昨季はJ3リーグで下位に低迷した福島ユナイテッドFC。なかなかJ2昇格への道筋が見えて来なかったクラブは、J1で多くのタイトルを獲得した川崎フロンターレでコーチを務めていた寺田周平監督を招聘し、若手の有望株U-19日本代表MF大関友翔、DF松長根悠仁を育成型期限付き移籍させ、クラブ間で業務提携も結んだ。チームは川崎らしい足下の技術を生かした攻撃サッカーへと一変し、J3リーグ4位とJ2昇格プレーオフ圏内で前半戦を折り返し、クラブ悲願のJ2昇格を目指して、後半戦に臨む。
元五輪代表監督関塚TDの昨夏加入から川崎との業務提携に発展
なぜ福島ユナイテッドFCに川崎フロンターレから監督、コーチ、選手がたくさんやってきたのか。話は昨年の夏にさかのぼる。
福島は2014年にJ3リーグに参入。当初はスタジアムなどの問題からJ2ライセンス交付に向けては様々な障害がある状況だった。2021年、クラブは初めてJ2ライセンス交付を目指し申請をするが、翌年から本格的に活動予定だったU-18の活動実績がないことを理由にJ2ライセンス不交付となった。このシーズンは時崎悠監督(現・FC東京コーチ)の下、一時は2位となるなど、上位争いをしていたが5位で終了した。
翌年は諸条件が整い、ようやく初めてJ2ライセンスが交付された。この年就任した服部年宏監督(現・FC今治監督)が手堅い守備に加えて、ポゼッションをベースとしたサッカーを展開し、序盤は好調だったが、徐々に得点が取れず苦しみ始め、このシーズンは11位で終了。そして昨季は前半から低調な戦いが続き、7月上旬までホームゲームで無得点、未勝利が続く事態となり、服部監督の退任が決定した。
そしてヘッドコーチからの昇格で依田光正監督(現・清水エスパルスコーチ)が就任するタイミングで、テクニカルダイレクターとしてクラブに加入したのが、かつて五輪代表監督を経験した関塚隆氏だった。依田監督就任以降は8試合負けなしと一時チーム状態は持ち直したかに見えたが、カウンター攻撃への対策がされ始めると勝ち点を思うように伸ばせなくなり15位で終了。依田監督は退任し、クラブは川崎でコーチを務めていた寺田周平監督の招聘を決めた。
寺田監督は川崎で25年間選手、コーチを務めたが、関塚TDが川崎の監督を務めていた2004年以降、DFの主力選手として大活躍を見せ、長身DFを揃えた「川崎山脈」の1人として存在感を示した。関塚TDのかつての教え子にクラブの再建は託された。
オフの編成では、川崎からU-19日本代表MF大関友翔、大関と川崎U-18で同期のDF松長根悠仁を育成型期限付き移籍で獲得。さらに寺田監督と川崎でともにプレーした相澤貴志GKコーチも就任する。一気に距離が近くなった福島、川崎の両クラブは今年2月1日、2026年1月31日までを期限とする業務提携を結んだ。なかなか昇格への道筋が見えて来なかった福島は、J1で何度もタイトルを獲得した川崎の人材の力を借りながら、J2への道筋を切り開くことになった。
技術を生かし、ゴールに向かう意識を強めた超攻撃サッカーへ変貌
寺田監督は1月の始動後、チームコンセプトをこう語った。
「J2昇格するためには勝たないといけない。勝つためには点を取らないといけない。点を取るためにはボールを保持しないといけない」
全て昇格、勝利から逆算したスタイルを展開したいと語った。そしてシーズンが始まってみると、その攻撃的なスタイルに多くの人が驚かされた。……
Profile
小林 健志
1976年3月8日生まれ。静岡県静岡市清水区出身。2006年より宮城県仙台市を拠点にフリーライターとしてサッカーの取材を始め、J1ベガルタ仙台、J3福島ユナイテッドFCといったJリーグクラブの取材の他、少年から高校までの東北の育成年代、またアマチュアや女子サッカーなど幅広いカテゴリーで取材を行っている。『サッカーダイジェスト』、『サッカークリニック』、『河北スポーツマガジンStandard宮城』、『岩手スポーツマガジンStandard』、『青森ゴール』などの雑誌や、サッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』、Jリーグ公式サイト(J3福島担当)、『ゲキサカ』などWeb媒体に寄稿。2017年聖和学園高男子サッカー部加見成司監督著書『聖和の流儀』(カンゼン)の構成も担当。ライター業とともに、2012年より仙台市内の私立高校で非常勤講師として理科(生物)の授業も担当。