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グアルディオラの苦難は予想の範疇だった。シティ1年目の真実

2017.06.28

グアルディオラ総論』著者マルティ・ペラルナウが明かす

「本音を言えば、今季マンチェスターで起こったことは私にとっては良かった。なぜなら本で予想したことが次々と現実になったのだからね」。自由にチームに出入りすることを許可され異例のバイエルン密着取材を続けたマルティ・ペラルナウは、その集大成として発表した『グアルディオラ総論』の中でも「白いキャンバスを前にした画家のような」イングランド1年目の困難を予想していた。謎に包まれた名将に最も近いジャーナリストが明かす、ペップ・シティ1年目の真実――。

「20カ月」の真意

シーズンの悪かった点はプレースタイルではない

──グアルディオラの1年目に10点満点で点数を付けるとしたら何点でしょう?

 「6かな。まあ合格点だ。君は私の本を翻訳したから何が書いてあるかは知っているだろう。選手の質とかいろんな理由によって『グアルディオラの1年目は大変困難なものになる』と結論付けた。その通りになったから驚くことはなかったよ。キャリアで初めて無冠に終わったし、良いシーズンでなかったのは確かだ。予想通りだったから個人的にも失望はしていない。しかし私がミュンヘンでグアルディオラの身近にいて知っていたことを知らないファンはタイトルを3つくらい獲ると期待していたかもしれないから、彼らの失望はわかるよ」

──グアルディオラ自身も「もしビッグクラブにいたら解任されていただろう」と言っています。

 「グアルディオラ特有の冗談だよ(笑)。彼はユーモアたっぷりの人物なのだが、それはあまり知られていない。こういう皮肉交じりの彼特有のコメントを時どき出すのだが、人はそれを解せず文字通り受け取ってスキャンダルにしてしまう。例えばアンチェロッティはバイエルン1年目の今季リーグ優勝だけに終わった。結果もプレー内容も期待外れだったが、アンチェロッティは解任されなかった。つまり、グアルディオラの言うことはいつも事実とは限らないんだよ。ただ冗談の中に一面の真実もある。ビッグクラブは常に大きな成功を必要としているのは確かだ」

──あなたが本の中で言っている通り、タイトル獲得は義務付けられてはいなかった。しかし、タイトルを争うことは求められていた。

 「そこだね。シーズンの悪かった点はプレースタイルではない。イレギュラーではあったが、悪くはなかった。しかしチームがタイトルを争う術を知らなかったというのも事実だ。例えばCLではイレギュラーながらもグループステージを勝ち上がった。バルセロナには4-0で敗れたが3-1で勝ちもした。モナコ戦は2試合通算スコア6-6だったがアウェイゴール差で敗退した。それはまあ悪くない結果だとも言える。だが、第2レグの前半はコンペティティブさの欠如、メンタルの面で非常に悪かった。あの前半、チームは戦えていなかった。こういう大事なところでチームが戦う術を知らなかったというのがシーズンのネガティブな点だと言える。後半は戦えており、いったん2試合合計スコアで勝ち越したものの最後は敗れてしまった。プレミアリーグでも同じようなことが起こった。大変良いプレーをした試合もあるし、酷かった試合もある。戦えてもいたが11月、12月、1月といったところで争う術を知らなかった。タイトルは獲れなくてもいい。モナコとはゴール数で並んでいたし、チェルシーは偉大なチームだったのだから。プレーがイレギュラーだったというのも新しいプレースタイルを教えている最中だと考えれば理解できる。だが、メンタルに属するコンペティティブさの欠如は修正すべき点だろう」

──そのシティの選手たちの勝者のメンタリティの欠如というのも、あなたは本で指摘していましたね。

 「アンチェロッティのバイエルンは85分以降に12ポイントを獲得している。これこそ勝者のメンタリティの証だ。バイエルンの選手はこういうキャラクターをハインケス時代、グアルディオラ時代、アンチェロッティ時代と昔から維持してきた。対してマンチェスター・シティの選手たちはマンチーニ時代もペジェグリーニ時代もメンタルのひ弱さが目に付いた。だからこそ本にもそう書いた」

