EL GRITO SAGRADO
去る1月16日、アルゼンチンのスポーツ誌『エル・グラフィコ』の廃刊が決まった。あまりにも突然のことで、記者たちは当日も通常通り編集部で働いていたというし、フォトグラファーである私の夫もほんの1週間前、同誌の写真部ディレクターから今年のW杯取材に関する相談を受けたばかりだった。夫は過去20年間、仕事を依頼してもらっていたのだが、お世話になった同ディレクターから「いきなり無職になってしまった」とメッセージを受け取った時は最初、何を意味しているのかさっぱり理解できなかった。
紙媒体が惜しまれながらも姿を消していく現象は世界中で起きている。エル・グラフィコの場合は十数年ほど前から赤字状態にあったが、1919年創刊の長い歴史を持ち、アルゼンチンスポーツ界のエンブレムとして南米のみならず欧州諸国でも敬意を表されてきた雑誌として何が何でも存続させなければという使命のもと、少人数で出版を続けていた。2002年には週刊から月刊に変わり、コンテンツも速報性より読みごたえ重視に。専属フォトグラファーもディレクターを含む2人となり、必要な時だけ夫のようなフリーランスを雇う体制を取っていた。このため夫は03年、07年のトヨタカップや10年のW杯を同誌からの派遣で取材している。
31年前、日本から綴った手紙
私にとって、エル・グラフィコは貴重な情報源だった。アルゼンチンサッカーに強く憧れていた自分は、高校生だった86年から購読を始め、2週間遅れで届く同誌に胸を躍らせ、辞書を片手に同じ号を何度も読んだ。ぺらぺらの紙に、指でこすれば色落ちする印刷と、クオリティは日本のものと比べ物にならないほど低かったが、そこがまた味わい深く愛おしくさえ思えた。
とにかく大好きな雑誌だったので、ある日思い立って編集部に手紙を書いてみた。87年のことだ。自分がアルゼンチンサッカーの大ファンであること、近い将来に訪れる予定であることなどを思いつくままに綴ったところ、それが「読者からの手紙コーナー」に掲載された。
一生懸命スペイン語で書いた手紙を載せてもらえた私が日本で有頂天になっていた頃、地球の反対側では一人のウルグアイ人(のちの夫)もエル・グラフィコを手に喜んでいた。その第3552号では、ウルグアイの名門ペニャロールのコパ・リベルタドーレス制覇が取り上げられており、表紙に彼らの優勝写真が使われたウルグアイ国内限定版も発刊。アルゼンチンに住んでいた夫はどうしてもそれが欲しくて、母国の親戚に頼んで送ってもらっていたのだ。もちろん彼は、それから2年後、同号内に想いを綴っていた日本人と知り合うことなど想像もしていなかった。
読者としては30年以上、仕事では20年間もお世話になったエル・グラフィコには、感謝の言葉しか出てこない。来年で創刊100周年を迎えるはずだった同誌に「Salud(乾杯)!」
Photos: Chizuru de Garcia
Profile
Chizuru de Garcia
1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。