ダビデ・アストーリ追悼コラム
ダビデ・アストーリは、チームメイトの支えになれる人物だった。
フィオレンティーナ所属3季目の今シーズンから、退団したゴンサロ・ロドリゲスの後を継ぎ主将となった。練習場には誰よりも早く来て、ロッカールームの明かりをつける。厳しい姿勢で練習に臨み周囲を鼓舞しながら、気さくで穏やかな笑顔を絶やさず周囲と良い関係を保った。
そんな彼のいる日常は、選手たちにとってあまりにも当たり前で、そして安心できるものだったに違いない。3日、アウェイのウディネーゼ戦前日の夜は、GKスポルティエッロとビデオゲームに興じた。その後自分の部屋に戻り、シューズを忘れたことに気がついてSMSを送った。「ごめん、明日の朝取りに行くよ」。それもまた、毎週のように繰り返された光景だったのだろう。
そんなアストーリが心筋梗塞で夜の間に帰らぬ人となれば、喪失感は計り知れない。チームメイトはもちろんのこと、かつての仲間や古巣のカリアリなども深い悲しみに沈み、セリエAの試合は順延となった。そして、選手の人となりはファンにも透けて見えているもの。チームのために実直な努力を続けた主将の葬送にあたって、フィレンツェの街は最高のオマージュを送った。
8日、フィレンツェで行われた葬儀。コベルチャーノの安置所から出発し、数多くの花とメッセージ、そしてマフラーが飾られたフィオレンティーナの本拠アルテミオ・フランキを経由して、ミサが行われるサンタ・クローチェ聖堂へと続く葬送パレードの街道には人々が立ち並ぶ。
そして聖堂前の広場は、ファンで埋め尽くされた。スピーカーを通しMFバデリの弔辞が聞こえると、老いも若きも嗚咽を漏らす。ミサの終盤で聖歌隊がモーツァルトのレクイエムの一節を歌えば、サポーターたちはタオルマフラーを一斉に掲げる。そして出棺では、フィオレンティーナのクラブソングを大合唱。ただただ、見る者の心を揺さぶる光景が展開されていた。
しかし、追悼の儀式はそれで終わりではなかった。アストーリの死去後初めての試合となった11日のフィオレンティーナ対ベネベントは、試合開始前から終了に至るまで、いわば荘厳な葬送曲の第二章となっていた。
背番号13が遺したもの
試合前、アウェイのベネベントサポーターが献花を行い、試合中も彼らからブーイングが起こることはない。選手紹介では「永遠のキャプテン、ダビデ・アストーリ」とコールされ、追悼のビデオクリップが流されると人々はタオルマフラーを掲げる。選手が入場行進を始めると人々は拍手を送り、試合開始前の黙祷に至るまで静寂を保った。厳粛にセレモニーへ参加する雰囲気はまさに、教会のミサのそれだ。
そして試合開始。フィオレンティーナの選手も、またベネベントの選手も、序盤から死力を尽くした。ジョバンニ・シメオネなどはシュートを外すたびにピッチで激昂し、自らに怒りをぶつけた。
すると不思議なもので、アストーリがそこにいるような気がしてくるのだ。
背番号にちなんだ開始13分にいったん試合が中断されると、クルバ・フィエーゾレ(北側のゴール裏スタンド)に「DAVIDE 13」のコレオグラフィが作られる。その時――止んでいた雨が突如降り出した。
「彼だよ」
天を指差してつぶやくバデリの様子が、テレビ中継で大きく抜かれていた。そして何より主将の魂は、選手たちの姿勢の中に感じられた。26分、CKから決勝ゴールを決めたのは、アストーリの代役として出場したビトール・ウーゴ。彼のみならず守備陣はみな、これまでと変わらないラインコントロールを披露する。前半から飛ばした彼らの足は70分過ぎから止まるが、粘り強く相手の猛攻を跳ね返し1点を守った。悲しみをこらえて練習を積み、90分間を戦い抜いた選手たちは、感情を抑え切れずにピッチ上に崩れ、泣いた。
フィオレンティーナは今シーズン、若手中心に戦力を切り替える大変革を行った。その中で、主将としてチームの基礎作りを任されたのがアストーリだった。自らプロとして手本を示し、言葉のわからない外国人選手にも姿勢を伝え、チームへの浸透を図った。チームは尻上がりに調子を上げ、まとまってきていたところだった。強力な選手をただ11人集めようが、優秀な監督を連れてきて洗練された戦術を敷こうが、クラブへの愛着を示し選手たちの心の支えになる存在がいなければチームにはならない。アストーリとはそんな男だったのだろう。「彼の遺した最大のものとは、いわば“種”だ。我われにはそれを芽吹かせ育てる責任がある」。試合前日、ピオーリ監督はそう語っていた。
実体としてのアストーリは、もう選手たちの日常にはいない。しかしその実直さと人柄の良さを知る彼らがそれに倣い、クラブの文化を構築すれば、その魂は生き続けることになる。死は別離の悲しみとともに、ある種の希望も人々へ遺すのだ。
「これほど君の存在を感じたことはなかったよ。ありがとうダビデ、ありがとうキャプテン」
サポナーラは自身のSNS上に、そんなメッセージを綴った。
Photos: Getty Images
Profile
神尾 光臣
1973年福岡県生まれ。2003年からイタリアはジェノバでカルチョの取材を始めたが、2011年、長友のインテル電撃移籍をきっかけに突如“上京”を決意。現在はミラノ近郊のサロンノに在住し、シチリアの海と太陽を時々懐かしみつつ、取材・執筆に勤しむ。