──そのメンタルの弱さを選手の放出と獲得によって修正しようとしたように見えましたが、そうし切れなかったようですね。

 「完全には無理だった。状況もそれを助けてはくれなかった。例えば強いメンタルの持ち主ギュンドアンの大ケガ。ガブリエウ・ジェズスもケガで8試合しか先発できなかった。クラウディオ・ブラボとノリートの不調。グアルディオラのシティでのプロジェクトには選手の大きな入れ替えが必要だったと思う。現在も悪い選手たちではないのだが、同じチームに長くいれば刷新が必要だ。それが中途半端だった。5人しか獲得せず、しかもそのうち2人が負傷し2人が不調ではリフォームは半ばで終わってしまう。だから今年の夏は刷新を終わらせるべき時になる」

──そこはあなたでも読めなかった。

 「私はもっと多くの選手を入れ替えると思っていた。少なくとも7、8人は新戦力が来ると予想していた。だから今年の夏は動くだろう。私の持っている情報では5~7人は入れ替わるよ。それで2年越しだがチームの刷新は終わることになる」

──どうして5人だったんでしょう? もっと獲れる資金力はあったでしょうに。

 「主に契約の問題だった。私がバイエルンで学んだことだが、現実は外から見えているものとは違う。会長にOKをもらってやって来たら解除できない契約だったり、違約金が膨大だったりした。今年の夏は契約が終わって放出できるようになる」

──あなたは本の中でエスタブリッシュメントが確立していたバイエルンと違い、シティは「自由に絵が描ける白いキャンバスだ」と表現しています。その認識は今も同じですか?

 「バイエルンには伝統があり、それはメリットではあるがデメリットにもなる。アンチェロッティはアンタッチャブルな選手の扱いに苦労していたようだ。触れないもの変われないものはシティにはない。グアルディオラは契約の問題以外はすべてを好きにできる自由を手に入れていた」

──ということは時間と自由と金をグアルディオラに与えるというクラブの姿勢は1年前と変わっていないのですね?

 「時間と自由は与える。お金に関しては……。予想よりも渋かった。アブダビ王族がオーナーだから資金力は豊富だが上手に投資してほしいとも考えている。CEOのフェラン・ソリアーノはまるでお金がないクラブかのように振る舞っている。経済的な目標は達成し補強する財力はあるはずだが、その代わりに選手を売って金庫にお金を入れるのが条件だ。理には適っていると思う。いくら裕福だと言ってもサッカークラブが浪費をすべきではない」

──あなたは本の中でグアルディオラの仕事の成果が見られるようになるには20カ月は必要だ、と書いています。その意見は1年後の今も同じですか?

 「2018年3月、つまり来季のCL決勝ラウントの頃まで今季そうだったようなイレギュラーでない、真にコンペティティブなチームを見るのは難しいと思う」

「論争を呼ぶ男」の不幸

我われは強力なシンボルを必要とする世界に生きている

──あなたの目から見てイングランドサッカー界はグアルディオラを喜んで受け入れたと思いますか?

 「良い質問だ。シティのファンは歓迎したが、メディアの反応は極端だった。あのプレースタイルを理解し受け入れる者と理解せず理解しようとしない者に分かれた。一般的に言ってグアルディオラの場合は本人が何も言わないのに大きな期待を巻き起こす。“グアルディオラなんだからすべてのタイトルを獲らなくてはいけない”と考える。彼はタイトルを獲るとも言わないし、イングランドサッカーを変えるとも言っていない。報道では“サッカーを変えるつもりで来たが、今はその難しさを理解しようとしている”という話になっている。しかし彼はそんなこと一言も言ってないし考えてもいない。彼はプレーをさせタイトルを獲ろうともするだろうが、イングランドサッカーを変えるつもりはない」

──ドイツでも似たような反応が起きましたが、イングランドメディアがより理解を示しているのか、それともその逆でしょうか?

