ』の歌詞の一節には続きがある。それこそ、今のヴァハに贈りたいフレーズだ。
『ヴァハよ、元気か? 息をしてるか? お前にはもう1試合待っている』
(”Kako si Vaha, imaš li daha? Još jedna tekma na tebe čeka.”)
短期集中連載:ハリルホジッチの遺産
第1回:ヴァハよ、元気か?息をしてるか? その後のハリルホジッチ(文/長束恭行)
第2回:日本代表にゾーンDFは必要か? 河治良幸×五百蔵容 対談(1)
第3回:ハリル解任の真の悲劇はW杯以後。日本代表は「解任基準」を失った(文/結城康平)
第4回:コロンビア戦には大島僚太が必要。河治良幸×五百蔵容 対談(2)
第5回:セネガルの「3バック変更」が怖い。河治良幸×五百蔵容 対談(3)
第6回:対ポーランド、要注意人物はミリク。河治良幸×五百蔵容 対談(4)
長束恭行氏の新著『東欧サッカークロニクル』
戦争、民族問題で分断され相容れない国家、民族、サポーターはなぜ、病的なまでにサッカーを愛し続けるのか? 否、だからこそ彼らはサッカーにすべてを注ぎ続けるのか? 旧共産圏の知られざるサッカー世界をめぐる壮大な見聞録がここに完成。
また、書籍『東欧サッカークロニクル』の発売を記念した、著者の長束恭行氏と東欧サッカーを語り尽くす会「東欧サッカークロニクルナイト」の開催が決定。W杯を前に、東欧のディープな世界を味わう絶好の機会だ。
Photo: Getty Images
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Profile
長束 恭行
1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。