約16年ぶりのトップチーム監督就任でJリーグ初参戦。横浜F・マリノスの復権を託された54歳のイングランド人は、果たしてどんな人物なのか。モウリーニョ、コンテ、ベニテス、ヒディンク、そしてサウスゲイトらの下で尽力した補佐官の姿を、チェルシー時代(2009〜17年)から現地で目にしてきた山中忍氏が、母国における評価や実績、その知る人ぞ知る指導者像について伝えてくれた。
「イングランド随一」の指導者として、チェルシーと代表の助監督を兼任
昨年12月、横浜F・マリノスの新監督就任を知り、「スティーブ・ホーランドって誰?」と思った日本のサッカーファンも多かったことだろう。無理もない。その8年前の12月には、本人の母国イングランドでさえ、同様の反応が見られた。明くる2017年の夏から、助監督としての代表チームスタッフ入りが決まったホーランドは、国内でも「知る人ぞ知る」という認知度だったのだ。
もちろん、「知る人」の間では非常に評価が高かった。トップチームの監督としては、実績らしい実績を持たないが、指導者としては、「国産随一」と言われるようになって久しい。
だからこそ、代表監督として2度の国際大会決勝進出をともにしたガレス・サウスゲイトは、自身がU-21代表を率いていた2013年の段階で、ホーランドに補佐を要請していた。その前代表監督のコメントを拝借すれば、「然るべきスタイルを念頭に置き、若い選手にもピッチ上で自分を表現する自信を与えられる」指導者として。
U-21代表助監督時代は、チェルシー助監督との兼任だった。もともとは、2009-10シーズンを前に2軍監督として雇われていた。当時39歳にして、初のビッグクラブ就職。しかし、若くして「指導専念」を決めたホーランドには、すでにフルタイムのコーチとして18年の下積みがあった。
指揮官としての姿を初めて観たのは、同シーズンのリザーブリーグ開幕節だった。場所は、チェルシーの2軍がホームとしていた、ブレントフォードの旧スタジアム。結果は、前シーズン王者のアストンビラに大敗(0-4)。就任後間もないホーランドにとっては、チーム練習担当1日のみでの初采配となった。1軍控え選手の大量レンタル放出で知られたチェルシーのリザーブチームは、限りなくU-19チームに近い顔ぶれでもあった。
本人は、1軍を率いていたカルロ・アンチェロッティ(現レアル・マドリー監督)と、「踏襲すべきチームとしてのスタイルを確認中」なのだと試合後に話していた。翌月、2度目のホームゲームを迎える頃になると、2トップ間の連係、オフ・ザ・ボールでのハードワーク、コンパクトな守備といった面で改善が見られるようになっていた。翌シーズンには、見ごたえのある攻撃的なサッカーで、リザーブリーグ優勝を実現することになる。
アタッキングフットボール志向と現実的感覚
……
Profile
山中 忍
1966年生まれ。青山学院大学卒。90年代からの西ロンドンが人生で最も長い定住の地。地元クラブのチェルシーをはじめ、イングランドのサッカー界を舞台に執筆・翻訳・通訳に勤しむ。著書に『勝ち続ける男 モウリーニョ』、訳書に『夢と失望のスリー・ライオンズ』『ペップ・シティ』『バルサ・コンプレックス』など。英国「スポーツ記者協会」及び「フットボールライター協会」会員。