 「似たようなものだ。もっとも、イングランドにはドイツよりも多くのセンセーショナルなメディアがある。『ザ・サン』とか『デイリー・メール』とか。それ以外の一般メディアの反応は同じようなものだ」

──なぜグアルディオラはそんなに大きな反響を巻き起こすのでしょうか?

 「これも大変良い質問だ。グアルディオラは静かで穏やかな男だ。彼の発言を振り返っても冗談は時どき言っても、奇妙なことやデタラメは口にしない。罵ったり、他人のことに口出ししたりもしない。“私は最高だ”とか“ナンバー1だ”とか言うわけでもない。考えてないから言わない。私は彼のことをよく知っているが、そんなことは考えていないんだ。なのに、周りは大騒ぎする。我われは注目を集める強力なシンボルを必要とする世界に生きているのかもしれない。だが、大騒ぎするのは本人ではなく周りだ」

──あなたは今季彼と話をしましたか?

 「ああ。マンチェスターには何度も行ったし、コンタクトは維持している」

──苦しんではいなかったですか?

 「11月から1月まではとても苦しんでいた。グアルディオラには珍しいことに負けが込んだからね。引き分けや接戦も多かったし、プレー内容も悪かった。バルセロナでもバイエルンでも敗戦続きなんてことには慣れていなかった。モナコでの試合の前半、チームが怖がって勇敢でなかった時も苦しんでいるのを見た。今季苦しんだ経験は良い教訓になるだろう」

──敗戦の時、彼はどう反応するのでしょうか? 公の顔とあなたに見せる顔は別だと思いますが。

 「公では決して選手を悪く言わないし、自分が責任を引き受ける。良いことか悪いことかはわからないが、それが彼のやり方で我われが変えることはできない。たとえGKがミスを犯したとしても、“良いGKで良くやった”と言うだろう。私も君も同意しないだろうがね。プライベートでは起こったことをより認める。馬鹿ではないから何が起こったか、誰がミスをしたか、なぜミスをしたかはもちろんわかっている。もっとも、彼はポジティブなメンタリティの持ち主で“こういうミスを犯したが、どうやって修正しようか”というふうに考える」

──今季あなたは彼の練習を見ましたか?

 「ほんの少し2、3回だけだ。練習は非公開だが、私には友人として扉を開けてくれた。2014年から私はもう日々の報道には関わっていない。書物の執筆だけだ。だからマンチェスターに行ったのは友人として。グアルディオラは私がサッカージャーナリズムに属していないことを知っている」

──練習内容に変化はありましたか?

 「いや変化はない。彼のメソッドに沿ってやっている。試合前のウォーミングアップ法が変わったくらいだ」

異例の密着取材のワケ

ミュンヘンに行くまで会ったことがなかった

──あなた自身と本のことを少しお話しましょう。オリンピックにも出場した陸上選手だったあなたの取材対象がなぜグアルディオラだったんですか?

 「私は19歳からスポーツ報道に関わり、最初は陸上担当だったが、すぐにサッカー担当になった。サッカーの師たちに囲まれて彼らから自分がプレーしたことのないスポーツについて多くを学んだ。まだわからないことばかりだけどね。その後報道から離れ、本の執筆を始めた。ラ・マシア(バルセロナの育成組織)とそのメソッドについての本を書き、ドイツに行くチャンスがあったのでドイツへ行った。サッカーには常に興味を持っていた」

──でもなぜグアルディオラだったんでしょう? 彼との関係はいつから始まったのですか?

 「ミュンヘンに行くまでグアルディオラには会ったことがなかった。私は一緒にモスクワオリンピックに出場したグアルディオラのアシスタント、マネル・エスティアルテと親友で、彼を通じて本を書きたいという提案をし、グアルディオラは受け入れた。だから関係は長くない」

──バルセロナファンというわけではなかったのですか?

 「グアルディオラの選手時代にはマドリッドに住んでいた。バルサの陸上部門のファンだからバルサファンとは言えるかもしれないが」

──そうなんですか、意外です。ではなぜグアルディオラはあなたに練習場の扉を開いたんだと思いますか?

