ミランの右サイドを躍動させる戦術上の支柱
Hakan ÇALHANOĞLU
ハカン・チャルハノール
1994.2.8(24歳) 178cm/69kg TURKEY
大量補強した戦力が噛み合わずに成績不振の一途をたどり、モンテッラ(現セビージャ)監督解任という事態に陥ったミラン。だが彼らは、昨年11月下旬に就任したガットゥーゾの下で復調を遂げる。現役時代よろしく気合いばかりがクローズアップされがちだが、4バックに直して組織守備を整えた新監督は、選手たちに本来のパフォーマンスを取り戻させた。
それが顕著に見られるのは右サイドだ。右ウイングの定位置に戻ったスソはサイドアタックからゴールへと絡み、そのスソと連係を高めたSBカラブリアもアシストやゴールで結果を出している。また彼らとのコンビネーションを成熟させたケシエもフィットし、中盤からの飛び出しはチームの新たな武器となっている。
しかし、あえて言おう。右サイドの面々が復調した理由は、実はハカン・チャノハノールが左ウイングとして安定をもたらしたことにあったのであると。前半戦では鳴かず飛ばず、メディアからは失敗の烙印さえ押されかけた新10番。だが流れが変わる。12月末のコッパ・イタリア準々決勝インテル戦では、途中出場から対面のカンセロを個人技で脅かし、相手の組織守備を崩す遠因を作った。続くリーグ第19節フィオレンティーナ戦は、途中出場からゴール。次節のクロトーネ戦で先発に定着して以降、ミランは第26節までの7戦で6勝(1分)を記録した。
ゴールや流れからのアシストを量産しているわけではない。しかし彼の存在は戦術上、非常に重要だ。左サイドで個人技によってDFを引き寄せたのちに逆サイドへ放つサイドチェンジが、ミランの右の破壊力をより大きなものにしている。それが顕著に出たのが、2月中旬の第25節サンプドリア戦(1-0)である。相手のコレクティブなサッカーを無力化したのは、チャノハノールのサイドチェンジだった。
6分、左でボールを繋ぎ、SBリカルド・ロドリゲスと展開を作る彼に対し、サンプの守備組織が寄る。当然、逆サイドにはスペースができるわけだが、そこを見逃さなかった。持ち味とする精度の高い右足のキックで、躊躇(ちゅうちょ)なくミドルパスを放つ。これが、右に大きく開いたスソの足下へピタリと通った。そこにすかさずカラブリアがオーバーラップを図り、敵守備陣が整う前にクロスが送られている(図1参照)。
その7分後に生まれた決勝点は、またもチャノハノールのサイドチェンジがきっかけとなった。速攻をかけた後、逆サイドでまたもスソがフリーになっているのを確認してフィードを通す。そこにまたもカラブリアが追い越しをかけてクロス、今度は前線に飛び出したMFボナベントゥーラの足下に合ってボレーシュートが決まった。それ以外のシーンでも、彼のミドルパスにサンプのイレブンは右に左に翻弄された。スソだけでも脅威なのに、左から個人技で突っかけられては寄らざるを得なくなる。そしてインテンシティが弱まった右へボールを放り込まれ、スソやカラブリアにスペースを使われるという寸法だ。
ガットゥーゾ戦術に彩りを加える
4バックに固定して守備を安定させることをプライオリティに置いたガットゥーゾ監督は、ビルドアップの方式を変えている。攻撃時は前線に5人を配置して後方からの組み立てによってポジショナルプレーにはめ込もうとした前任者のやり方から、後方のソリッドな守備組織を維持したままサイドを縦に破らせる速攻主体へと転換した。そこにサイドチェンジを効率良く織り交ぜれば、相手の対応は困難になる。チャノハノールの役割はまさにそこにあった。時にはDFライン近くまで下がって守備を助けると、攻撃に切り替われば瞬発力を生かして裏へと飛び出す。そしてボールを呼び、前述のように敵を引きつけてからの高精度パスで敵を翻弄するのである。
彼自身、左ウイングとして積極的に仕掛けるプレーも選択する。サンプ戦では横に押し広げたDFラインのギャップ目がけてカットインで切り込み、正確なミドルシュートでGKを強襲。好守に阻まれなければ2ゴールは決まっていてもおかしくなかった。
本来の場所に戻されて復調を果たした一人。システムやポジションこそ違うが、プレーエリア自体はレバークーゼン時代のそれと大きく変わらない。4カ月間の公式戦出場停止処分を食らった後でミランに移籍し、イタリアのサッカーに慣れないうちにインサイドMFなどを課せられては適応も難しかった。決してプレースキックだけの選手ではない。手慣れた仕事場である左サイドで才覚を取り戻し、右のスソと対をなす新たな攻撃の柱となりつつある。
Photos: Getty Images
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Profile
神尾 光臣
1973年福岡県生まれ。2003年からイタリアはジェノバでカルチョの取材を始めたが、2011年、長友のインテル電撃移籍をきっかけに突如“上京”を決意。現在はミラノ近郊のサロンノに在住し、シチリアの海と太陽を時々懐かしみつつ、取材・執筆に勤しむ。