「移籍=投資」時代にサッカーは、スポーツはどうあるべきか?
[対談]片野道郎 x 木村浩嗣「作られた好景気が向かう先」 後編
従来のレコードを一気に倍以上も塗り替える2億2200万ユーロでパリ・サンジェルマンが獲得したネイマールを筆頭に、次々とビッグディールが実現したこの夏の移籍マーケット。この空前の移籍バブルは、2年前の時点ですでに予見されたものだった。
移籍市場のカラクリから代理人メンデスの凄味、そしてサッカー界を待つ未来まで。ともに20年以上にわたって海外からサッカーを見つめてきた本誌でもお馴染みのジャーナリスト、スペイン在住の木村浩嗣氏とイタリア在住の片野道郎氏が展望した月刊フットボリスタ2015年8月号収録の対談を特別掲載。
司会進行 浅野賀一
←前編へ
● ● ●
市場加熱が生む選手へのデメリット
木村 ファンの“選手離れ”が進んでいる
片野 5連敗したりしたら車をボコボコにされる
――現状の移籍市場は選手側にはどうなのでしょう?
片野「選手としてはステップアップのチャンスが得られたり好条件の契約を結んでもらえたりといったメリットがあるよね。若手が年俸1億円と聞けばロシアでも行くでしょう。最初の段階ではメリットを感じると思う。ただそこで成功できないと結構かわいそうなことになる。例えばキャリアをもう自己決定できなくて、半年とか1年ごとに移籍させられたりね。クラブに愛着を感じても出ていかないといけないとか。代理人なり保有権を持つ人間なりに株式とか債権のように転がすものとして扱われて、人としての尊厳が損なわれるんじゃないかなと思います」
木村「そうしたやり方を『人身売買』と呼ぶ向きもあるけど、でもクラブがやっていることも実は変わらないよね」
片野「契約更新を受け入れない選手をクラブが干すのはよくあることだしね。本当は禁止だけど。サミ・ケディラのレアル・マドリーでのケースもそうでしょう」
木村「選手はもともとそういう仕打ちを受けやすい存在で、それが今も続いているよね」
片野「彼らはサッカー界の主役であるべき存在だけど、実は一番立場が弱い。だんだんそれに見合ったリスペクトを受けなくなってきている。成功できた選手はいいけど、大部分の選手は成功できないわけだから気の毒」
木村「ファンの選手に対する忠誠心も変わってきているからね。クラブへの忠誠心は変わらないけど、選手がコロコロとチームを変えるのでファンの“選手離れ”が進んでいる。すると選手の方もさらに遠慮なく他のクラブへ行くようになる」
片野「そうなるとファンの関心はどんどん象徴的なもの、シャツの色とかチームカラーとかにしか向かなくなりますよね。すると、選手や経営者がリスペクトされなくなって、少しでも成績が悪くなるとファンが一気に暴力的なリアクションを起こしてしまう。愛情を注ぐ対象が具体的なものでなくなっていくと、逆にファンは原理主義に向かっていくところがある。今のイタリアでは、チームが5連敗したりしたら選手の車がボコボコにされますから。下部リーグほどそれが顕著になる。サッカーはアメリカ的な方向に向かっている。CLはどんどんクローズされた大会になっていて、行き着く先が欧州選抜リーグみたいなものだとしたらアメリカンスポーツと同じだし。実際、MLSはそういう形でやっているよね。選手は移籍の自由を制限されているし」
木村「自由競争というのは放っておくとその後は平等じゃないわけだからね」
片野「欧州は『機会』の平等。ただし結果は平等とは限らない。一方、MLSは『結果』の平等。その代わり、ドラフト制度が象徴的だけど制限を設けて、その中で繁栄しようという。そうしたアメリカ的な精神が今後はさらにヨーロッパに入ってくるのかなという気がします」
狂乱市場の未来
木村 いつか必ずバブルが弾けるというのは歴史が示している
片野 世の中が悪くなっているからこそスポーツの世界は正しくあってほしい
――今後の移籍市場は? 第2のメンデスは生まれるのでしょうか?
木村「移籍市場の右肩上がりがいつまで続くのかはわからないけど、いつか必ずバブルが弾けるというのは歴史が示しているよね。メンデスに関して言うと、彼は天才的なプレーヤーと同じで他者に遺伝するわけではない。彼の会社ジェスティフテから第2のメンデスが出てくるとはまったく思わない」
片野「仲裁役のメンデスがいなくなったら、または市場の右肩上がりが止まれば、彼にぶら下がっていたサメたちが食い合いを始めて一気に野蛮な世界になるでしょう。メンデスって実は長年一緒にやってきたドイエンと最近ケンカ別れしているんですよね。14年秋にブラジルの若手選手を奪い合ったことがきっかけで。15年6月のミランのコンドグビア獲得失敗はそれが原因と言われています。ミランの15年夏の補強はガッリアーニ副会長(当時)とドイエン代表のネリオ・ルーカスが組んで手がけていた。コンドグビアは保有権の一部をドイエンが持っていて代理人はメンデスという複雑な関係なんだけど、ミランがサインする直前でインテルに持って行かれたんだよね。アトレティコ・マドリーがミランからジャクソン・マルティネスをかっさらったのも同じ構造で、ミランの補強が土壇場で失敗したのはメンデスがネリオ・ルーカスに恥をかかせている、という形。メンデスの庇護がなくなったドイエンはこれからどうするのかは興味深いところですよね。逆に言うと、メンデスはドイエン以外の金づるを見つけたんでしょう。彼はずっとピーター・ケニヨン(マンチェスターU、チェルシーの元CEO)と一緒に、アメリカのクリエイティブ・アーティスト・エージェンシーという、ハリウッドスターのほとんどを抱え込んでいる巨大なコングロマリットエージェンシーと組んでQSIという投資ファンドをやっている。ベッカムもそこの顧客なんですけど。そういうところとか中国とか、メンデスがドイエンに対抗できるくらいの資金力をバックにつけて彼らを潰しにかかっている可能性もある。そこは面白い」
木村「食い合いが起きるのは間違いない。仲裁者がいなくなれば利害はもろに対立するわけだから。まずは第三者保有の禁止で市場にどんな影響があるのかが、短期的には一番の注目点だね」
――ドイエンとミランはどういう繋がりなのですか?
