ナーゲルスマン大いに語る。「新世代の名将」が見ているもの
記録よりも、選手が魅力的なサッカーを実践してくれることを誇りに思う
Interview with
JULIAN NAGELSMANN
ユリアン・ナーゲルスマン
(ホッフェンハイム監督)
史上最年少28歳でのブンデスデビューは、壮大なシンデレラストーリーの始まりに過ぎなかった。就任時、降格圏に沈んでいたクラブをわずか1年後に史上初となるCL出場権獲得へと導き、自身はブンデス最優秀監督賞を受賞。今やその年齢ではなく手腕で注目を浴びる存在となった新世代の名将のサッカー哲学に触れてほしい。
大躍進に対する自己評価
今のチームは10点満点だと6点。実際の出来以上に勝ち点を獲得できている
──29歳という年齢は、時間があっという間に過ぎてしまう、と文句を言うような歳でもないですよね。この1年、ブンデスリーガで過ごしてみていかがでしたか?
「いや、あっという間だったね。今までの人生で最も短く感じた1年だったよ。日常の仕事に没頭して、スリリングなことが次から次に起こるんだから。退屈には決してならないね」
──この1年で、人として変化がありましたか?
「それはないと思う。自分の人となりは、職業上の役割とは切り離しておきたいと思っているんだ。とはいえ、仕事がその人に多少の影響を与えてしまうのはしょうがないけどね」
──監督としてはどうでしょうか?
「人は成長し続けるものさ。新しいアイディアや方法を思いついたり、やっていくうちに洗練されていくものもあるしね。でも、基本的なコンセプトは変わらない。常に新しいことを実験しながら、使えないと判断したものは選り分けてまた新しいことを試すんだ」
──プロを指導することと育成年代をトレーニングすることは、内容的には変わらないのでしょうか?
「プロの方が、トレーニングを少しだけ早く次へと進められるかな。育成年代の選手の方が、同じテーマのトレーニングに取り組む回数が多い。でも、プロでも同じインプットを繰り返す必要がある選手も多くいる。他の選手に比べて、自分のことで精一杯の選手もいることにはすぐに気づいた。一度何かを言えば、最終節までその通り行くようなものでもないしね」
──あなたの理想的なサッカーを基準とすると、今のチームは何点の出来でしょうか?
「10点満点だと6点かな」
──たった6点ですか?
「勝ち点に関しては、実際の出来以上に獲得できていると考えている。だから、それとは切り離して考えないといけない。凄く良いプレーをした試合もあるよ。例えば、シャルケ戦(第5節/2-1)は稀に見るぐらい良かった。あの試合には8点ぐらいはつけたいね。守備がよく機能して、相手陣内で多くのボールを奪い返すことができた。一方で、4点しかつけられないような試合もあった。4-4で終わった(第2節)マインツ戦の前半のようにね。でも、僕らは時間が経つにつれてより良いサッカーができるようになっているよ」
──10点満点は今のメンバーで可能ですか?
「メンバーのことは別にして、満点のサッカーを実現するなんてとても難しいものさ。影響を与えるファクターが数多くある。好調の選手がそろっているとは限らないというのはその一例だ。本来なら、10点は存在しないものとして考えないといけない。それぞれが夢見る完璧なサッカーなんだから。とはいえ、僕は今のメンバーを非常に高く評価しているよ。とてもバランス良く組み合わされた構成で、実際に多くのことをピッチ上で実践してくれている」
──今のチームにはあなたから見て何が欠けていますか?
