“みちのくダービー”にみるベガルタ仙台の現在地。「全力プレス」は「+α」の領域へ
22日、ベガルタ仙台はモンテディオ山形とのアウェイゲーム、つまり“ダービー”の日を迎えていた。単に隣県であるというだけでなく、県庁所在地同市が「隣町」。サッカーの世界でも因縁深く、Jリーグでも指折りのライバル意識を持つ両雄の真剣勝負に、森山佳郎監督率いるチームの進化と課題の双方が見え隠れした。
プレッシャーの中で問われる真価
人の力は難事においていっそう問われる——。
困難な時に発揮できる力こそ真の力。チームスポーツにおいても、想像を超える重圧のもとで、どれほどの力を発揮できるか。その力が、現在地を示す。
ベガルタ仙台は6月22日の明治安田J2リーグ第21節・モンテディオ山形戦、何ができて、何ができなかったのか。そんな話だ。
2024シーズンのJ2も折り返し地点を過ぎたところ。その後半2戦目で、仙台と山形が顔を合わせた。「みちのくダービー」の通称で知られ、ピッチ内外で激しい火花が散るこの一戦。タイトル争いや昇格争い、残留争いとはまた違う激しいプレッシャーがかかる試合で、仙台がどれだけここまでの成長を示すことができるか。終盤に昇格争いをできる資格はあるのか。力が問われる一戦とも言えた。
きっかけは手倉森誠の「監督代行」
今では東北6県すべてにJクラブが存在し、東北勢同士の対戦も珍しくなくなった。それでもこのカードが特別に盛り上がる背景には、様々な要素がある。
1つ、歴史的要因。
東北のJクラブのうち全国リーグで対戦したのはこの二者が初めてだった。1989年にそれぞれの前身である東北電力サッカー部と山形日本電気が東北社会人リーグのチャレンジマッチで顔を合わせたのが、初対戦だ。
全国リーグで東北勢同士が対戦したのは、1995年にそれぞれブランメル仙台とNEC山形となってJFLで相まみえてから。ベガルタ仙台とモンテディオ山形に名前が変わり、1999年にJリーグが2部化されると、同年のJ2開幕戦でこのカードが組まれた。それからJ2で、J1で、あるいはカップ戦で、何度も矛を交えている。
なお、「みちのく」は漢字で書けば「むつ」と同じ「陸奥」。厳密に言えば宮城県は陸奥国で山形県は出羽国なのだが、「『みちのく』をより広義の東北全体を指す言葉として使い『みちのくダービー』という言葉にした」……と説明したのは手倉森誠氏(現BGパトゥム・ユナイテッド監督)である。
1996年10月3日のJFL第25節での対戦時に監督代行として山形を率いた彼は、その仙台を破った試合の前にも、当時は珍しかった全国リーグの東北勢対決を「これは『みちのくダービー』なんだ!」と報道陣に大いにアピールしたとのことだった。
この「みちのくダービー」の名称は、のちの2010年に初めてJ1の場で両者が激突した際に両クラブの公式メディアにも公式に使われるようになった。実は、その名づけ親の手倉森氏も、今回のJ2第21節の会場へと視察に訪れていた。
地図と食文化から見える“ダービー”の理由
1つ、地理的要因。
宮城県仙台市と山形県山形市は県庁所在地の自治体同士が隣り合うという珍しい位置関係にあり、スタジアムのあるホームタウンという点でも、宮城県仙台市と山形県天童市は隣り合っている。隣県どころか隣町であるからして、ダービーマッチの起こり得る状況だ。両チームに関わる者たちは、JR仙山線で、車で、はたまた徒歩で、奥羽山脈を越えて相手の会場へ赴く。
最後にもう1つ挙げれば、食文化的要因。
この地域の秋の味覚に、里芋を具材とともに煮込む“芋煮”があるが、宮城側では味噌味で豚肉を用い、山形側では醤油味で牛肉を用いる。ブンデスリーガの各種ダービーで両チームのサポーターがそれぞれの地ビールを自慢するように、芋煮の時期には両県民が味つけについて一家言を主張する。今回の山形会場では、スタジアムグルメ屋台の中に両方の味の芋煮を食べ比べできるブースまで設けられていた。
両クラブのダービーマッチの歴史における現在地は、この過程を経たところにある。
順位も勝ち点も無意味な世界へ
今回のダービーマッチは、NDソフトスタジアム山形に1万6607人を集めて行われた。
この節のJ2で最多であることに驚くか、あるいは「ワシが20年若い頃はここに2万62人を集めたものじゃ」と語るか。解釈は人によるだろうが、この試合ならではの熱気に満ちていたことは間違いない。試合を前にした勝ち点差では仙台が12ポイントをリードしていたが、ダービーに順位も勝ち点も関係ない。
今シーズンのみちのくダービーの第1戦は、4月13日の第10節に仙台のホーム・ユアテック仙台で開催され、仙台が2-0で勝利した。仙台がここまで勝利したうち2点差で逃げ切ったのは現在のところこの試合だけで、その時点でのベストゲームとも言えるものだった。
森山佳郎監督の下、昨季の16位から巻き返しを図っている仙台は、まずは戦術云々の前に、昨年を通じて弱さを露呈したフィジカル面の改善にキャンプから取り組んだ。
戦術は遅れて段階的に植え込み、序盤は「とにかく全力で、倒れるまで」(森山監督)のプレッシャーを高い位置でかけ続け、オナイウ情滋らのスピードを生かしてショートカウンターに得点を託すスタイルで進む。だが結果が出ている間にも、相手の対策を上回ること、そして消耗の激しい夏場への備えとして、ボランチを経由したボール保持のかたちを複数パターン仕込んでおり、4月頃から本格的に実戦投入していた。……
Profile
板垣晴朗
山形県山形市生まれ、宮城県仙台市育ちのみちのくひとりダービー。2004年よりベガルタ仙台を中心にフットボール取材を続け、オフの時期には大学院時代の研究で縁ができたドイツへ赴くことも。どこに旅をしてもスタジアムと喫茶店に入り浸る。著書にノンフィクションでは『在る光 3.11からのベガルタ仙台』など、雪後天 名義でのフィクションでは大衆娯楽小説『ラストプレー』(EL GOLAZO BOOKS)。フットボールにまつわる様々な文化を伝えること、そして小説の次回作が最近の野望。