 「間違ったからだよ(笑)。これも良い質問だ。真面目な話、私はバイエルンがグアルディオラ獲得を発表した2013年1月にエスティアルテに本執筆の提案をした。グアルディオラはニューヨークにいて監督としてのプレッシャーから解放されていた状態だ。そんな時友人から“君のことと君の仕事について本を書きたいという話があるんだけど”という相談がきた。まだバイエルンでの練習開始は半年先だから、気楽にイエスと言ったんだと思う。その後私に会って、裏切ったり変なことを書いたりはしないと考えた。私は売れるもの、スキャンダラスだったり物議を醸すものを書きたいとは思わなかった。ドイツへ行ってグアルディオラを見て、どういうプロセスを経て2つのカルチャーがミックスしていくのかを書きたかっただけだ。私は外から見た本を書くつもりだったけど、驚いたことにグアルディオラは私に扉を開いてくれた。なぜだったのかは質問したことがない」

──本が日本で出版されて数日ですが、あなたが前書きで言っているように“読むのは簡単ではない”という声が届いています。

 「私は元ジャーナリストで今は本を書いている。ラ・マシアについて書き、グアルディオラの本を2冊書き、今は戦術進化の歴史についての本を手がけている。これも読むのは大変な本になるかもしれない。私は成功する本や簡単な本を書きたいのではない。例えばラ・マシアのメソッドを説明するのは簡単ではない。この本が簡単に読めないというのは事実だ。この2冊目を1冊目と同じスタイル“●月●日にこんなことがあった”というふうに書くこともできた。しかしグアルディオラがドイツで大きく変わったのだから、私も彼と読者の前で誠実になって表現する方法を変えるべきだろう、と考えた。この本を理解するのは読者の読みたいという意志が必要だ。もし君が写真と短く面白いフレーズを求めているのなら、この本はそうではない。この本は有名な監督ではなく、人として彼があの国の何を変え、あの国の文化が彼をどう変えたのかを物語っている。こういうことは誰にでも起こる。君がスペインをどう変えたかは知らないが、スペインは君を変えたに違いない。私が日本に住んだら良きにせよ悪しきにせよ私を変えるだろう。ドイツはグアルディオラを大きく変えた。イングランドはグアルディオラを変えつつある」

──芸術や教育学、哲学などサッカー以外の知識を必要とする点も難しさの理由ではないでしょうか?

 「わかるよ。例えばサッカーを語る時には、試合、ボール、ゴール、結果にフォーカスするのが普通だ。しかしサッカーは他のスポーツと同じようにそれだけでは語れない。サッカーで起こっていることは芸術など他の分野でも起こり、共通の問題点があったりもする。哲学界で言われていることがサッカー界でも通用することもあるし、教育界で言われたことがサッカーにも影響を与える。だから私はそれを本に反映させたいと考えた。あるオーケストラの指揮者がリハーサルや本番で直面する問題は監督のそれとそっくりだったりする。生活のいろんなところでの出来事とサッカー界でのことには似たところがある」

──あなたのそういう考え方にはトップアスリートだったという過去が影響しているのではないですか?

 「そうだね。スポーツ選手だったことは私に大きな影響を与えている。私はケガをし勝利し敗れた。調子が悪かった日も良かった日もある。大変うまくやったのに結果が出なかった経験もしている。だからサッカー選手やグアルディオラに限らず監督を見ると、私が経験したのと同じことが起こっているのが見える。バイエルンで3年間選手たちと日々をともにした時に同じことなのだとわかった。彼らは大金を稼ぎ、私は違ったけどね(笑)。ケガもするし、同じ問題に直面する。外から見て我われは“この選手はよくケガをする”とまるで本人がそうしたいかのようにコメントしたりする。違うんだ。彼はケガに凄く苦しんでいるのだ。私のスポーツ選手としての経験は彼らに対しての親近感になっている」