「守備の部分だ。冬に特に重点的にトレーニングしたけれど、どの試合でも本当に良い出来だったとは言いがたい。ただ、それはどのチームも一緒でドルトムントやバイエルンでさえそうだからね。特に、ボールをポゼッションして試合を支配しようとするチームの場合、メンバー構成だけでも一苦労だ。状況に応じて、完璧に守備に集中させるのは非常に難しい。僕らは対戦相手に簡単にシュートチャンスを与えてしまっていた。中でも不満があったのはボールロスト後の動きだ。まったくチームとして連動できていないことがよくあった。最終ラインに不必要な人数が並んでいたんだ。守備が安定するような気持ちになるけれど、それは錯覚だよね」
色濃い「ペップ」の影響
彼が率いたバルサで最も注目すべきはポゼッションじゃない
──あなたの理想的なサッカーを、ほぼ完璧に実践した監督はいますか?
「ペップ・グアルディオラのバルセロナは、とても美しく、限りなく完璧に近いサッカーをしていたと個人的には思っている。あのチームは、守備に関しても本当に素晴らしかった。その観点からすると、バイエルンでの仕事も良かったけれど、バルサの時ほど突出してスーパーなものではなかった。彼が率いたバルサで最も注目すべきはポゼッションじゃない。バルサのポゼッションは、彼が監督になる前からずっと素晴らしかった。じゃあペップ・バルサの何が突出していたかというと、ボールロスト後のオーガナイズだ。彼らは大きなリスクを冒して強烈なプレッシングを仕掛け、後方ではマンツーマンの守備を敷いていた。その組み合わせでゲームを圧倒的に支配してみせたんだ」
──今のところ、グアルディオラのマンチェスター・シティはうまく回っていません。批評家たちが言うように、彼は過大評価されているのでしょうか? それとも、アイディアを実践するのに十分な戦力がそろっていないのでしょうか?
「評価するのは難しいな。グアルディオラが選手に要求することはとても複雑なんだ。時間が必要になる。アイディアを浸透させるにしても、他の新加入選手たちとも働かないといけないしね。選手たちは新しい環境や新しい監督のサッカーに慣れないといけない。将来的に、グアルディオラが再び大成功を収めるようになるかもしれないしね」
──発展のプロセスはどれぐらいかかるものでしょうか? 1シーズン、それとも2、3シーズンですか?
「理想を言えば1シーズン以内にそうなってほしいけどね。ほぼ完璧な領域でプレーできるまで挑戦するしかない。完璧に近づくためには、何よりも時間が必要なんだ。とはいえ、そんな時間がないこともわかっている。それは僕のチームでも同じだ。この夏には主軸の2人、ジューレとルディがバイエルンへ行ってしまう。つまり、いくつかの部分で再び初めからやり直さなければいけないということさ」
──あるいは、メンバーの問題で妥協する必要がないクラブに行く?
「それも一つの可能性だね」
──タイトルを狙うチームを指揮することへの憧れはどのぐらい強いものですか?
「成功に飢えるタイプの人間だということを隠す気はないよ。毎日のトレーニングや試合を見ていれば、それはすぐにわかることだしね。僕はホッフェンハイムが持っている能力のマックスを引き出したいんだ。それでタイトルに届くかどうかには疑問符がつくとしてもね。そうして、そのうちビッグクラブからオファーがきて機が熟したと思えば、そこでタイトルを取るために全力を尽くすだけさ」
──この移り変わりの早いサッカー界で、今がその時だと考えはしませんか?
「来季もこのチームで良いシーズンを過ごせると信じているんだ。新しいメンバーで、魅力的なサッカーができるチームを作り上げるのは偉大な、芸術的作業だよ。来季この流れが途切れるなんて不安は感じていないのでね」
──昨季もし降格していたら、あなたの人生は変わっていましたか?
「そうかもしれないね。多くのことが結果によって評価される。今でも、僕らが残している数字の方が、サッカーの内容よりも多く書かれている。僕らが実践しているサッカーの方が、結果よりも褒めるに値するものだと思うんだけどね。僕が誇りに思っているのは、無敗記録よりも選手たちが勇気を持って魅力的なサッカーを実践してくれていることなんだ」
──監督としての成功にはタイトルの獲得は不可欠ですか?
