サウダーデの国からボア・ノイテ
シャペコエンセの本拠アレーナ・コンダは、一種独特の緊張感に包まれていた。9月13日、コパ・スダメリカーナのラウンド16のフラメンゴ戦(第1レグ)。昨年11月末の飛行機墜落事故から奇跡的に生還したアラン・ルシェウが、公式戦のピッチに戻って来た。2列目左サイドで先発したのである。
序盤は、なかなかボールに絡めなかった。しかし、守備をすることで、徐々に試合に入る。41分、カウンターから左サイドでボールを受けると、左足で強烈なシュート。これはGKの好守に阻まれた。その後も、ドリブルで切り込んで絶好の位置でFKを獲得するなど奮闘。後半27分に交代した際には、観衆が一斉に立ち上がって拍手を送った。自身も、頭上で両手を叩いてこれに応えた。
試合後、感極まった表情で訥々(とつとつ)と語った。「絶対に復帰する、という一念で手術に耐え、リハビリに励み、練習を重ねてきた。一つの夢が叶った」。「事故から生き延びたのが最初の奇跡。歩けるようになったのが第二の奇跡。そして、またプレーできるようになったのが第三の奇跡。今日は、この場にいられる幸せを噛み締めながら、無我夢中でプレーした」
フォウマンは引退、ネットは再手術
シャペコエンセは、事故で選手、コーチングスタッフ、クラブ役員の大半を失った。選手22人中、生き残ったのはルシェウ、CBネット、GKフォウマンの3人だけ。
彼らにしても、事故の代償は大きかった。フォウマンは右脚をひどく損傷し、切断を余儀なくされて24歳で選手生命を絶たれた。ネットは全身を強打し、頭部、膝、手、鼻などを手術。リハビリを経て4月に練習を再開したが、右膝の状態が思わしくなく手術を受けることになり、復帰は来年に持ち越された。ルシェウも脊椎を損傷して手術を受けたが、2月に練習を再開。8月7日の親善試合(ジョアン・ガンペール杯)バルセロナ戦でキャプテンマークを付けて35分間プレーすると、9月1日の親善試合ローマ戦にも出場してPKを決め、公式戦出場を目指していた。
こうして迎えたフラメンゴ戦後、“生き残り仲間”のフォウマンは「彼の復帰は、自分のことのようにうれしい。涙が止まらなかった」と感激の面持ち。ネットも、「自分がプレーしている時以上に緊張して見ていた。よく頑張ったよ」と称えた。
ただし、試合の結果はスコアレスドロー。20日にリオで行われた第2レグで完敗を喫し、昨年、大きな犠牲を払って手にしたタイトルを守ることはできなかった。本稿執筆時点の9月下旬現在、シャペコエンセは全国リーグで20チーム中10位。降格圏の17位を勝ち点3上回るだけで、苦戦を強いられている。失点が多いのが悩みの種だが、ルシェウ復帰後の4試合は3試合無失点で公式戦2勝1分1敗(うち2試合がアウェイ)と持ち直しつつある。今後、“奇跡の男”が、“奇跡のクラブ”の立て直しに一役買えば、1部残留が見えてくる。(編注:その後、終盤10戦無敗と見事に盛り返し、最終節には後半アディショナルタイムに決勝点を挙げ、土壇場でコパ・リベルタドーレス予備予選出場権が得られる8位に滑り込んだ)
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Profile
沢田 啓明
1986年ワールドカップ・メキシコ大会を現地でフル観戦し、人生観が変わる。ブラジルのフットボールに魅せられて1986年末にサンパウロへ渡り、以来、ブラジルと南米のフットボールを見続けている。著書に『マラカナンの悲劇』(新潮社)、『情熱のブラジルサッカー』(平凡社新書)など。