今シーズンのJ1全体で見ても、屈指の“大発見”だったと言っていいだろう。ストライカーとしてキャリアを築いてきた鹿島アントラーズの知念慶は、新指揮官のランコ・ポポヴィッチ監督によってボランチへとコンバートされると、22節終了時点でデュエル勝利数、タックル数ともにJ1トップの数字を叩き出し、逞しく新境地を切り拓いてみせた。では、意外にも思えたこの配置転換はなぜここまで成功したのか。おなじみの北條聡がその謎に迫る。
ポポヴィッチ監督の慧眼。キャンプで敢行されたコンバート
やはり、つまらぬ常識に縛られない発想が“発見”のトリガーだった。今季、本来のFWからボランチに転向し、見事な活躍を演じている鹿島アントラーズの知念慶はその好例かもしれない。
プロの門をくぐったのは2017年。それから7シーズンに渡ってFW一筋の人生を送ってきた。しかも、その大半はリアル9、つまりはゴリゴリのセンターフォワード(CF)として――である。それがたった一度の偶然をきっかけに、J1を代表するボランチへ変貌を遂げることになった。
転機は開幕前の宮崎キャンプ中に組まれた練習試合だ。柴崎岳の負傷で、3本目に出場するボランチが不在となる。そこで指揮官のランコ・ポポヴィッチから「1回やってみてくれないか」と代役に抜擢されたのが知念だった。ボランチをやるのは中学時代以来だというから、本人が驚いたのも無理はない。ただ、新しい挑戦に前向きだった。
「それが最も大事なこと。本人が受け入れ、楽しんでやることができれば、いいプレーにつながる」(ポポヴィッチ)
FC東京を率いていた頃からコンバートの成否について、そう話していた。これまでにもポポヴィッチの主導による成功例はいくつもある。なかでも印象深いのが大分トリニータの監督時代に試みた家長昭博(現・川崎フロンターレ)のボランチ起用だ。本来はワイドのポジションから自在に仕掛ける単騎突破の申し子だったが、この転向を機に司令塔として縦横に立ち回る天与の才が存分に引き出されることになった。
当時から「優秀な選手はどのポジションでもできる」というポポヴィッチの持論は変わらぬままだ。現在の活躍を見る限り、知念もまた、その例外ではないだろう。ただ、CFだった選手がボランチとして成功するのは異例と言ってもいい。
守備面で発揮された才覚。なんとJ1の“デュエル王”に!
CFと互換性のあるポジションとして、よく知られているのはセンターバックだ。かつて日本を代表する《9番》だった中山雅史が筑波大時代にセンターバックを務め、同期の井原正巳と鉄壁のペアを築いていた話はあまりにも有名である。……
Profile
北條 聡
1968年生まれ。栃木県出身。早大政経学部卒。サッカー専門誌編集長を経て、2013年からフリーランスに。YouTubeチャンネル『蹴球メガネーズ』の一員として活動中。