「そうだね。それを勝ち獲るために試合をするんだから。息子にも言い聞かせているんだ。『サッカーですべての試合を勝ち抜けば、最後にはキレイなトロフィーがもらえるぞ』ってね」
──お手本としているサッカーはありますか?
「グアルディオラが見せているサッカーのスタイルはお手本にしている。でもそれは、彼がやっていることをすべて盗み、コピーしているというわけではないよ。いろんな人や物事から学ぶのは価値があること。それは何もサッカーに限らない。他の競技ではどんなことをやっているんだろうかとか、大企業のリーダーはスタッフをどんなふうに率いていて、スタッフのモチベーションをどうやって維持しているんだろうかとか。すべての分野から身につけられることがあると思うんだ。僕は自分のキャパシティを全方向に向けて、広げたいと思っている」
──クラブを史上初の欧州カップ戦出場へ導くことは、あなたにとって特別な刺激になっていますか?
「僕に限らず、チーム全体の刺激になっているよ。どのクラブもそれを目指している。降格しないことを目指して戦うなんて誰もやりたくないだろう。持っている力を最大限に引き出すことをしないなんてプロじゃない。ただ、出来の良し悪しの評価はパフォーマンスが決定するもの。継続的に良いサッカーがしたいんだ。それができれば、成功もおのずとついてくるものだから。スリリングでスペクタクルな試合という意味ではなく、洗練されて魅力的で勇気を伴ったサッカーということだ」
──すでに決まっている主力選手の移籍に加え、欧州カップ戦の負荷が加わったとしても今季のレベルを維持することは可能でしょうか?
「理論的には可能だね。でも、それには本当に優れたスカウティングが必要になる。僕らには、そんなに大盤振る舞いができるほどの経済力はないからね」
──それは「今のところ」ですか?
「数年単位の時間が必要だよ。ドルトムントと僕らの予算には8000万ユーロもの差がある。バイエルンに至っては1億6000万ユーロ。そして、他の6、7クラブとも3000~4000万ユーロの隔たりがある。僕らにとっては、選手を売ることでどうにか同じ水準を保てるぐらい大きな差だよ。ただ、毎年CLに参加できるようになれば埋められる金額でもある。それを実現するためには、若くて安いけど平均以上の能力を持っている選手を見つける必要がある。それを継続するには、何年にもわたってすべてがうまくハマらないといけない。途方もない道のりだよ。でも、今年の夏もうまくやってのけられると確信しているんだ」
サッカーと自らの未来
情報を集め、処理し、適切な判断を行うスピードをより高めることが、今後は大きなキーになる
──今後トップレベルのサッカーはどう発展していくと思いますか?
「認知の速さに関する部分はこれから発展していくと思う。脳や神経系の活動キャパシティを広げて、情報を集め、処理し、適切な判断を行うまでのスピードをより高めることが、今後は大きなキーポイントになる。トレーニングの量自体は、少し減るかもしれない。でもその分、トレーニング内容に関して、選手はもっと自覚的になるだろうね。アスリートとしての体作りの部分はだいぶ研究されてきているから、今後は正しい回復にフォーカスが向けられるだろう。個人的には、これからますます試合が増えていくと思っている。新しいカップ戦やトーナメントが導入されるんじゃないかな。マーケットの需要はあるからね。
それから、テクノロジーの領域で、より論理的で説得力がある戦術分析メソッドが開発されてほしい。アスレティックな数字だけじゃなくて、試合前のマッチプランがどれだけ実際の試合で実践されたのかを可視化できるようになれば大きな進歩だ。僕らはSAPと共同作業をしているけど、戦術的要素をプログラム言語に変換するのは並大抵のことではないんだ」
──具体的には?