片野「ミランの株式の48%を購入したタイの実業家ビー・テチャウボン(編注:一度は合意に達したテチャウボンへの株式売却は最終的に破談となり、現在は中国の投資グループ「ロッソネリ・スポーツ・インベストメント」が発行株式の99.93%を保有している)の投資ファンドにおそらくドイエンも参加している。もともとガッリアーニはネリオ・ルーカスとは3年くらい前から仲良くやっていて、多分ベルルスコーニ引退後のことを考えてそうしたネットワークを作ったんでしょう。ドイエンは第三者保有の禁止によって、アトレティコですでにやっているように、クラブが選手を買う時にお金を貸し付けて転売した時にその利益をもらうという、いわゆる本当の高利貸しに移行していかざるを得なくなった。ドイエンの利息って凄く高いんです。ブラジルのサントスはレアンドロ・ダミアンの移籍金1300万ユーロ(約18億円)を全額借りたら1900万返す羽目になった。当のレアンドロは移籍後は全然ダメで大損。ネイマールのバルセロナ移籍でもサントスは一部しかもらえなくて経営グチャグチャですから」
――つまり、第三者保有が禁止されても投資ファンドに頼るやり方は続くわけですね。
木村「共同保有でも借金でもお金出すところは一緒だからね。クラブが選手の権利を100%保有していたとしても、その権利を買うために投資ファンドから借金したというだけ。移籍で生じた利益の一部を持っていかれるという形は一緒。それをどう規制するかだよね」
片野「クラブのキャパシティ以上の借り入れを禁止するという方法はもちろんある。あとは一定以上の利息で借りてはいけないとか。そういう形での規制は当然あるでしょう」
――移籍の今後はどうなるでしょう?
片野「右肩上がりはしばらく続くでしょうが、移籍金がトントン拍子に1.5億ユーロまで膨らむといったことはないと思います。かつてのマルディーニのように一つのクラブでキャリアをまっとうする選手の数はさらに減るだろうけど、移籍先がワールドワイドになることで選手寿命が延びると同時にサッカー後進国のレベルが上がっていくのはいいこと。そしてメンデスについては、サメたちがすでに食い合いし始めている状態なので、彼の影響力が今後どうなるかは注目ですね」
木村「今のサッカー界はいろんなことが正しくないと思うけど、そんなこと言ったって、もともと社会が正しくなくなっている。だから彼らだけに正しくしろというのは心理的に抵抗があるんだよね」
片野「いや、僕としては世の中が悪くなっているからこそスポーツの世界は正しくあってほしい。フェアプレーを謳っていて、それが教育的な効果もあって社会性もあって、というのがスポーツなわけですから。だからこそ、FIFAも司法やビジネスの論理も無視してこれまでやってきたわけで。社会にとってスポーツはそういうものであるべきだと僕は思います。例えば子供がスポーツからも学ばなくなったら、どこから何を学ぶのかって思うじゃん(苦笑)。社会から学んだら酷いことにしかならないもん」
木村「なるほど。そのためにもスポーツは清く正しく保っておく必要があると」
片野「そう。少なくとも建前だけはそうしておいてよっていう。そこしか拠りどころがないんだから。ビジネスに巻き込まれるのは仕方ないけど、原理原則だけは守っていくべき。僕自身はスポーツとかサッカーのそういうところに魅かれてこの世界で働くことを選んだっていうのもあるんで」
木村「ビジネスの進出によって各自がどういう立場を表明するかが重要になってきているよね。その中で片野さんが今おっしゃった立場というのは非常に理解できるし、俺もそうしようかなと思いました。確かにそうした方が気が楽かなと。そういうことをサッカーの関係者でもジャーナリストでも言うべき時にはなっているかなと思います」
片野「別にビジネス自体を否定しているわけではなく、きちんと決められた枠組みの中でちゃんと発展していけばいいと思うんですよ。ただ、一口にグレーな世界と言ってもグレーには50種類くらいの濃淡があるわけで、そのどのあたりかということですよね」
木村「真っ白とは言いたくないからね。社会は真っ黒じゃん。でもスポーツがある程度白い方がいいというのは間違いない」
片野「原理原則としては白であるべきだと思います。ただ現実としてはそうもいかないから、グレーはなるべく薄めのにしておこうよっていう合意があって、みんなでそれに向かって努力していくという話なのかなと」
木村「そしていたいけな子供には白に見えていると」
片野「かなり白っぽくね」
――いい話でまとめていただけて良かったです(笑)。今日はありがとうございました。
Photos: Getty Images
Profile
浅野 賀一
1980年、北海道釧路市生まれ。3年半のサラリーマン生活を経て、2005年からフリーランス活動を開始。2006年10月から海外サッカー専門誌『footballista』の創刊メンバーとして加わり、2015年8月から編集長を務める。西部謙司氏との共著に『戦術に関してはこの本が最高峰』(東邦出版)がある。