フットボール・ヤルマルカ
昨年の12月6日、CSKAモスクワはレオニド・スルツキ監督の辞任を発表した。
ジーコ、ファンデ・ラモスと大物監督を招へいし話題になったもののいずれも短命に終わった09年秋、CSKAはVTB銀行のスポンサー撤退に伴い若手主体のチーム作りへと方針を転換。そこで白羽の矢が立ったのが、中堅のFCモスクワ(10年に消滅)やクリリア・ソベトフを欧州カップ戦に導いていた38歳のスルツキだった。
当初はお試し程度に思われていた青年監督は、就任直後のCLでロシア勢初となるベスト8進出を達成。その後も国内リーグ優勝3回、ロシアカップ優勝2回と堂々たる成績を積み重ね、CSKAをロシアの顔となるクラブに押し上げた。一昨年から昨年にかけては代表監督も兼任。苦境にあったチームを立て直しEURO2016出場へと導いた。かつては「ビッグクラブを率いる器ではない」という批判的な声がつきまとっていたが、それが今や「ロシア屈指の名将」という揺るぎない評価に変わっている。
次の選択肢には芸人も!?
ボクサーだった父を6歳の時に亡くし、教師の母の下で文学や芸術に囲まれて育ったスルツキは、小学校から大学まで常に首席で卒業するほどの優等生だった。成績優秀にもかかわらず体育大への進学を決めた直後には、母が大学に駆け込み息子の合格を無効にするよう懇願したという逸話も残っている。
選手としてのキャリアは、「19歳の時に猫を助けようとして、木から落下し重症を負った」ことが原因で終止符が打たれた。これはロシア国内では有名な話だったが、今年出版された彼の伝記の中で「15歳の可愛い女の子に頼まれて断れなかった」という真相が明かされている。本人も「断れないことが自分の欠点」と自認している、スルツキの“「ニェート」(ロシア語で「いいえ」)と言えない人生”はこの時から始まっていたのである。
CSKAでは補強の願いを上層部に聞き入れてもらえず、ケガ人が出るとたちまち危機に陥る乏しい陣容に悩まされ何度か辞表を提出している。しかし、そのたびにギネル会長に説得され、結局7年間も指揮を継続。代表監督への就任も半ば連盟から強制されるような形で火中の栗を拾う仕事を任され、しかも当初は無給だった。このように、与えられた状況に耐えながらも謙虚に仕事をこなす人柄こそが彼の最大の魅力であり、スルツキほど選手やファンから愛されているロシア人監督はいない。
45歳にしてついに、CSKAへと「ニェート」を宣言したスルツキ。次の行き先にはロシア人がオーナーを務めるフィテッセやチェルシーの名が挙がり、西側への進出も噂されている。また、実は10年以上も前からバラエティ番組でキレのあるダンスや見事な歌声をたびたび披露。そのユーモアセンスへの評価も高く、芸人への転身という仰天話が出るほど。勤勉で研究熱心な指揮官が今後自らの意志でどのような未来を切り開くのか、その選択が楽しみだ。
Photo: Getty Images
Profile
篠崎 直也
1976年、新潟県生まれ。大阪大学大学院でロシア芸術論を専攻し、現在は大阪大学、同志社大学で教鞭を執る。4年過ごした第2の故郷サンクトペテルブルクでゼニトの優勝を目にし辺境のサッカーの虜に。以後ロシア、ウクライナを中心に執筆・翻訳を手がけている。