「うちのFWの選手がどのぐらいの時間、対戦相手にカバーされてパスコースが消されていたか、ボールのないところでどのように動いていたか、あるいは僕らがボールを奪い返した時に何人がボールよりも前方にいたのかといった、チームの戦術コンセプトに関連したことだよ。それ以外にビデオ判定や、一時退場といった試合の展開に影響を与えるルールの変更もあると思っている。とはいえ、こういったものにも金銭が絡んでくるからね。もしかすると、宣伝を挟むためのタイムアウトなんていうのもあり得る。マーケティングの問題さ」
──他にも何かありますか?
「ポジションチェンジかな。今までは似たようなタイプの選手同士での移動が多かった。SBが1列上がってウイングに、という具合にね。でも、これからはCBがボランチやインサイドMFまでポジションを移すこともあるだろう。そうして、これからもっと戦い方のバリエーションが増えていくと思うんだ」
──あなたはいつまでも監督をする気はないと言っていますね。どんな人生プランを描いていますか?
「具体的には何も考えていないけど、65歳までこの仕事を続けようとは思わないな」
──では、何をするのでしょうか?
「それは、これからどう進んでいくかによるよ。多くの監督が僕と同じようなことを言うけど、実際にはなかなか辞められないからね。それだけ監督の仕事はスリリングで刺激的なものなんだ。今の段階で望んでいるのは、50歳で今ほどストレスがない仕事に就くことかな。他人の評価にさらされることもなく、そういった人たちと話す必要もない仕事が良いな。まあ、自分でもその時になってみないと、どんな判断を下すのかはわからないけどね」
──あなたはケガの影響で随分と早く選手としてのキャリアを終えてしまいました。29歳といえば、サッカー選手としてベストの年齢ですが、自身がボールを蹴ることは恋しいですか?
「それはもう恋しく感じるよ。傍から見てもわかると思うよ。僕が練習場に立っている時、足下には常にボールがあるんだ。たぶん、それも今のチームが上手く回っているのに役立っているんじゃないかな。選手たちは僕がサッカーに喜びを見出し、プレーしたいにもかかわらずもうそれができないことを知っているからね。ただ、今は監督としての生活の方が面白いし、多くのことを与えてくれるよ」
──最後の質問にしましょう。ジューレはバイエルンと5年契約を結びました。将来的に、再び彼をバイエルンで指導するのでしょうか?
「(大笑いしながら)それはわからないよ。バイエルンの経営陣に聞くことだ。そうなったら、僕にとっても面白いことだけどね」
■プロフィール
Julian NAGELSMANN
ユリアン・ナーゲルスマン
(ホッフェンハイム監督)
1987.7.23(29歳) GERMANY
バイエルン州ランツベルク・アム・レヒ出身。1860ミュンヘン、アウグスブルクのセカンドチームに所属経験がある。膝のケガのより選手キャリアを20歳で終えることとなったが、契約を残していたため満了まで当時トーマス・トゥヘルが率いていたアウグスブルクのセカンドチームでコーチを務める。この時の経験からコーチ業に興味を持ち、1860ミュンヘンのU-17チームでアシスタントに就任。2年後にホッフェンハイムへ移る。U-17チームのアシスタントからスタートしU-17監督、トップチームアシスタント、U-19監督と歴任。U-19監督時代にはチームをドイツ王者に導いている。そして16年2月、当初はシーズン終了後の予定だったトップチーム監督に就任。17位に沈んでいたチームを見事残留へと導くと、16-17シーズンは開幕から17戦無敗を記録するなど大躍進。3月、デビューからわずか1年でドイツ最優秀監督賞受賞の快挙を成し遂げた。
COACHING CAREER
2011-12 Hoffenheim U-17
2013-16 Hoffenheim U-19
2016- Hoffenheim
Interview: Michael Pfeifer
Translation: Tatsuro Suzuki
Photos: Bongarts/Getty Images
Profile
キッカー
1920年創刊。週2回、月曜日と木曜日に発行される。総合スポーツ誌ではあるが誌面の大半をサッカーに割き、1部だけでなく下部リーグまで充実した情報を届ける。