──いろいろ言ってきたことに加えて、戦術面でも深い分析があります。

 「君は大事なテーマを突いてくるね。スポーツを言葉で説明するのは難しいが、サッカーは特にそうだ。私が言及しているのは“この選手はこの選手とプレーしゴールを決めた”というテレビのコメントではない。あれは簡単だ。そうではなくなぜそれが起こり、なぜこの選手がこの動きをし別のアクションをしなかったかなど、サッカーの裏側にある理由を説明するのは非常に難しい。グアルディオラのプレースタイルは緻密に構築されており選手ですら理解するのは簡単ではないのだから、言葉で説明するのは本当に骨が折れる。今執筆している戦術史の本のために100冊以上の本を読んだ。1950年代には選手、監督、会長、ファン、結果のことは話題にしても誰もプレーのことは話題にしていない。1950年代のハンガリー代表がどうプレーしていたのかに言及した本はほとんどない。なぜなら説明するのが大変困難だからだ。日本の読者の方たちはプレーを理解するためにぜひ努力してください」

──先ほど「サッカーの師」という言葉が出ましたが、戦術の師は監督たちだったのでしょうか?

 「選手もいたが、ほとんどは監督だ。監督は試合中に重要な決断、交代とか戦術変更をすることもあるが、実際の主役は選手たちだ。しかしプレーに関する知識、なぜこうなるかという知識のマエストロは監督たちだ。私はいろんな監督と話をした。最初に話をした監督はスペイン代表監督時代のラディスラオ・クバラで、バルセロナカンテラの創始者ラウレアーノ・ルイス、ヨハン・クライフ、ファンマ・リージョらたくさんの監督と話をした。もちろんペップとの会話が一番多かったのだが。もし君が知りたくてうずうずしているのなら彼らはたくさんのことを教えてくれる」

──グアルディオラについて3冊目の本を書く予定はありますか?

 「正直言ってわからない。まだ2冊目の本やその翻訳本が出たばかりだからね。マンチェスターには行っているし、グアルディオラや彼のアシスタントとコンタクトは取っている。ただ、もし書くとすれば同じ本にはしたくない。そのためには新しい視点が必要で、それはまだ見つかっていない。可能性はゼロではない。マンチェスターで起こっていることは依然、魅力的なことばかりだからね」

──あなたはグアルディオラのシティでの成功を疑っていないのですか?

 「人生に絶対はないよ(笑)。成功の定義にもよる。リーグ優勝かCL優勝か3冠達成か……。成功の可能性は高いと思う。今季選手たちは多くを学んだ。最後の5、6試合はペップのチームのようにプレーできていた。新戦力も加われば、戦えるチームになると思う」

──間違いないのは右肩上がりである、と。

 「そう思う。スタートは素晴らし過ぎ、その後負けが込んだり普通の状態になり、最後に盛り返し、大変良いフィニッシュをした」

──最後にあなたの読者になるかもしれない日本の人たちにメッセージをいただけますか?

 「私は本を書きながら凄く楽しんだ。1冊目よりもはるかに楽しかった。なぜなら1冊目は何が起こっているのかを解説するもので、それは実は難しくないが、この2冊目は書くのが大変だった。新しい人物紹介のために私も変わる必要があったし、グアルディオラも変わっていた。本音を言えば今季マンチェスターで起こったことは私にとっては良かった。なぜなら本で予想したことが次々と現実になったのだからね。簡単な本ではないけれど、私と同じように楽しんでください」

──今日は長い間ありがとうございました。

Martí PERARNAU
マルティ・ペラルナウ

1955年バルセロナ生まれ。走り高跳びでスペイン王者となりすべての年代の記録を塗り替え、1980年モスクワ五輪出場を果たした。いくつかの新聞のスポーツ部門や『スペイン国営放送カタルーニャ』ではサッカー番組『エスタディオ2』を率いた。20年以上前からマネージメントの世界にも飛び込み、1992年バルセロナ五輪のメディア本部長を務めた後、マドリッドで音響映像会社数社のGMに就任。バルセロナの下部組織ラ・マシアへ向けた『王者への道』を出版した他、前著『ペップ・グアルディオラ キミにすべてを語ろう』は世界14言語に翻訳された。

Photos: MutsuKAWAMORI/MutsuFOTOGRAFIA, Getty Images

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木村 浩嗣

編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。

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