独裁政権に揺れるベネズエラサッカー界
「今日、我われに喜びを与えてくれたのは17歳の子でした。でも昨日は、17歳の子が命を落としています。大統領、もう戦いはやめてください。デモに参加している彼らが唯一望んでいるのは、笑顔で人生を満喫できる、より良いベネズエラなのですから」
U-20W杯の準決勝で接戦の末に勝利を収め、ベネズエラサッカー史上初となる決勝進出を決めた直後のインタビューで、ラファエル・ドゥダメル監督は力強く語った。事情を知らなければ、この言葉が何を意味しているのかまったくわからないだろう。
ドゥダメルの言う「喜びを与えてくれた17歳」とは、ウルグアイ戦の91分に起死回生の同点FKを決めたサムエル・ソサのこと。そして「命を落とした17歳」とは、その前日に反政府デモに参加して亡くなったネオマル・ランデルを指していた。
過去、サッカーに政治を持ち込む言動を一度も見せたことのなかったドゥダメル。だが、同世代の若者たちを率いて育成に従事する指導者として、痛ましいネオマルの死に黙っていられなかったのだろう。
ベネズエラでは、故ウーゴ・チャベスの後継者となったニコラス・マドゥーロ大統領の退陣を求めるデモが4カ月以上に及んで続いており、過激な行動に出るデモ隊とそれを弾圧しようとする治安部隊の間で激しい「戦い」が各地で繰り広げられている。デモ隊に向けて容赦なくゴム弾や催涙弾を撃つ治安部隊に真っ向から立ち向かうため、デモに参加する若者たちはみなヘルメットとガスマスクをつけている。亡くなったネオマルはその他に、段ボール紙で作った手製の防護ベストを着ていた。6月19日の時点で亡くなったデモ参加者の数は91人に達している(編注:9月時点で160人超と報じられている)。
反政府派によるデモは、去る3月29日、政府寄りの最高裁判所が議会の立法権を剥奪したことから始まった。議会での決議が無効となり、政府側に立つ最高裁がすべての決定権を握ることは事実上の「独裁」を意味する。これについては欧米諸国だけでなく、南米の同盟国も厳しく非難。結局、判決は撤回されたものの、国の輸出の90%を占める原油の価格下落以来、700%を超えるインフレ、深刻な食料難と医薬品の不足などから政府に対する不満は募る一方となっていたため、ここに来て人々の怒りが一気に爆発したのである。
ベネズエラサッカー界はこれまで、政治的な問題には一切介入しないスタンスを取っていた。同国サッカー連盟(FVF)においても、故チャベスを支持する“チャビスタ”であり大統領派のペドロ・インファンテが副会長として名を連ねる一方、ドゥダメル率いるユース代表のスポンサーとして支援を続ける企業「ポラル」はアンチ・チャベス派の代表格。政治的には対立する関係でも、サッカーの発展のため表向きには団結の姿勢を装っている。
しかし冒頭で紹介したドゥダメルのコメントからもわかるように、デモが激化する中、選手や監督が公の場で政治的な意思表示をすることが珍しくなくなった。4月30日に行われたリーグ戦では、FVFが許可しなかったにもかかわらず、デポルティーボ・ラーラとアンソアテギの両チームの選手たちが試合前、デモによる死者を偲んで1分間の黙祷を捧げた。その後もリーグ戦2試合で自発的に黙祷が行われており、選手協会としても反政府寄りの姿勢を明確に示し始めている。
U-20代表の凱旋イベントも、当初は政府から招待を受けて大統領府のミラフローレス宮殿で催されることになっていたが、ドゥダメル監督と選手たちの意向でカラカス市内のエスタディオ・オリンピコに会場が移された。
「選手たちはみな、政治的な立場など関係なく、ベネズエラのすべての人たちに歓喜を与えたいと思いながらプレーした」。決勝で敗れた後、ドゥダメルは瞳を潤ませながらそう語った。ベネズエラに1日も早く平穏な日々が戻ることを願わずにいられない。
Photos: FIFA via Getty Images, Getty Images
Profile
Chizuru de Garcia
1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。