ウクライナ視点で見た日本戦。チャントに込められた意外な意味
日本代表 欧州遠征コラム
3月27日、ベルギーのリエージュで行われたウクライナ代表との親善試合。日本代表は欧州中堅国との実力差を痛感させられる内容で1-2の敗戦を喫し、ロシアW杯本大会へ向けて危機感がいっそう高まる結果となった。対戦国であるウクライナのメディアは普段は顔を合わせることのない(日本代表との試合は2005年10月以来)アジアの強豪との一戦をどのように伝えたのか。その反応をまとめてみよう。
ウクライナ国内で最多発行部数を誇る一般紙『セボードニャ』はこの試合の主催が日本サッカー協会であることを紹介しながら、平日の午後2時20分というキックオフ時間に対し「なぜ、誰のために?」と戸惑いを見せた。ゴール裏で試合前から声を張り上げ存在感を示していた20人ほどのウクライナサポーターに対し、1000人ほどの日本代表サポーターは「おとなしくネズミのように座っていた」と違いを指摘。また、今回の試合が飲料メーカーの冠で行われることから「ビール杯の獲得へいざ出陣」と、通常とは環境の異なる一戦であることを強調していた。
ウクライナ側のパフォーマンスに関しては、多くのメディアが相手を上回った連係や選手たちが見せた技術と強さ、そして勝利という結果は評価しつつも、積年の問題であるセットプレーからの失点、チャンスは作るものの決め切れない攻撃陣、GKピアトフのイージーミス、日本に攻め込まれた終盤の混乱を課題として挙げ、まだ発展途上のチームにさらなる成長を促している。
続いて、日本への論評に移ろう。ウクライナで最も信頼をされている総合スポーツ紙『スポルト・エクスプレス』の採点では、日本代表選手は川島、植田、杉本が10点満点中の5点、長友、山口、本田、小林が5.5、槙野、酒井、長谷部、柴崎、久保、中島が6、三竿と宇佐美は評価なしと低い数字が並ぶ。唯一の得点を挙げた槙野は「チーム内の競争に勝つという気迫が見えた」と評価されたが、総じて個々の寸評は手厳しい。ウクライナメディアで試合前から最も注目されていた本田に関しては「まったく目立たず、実力を発揮できなかった。W杯には彼を加えずに向かうことになるのでは」と予想した。
ウクライナ最大の総合スポーツサイト『スポルトUA』も「人数をそろえてはいるが連係に欠け、時に単調な日本の攻撃は我われを脅かすことはなかった」と終盤の反撃を評している。シェフチェンコ監督は試合後の会見で「日本は堅実で縦に速く、特にプレスに苦しめられた」と賛辞を送ったが、勝利後の余裕ムードであったことを考慮しなくてはならない。
試合後の表彰式でウクライナの選手たちが親善試合にしては喜んでいたのは、混乱する経済状況で金欠の協会には勝利ボーナスが喉から手が出るほど欲しかったからかもしれない。または、世界でも有数の酒消費国だけに、副賞のアルコール飲料が単純にうれしかったのか。
ただ、最大の理由は36歳のMFルスラン・ロタンがこの試合で代表通算100試合出場を達成したことだろう。ウクライナで過去にこれを成し遂げたのは現監督のシェフチェンコとバイエルンなどで活躍したアナトリー・ティモシュクのみという偉業である。引退後の代表スタッフ入りが期待されているほど人望の厚い主将ロタンを中心としたロッカールームでの記念写真が祝辞とともにこの試合最大のトピックとして報じられている。
欧州の今を映す政治的メッセージ
この試合は前述のように平日の昼開催だったこともあり、スタジアムは空席が目立っていた。日本ではプライムタイムの放送となった生中継で個人的に興味深かったのはマイクを通じて普段よりも鮮明に聞こえてくるウクライナサポーターの声援である。試合中、実はスタンドからはこんなチャントが響いていた。
「プーチン、クソ野郎、ララララ~!」
「クソ野郎」は筆者がソフトに意訳した部分であることを注記しておく。本来は男性器を表す単語が由来のロシアやウクライナではおなじみの罵倒語で、放送禁止用語であるが辞書には9つもの意味や膨大な慣用句が載っているなかなか奥深い言葉でもある。
2014年のウクライナ政変以降、国内では反ロシア感情が高まり、過激なナショナリズムが目立つようになった。騒乱にはサッカーの一部サポーターが先導的な役割で参加しており、プーチン大統領を侮辱するこのチャントもメタリスト・ハルキウのウルトラスが始めたものだ(その2年後メタリストは経営難で消滅するのだが、プーチンの逆鱗に触れたこの件が引き金ではという憶測をめぐらせてしまう)。
国内リーグではディナモ・キエフとシャフタール・ドネツクとのナショナルダービーで6万人の観客がいっせいに歌うなど定番になっていて、サッカーに限らずコンサートや議会にまでもスローガンのように拡散し、アルバムまで制作された。ウクライナ代表の試合はロシアでも放送されることがあり、当然ながら反発を招いている。
今回の試合では他にも、欧米メディアですら「ナチスを彷彿とさせる」と警戒する自国民族の優位性を強調した「ウクライナに栄光あれ」も歌われていた。ところが、こうした政治的なチャントに対して今のところFIFAから処分が下される様子はない。このような「見逃し」は、ロシア国民にしてみれば、西側諸国による制裁や批判的な報道が自国を「狙い撃ち」しているものであるという思いを強める要因となる。
閑散としたスタジアムののどかな風景には、実のところ、紛争によって生じてしまったいびつなウクライナの憎悪が存在していたのである。
Photos: Getty Images
Profile
篠崎 直也
1976年、新潟県生まれ。大阪大学大学院でロシア芸術論を専攻し、現在は大阪大学、同志社大学で教鞭を執る。4年過ごした第2の故郷サンクトペテルブルクでゼニトの優勝を目にし辺境のサッカーの虜に。以後ロシア、ウクライナを中心に執筆・翻訳を手がけている。