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「夢を与えてくれたクラブに恩返しを」。1人の少年をサッカーライターの世界に導いた、ファジアーノ岡山が掲げる「子どもたちに夢を!」の影響力

2024.08.31

そのフレーズに多くの人の想いが重なり、彼らは前進を続けてきた。「子どもたちに夢を!」。ファジアーノ岡山が掲げているクラブ理念だ。2024年、春。1人の青年が憧れの世界へ果敢に飛び込んだ。難波拓未。24歳。岡山で生まれ、岡山で育ち、小学生の頃からスタジアムでファジアーノを見つめ続けてきた男は、その地元のチームの魅力を、そしてサッカーの楽しさを、自分が綴る文字で伝えるために日々奮闘している。そんな新米サッカーライターが自身の体験を基に、「子どもたちに夢を!」が与える影響力の大きさを、熱量を持って説く。

「子どもたちに夢を!」に魅せられて

 2008年、サッカーボールを抱えながら見た桃太郎スタジアム(現シティライトスタジアム)の光景に憧れを抱いた。

 ファジアーノ岡山がJ2に昇格する前年、少年団でサッカーを始めた小学2年生の僕は初めてスタジアムで試合を見た。当時ファジアーノが所属していたのはJFLで、県内においてその存在はまだ浸透してはいなかっただろう。空席のほうが目立つスタンドの景色を微かに記憶している。しかし、目の前でプレーする選手の姿は、いまだに忘れられない。

 ボールを蹴り始めて間もない僕のサッカーへの関心は、地上波で放送される日本代表の試合を見る程度で、2006年のドイツワールドカップも見ていなかった。それくらい“サッカーを見る”習慣がなく、「プレーの参考になるんじゃない?」と父に連れられた初観戦だったため、対戦相手や試合結果は全く覚えていない。しかし、一生懸命にボールを追い掛け、タッチラインを割りそうになったボールをスライディングで残し、ピンチの時には体を投げ出して防ぎ、相手と体をぶつけながらもゴールに向かっていく。当時11番を背負うエースとして攻撃をけん引していた喜山康平選手(現ギラヴァンツ北九州)を中心に、ピッチでひたむきに戦う選手がかっこよくてたまらなかった。「ファジアーノの選手みたいにサッカーをプレーしたい」「大人になったらファジアーノ岡山に入るんだ!」と子どもの僕にとってファジアーノ岡山が夢になった。

2007年から2010年、2017年から2022年の計10年間にわたって岡山に在籍した喜山

 2009年からファジアーノが戦いの舞台をJ2に移し、クラブが着実に大きくなっていく中、小学生の頃は夢パス(小学生以下の子どもが無料で試合観戦できるチケット)を首に下げて、選手のプレーを学ぶためにスタジアムに足を運んだ。しかし、中学生の時に自分に才能がないことを悟り、気づかないうちにファジアーノに入ることをあきらめていた。さらに中学校と高校は部活でスタジアムにも通えなくなる。夕方のテレビニュースやインターネットを通じて結果は追っていたが、明らかにファジアーノと距離が離れた期間だった。

 高校3年生の夏、受験勉強の息抜きに読み漁っていたサッカー本をきっかけにサッカーライターを志す。「サッカーの面白さを、より多くの人に届けたい」という気持ちが芽生え、いつも身近にあったファジアーノの試合を中継でじっくりと見るようになり、大学進学で県外に出た後もかぶりつくようにテレビで毎試合中継を見た。

 「新卒採用が少ないサッカーメディア業界に入るためには、大学のうちに書く力や観る力を習得しないといけない」

 そう思ってファジアーノの試合レポートを書き始め、「将来はファジアーノを取材したい。ファジアーノの魅力をたくさんの人に伝えたい」と、故郷のクラブがサッカーライターの取材先として目指す場所になった。

 夢を抱いてからいろんな人との出会いを経て、練習場やホームスタジアムに取材に行けるようになり、2024シーズンからはホームゲームで配布されるマッチデープログラムの執筆を担当させていただいている。「ピックアップ選手のことをより身近に感じてもっと応援したくなるように、チームのことをもっと好きになるように」という思いで一言一句に魂を込めて原稿を書いている。

 ファジアーノに憧れた1人の子どもが大人になって、サッカーライターとして活動する。今の僕があるのは、ファジアーノが「子どもたちに夢を!」という理念を掲げていたから。子どもから大人になる過程で、クラブが大切にしている言葉がどんどん胸に刻まれていった。

 「小さい時に夢を与えてくれたクラブに恩返しをしたい。大人になった自分が今度は文章を通じて、子どもたちに夢を見せるクラブの役に立ちたい」

 気がつけば信念に変わっていた。

プロスポーツ不毛の地を変えようという気概

 ファジアーノが掲げる「子どもたちに夢を!」という理念は、クラブがNPO法人から株式会社化した2006年に代表取締役に就任した木村正明氏(現オーナー)によって定められた。木村氏は2022年4月にJリーグの専務理事を終えてクラブの筆頭株主になった際に思いの丈を綴っている。

 「自分自身、高校を卒業し都会に出て、環境の違いにショックを受けました。好きなスポーツを岡山の子どもたちなら誰でもできるようにしたいですし、強く愛されるプロチームの存在と、そこに触れることが、子どもたちがたとえ地元を離れても岡山を愛する気持ちにつながると信じています。リトルリーグの試合で広島に行ったときに、広島の皆さんがカープを愛する気持ちに驚き、直に試合が見られる現実を知り、本当に悔しかったのが、原点でした」(引用:ファジアーノ岡山HP「筆頭株主の異動について」

 岡山はプロスポーツ不毛の地だった。西隣の広島には広島カープやサンフレッチェ広島がある。東隣りの兵庫にはヴィッセル神戸がある。近隣地域のチームが岡山にやってきて開催する試合を見に行ったり、テレビ中継を見たりなど、ある意味で外から応援することしかできなかった。

 しかし、2009年にファジアーノがプロリーグに参入したことで、岡山の日常をプロスポーツが彩るようになった。そして現在ではバレーボール、バスケットボール、卓球と、ファジアーノに続く形でプロスポーツチームが誕生して活動している。

 スポーツをしている人も、していない人も、週末の楽しみに“自分たちのチーム”の現地応援が当たり前になり、プロスポーツが一気に身近になった。……

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J2リーグファジアーノ岡山文化

Profile

難波 拓未

2000年4月14日生まれ。岡山県岡山市出身。8歳の時に当時JFLのファジアーノ岡山に憧れて応援するようになり、高校3年生からサッカーメディアの仕事を志すなか、大学在学中の2022年にファジアーノ岡山の取材と撮影を開始。2024年からは同クラブのマッチデープログラムを担当し、サッカーのこだわりを1mm単位で掘り下げるメディア「イチミリ」の運営と編集を務める。(株)ウニベルサーレ所属。

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