アビスパ福岡のチーム強化が順調だ。20年に長谷部茂利監督が就任すると就任1年目でJ1昇格を達成、その後J1に定着すると、23年にはルヴァンカップ獲得およびJ1での過去最高順位を記録した。長谷部アビスパは順調な成長曲線を描いているが、そもそもチームを強化するためにどのようなビジョンを描き、立ち振る舞ってきたのか。
後編では、チーム強化を陣頭する柳田伸明強化部長に今後J1で上位定着するための戦略を聞いた。
「5年周期説」を覆すために採った21年の戦略
――アビスパ福岡の強力な一体感は強化部を含めたチーム全体としての取り組みの成果なんですね。先ほど「個性を生かす」という話がありました。長谷部監督は個性を生かしながら一体感をつくりだす、という難しい仕事にチャレンジして成果を出している方ですが、柳田さん自身も、もともとそういう考えの持ち主だったのでしょうか?
「協調性を重視したいという考えはもともと持っていましたが、自分もこの世界に入って勝ったり、負けたり、それこそ大分トリニータで2回昇格に携わらせていただき、また優勝も1度、逆に降格も経験するなど、いろいろな経験を経て、かなり変わりました。昔は初めの印象でその人間を決めつけてしまうところがありましたが、今はなるべく先入観で人の本質を決めてしまわないようにしたいと思い、努力している最中です。そういう考えに変化する中で『個性は尊重するべきだ』と思うようになりました。個性を生かしながら組織としてまとめていくのは簡単な作業ではありませんが、とても意義のあるチャレンジだと思いますし、いまそうして成果を出し続けている長谷部監督の度量の深さを改めて、すごいなと感じています」
――20年にJ2の2位となり『絶対に』果たさなければならない目標だったJ1昇格を達成、21年からはクラブがかかげるロードマップのステップ1である「J1定着」を実現するための戦いとなるわけですが、J1定着実現のスタートとなる21年のチームづくりにおいて重視したことは?
「コロナ禍でもあり20年シーズンの終わりが12月末と遅く、21年シーズンの準備をする期間が極めて短かった。しかも、アビスパ福岡は『5年周期説』がうたわれたように1度もJ1に残留したことがなかったので、ものすごく苦しい強化準備期間となりました。J2とJ1の最も大きな違いはストライカーの質だと感じていましたし、その補強こそがJ1残留の絶対条件と考え、そこは外国籍選手の力に頼る形になりました。J1で実績のあるブルーノ・メンデスやベルギー人のアタッカー、ジョルディ・クルークス、先ほど話に出たジョン・マリも途中で獲得したのはそういう理由からです。もちろん、相手の優れたストライカーを抑えるという意味では守備の補強も欠かせない。そこで奈良竜樹と宮大樹らを獲得。つまり攻守二つのゴール前のパワーアップをコンセプトに補強を進めて何とか乗り切ろうと。結果、戦前の予想を大幅に覆す、J1におけるクラブ最高の8位でフィニッシュ、5年周期説を終わらせることができました」
――J1定着という意味で22年以降の強化も大事でしたね。
「コンセプトは変えることなく、日本人選手のうちJ2からJ1に上がった上でのレベルアップに対応できた選手に加え、個の力で相手をいなす、あるいはボールを奪える選手、またアタッキングサードのところでより質の高いプレーができる、それでいてより関係性を深めることができる選手が必要だと考えました」
――チームとして良い成績を残せば、優秀な選手は他チームに引き抜かれる現実も起きてきます。23年にクラブ初タイトルとなるルヴァンカップ制覇にも貢献したエースの山岸祐也選手は名古屋に、攻守で幅広く活躍した井手口陽介選手は神戸へ移籍しました。
「僕の中では、大分で2008年にナビスコカップを制覇した時の経験が生きています。簡単に言うと、われわれの現在の経営規模で、仮にタイトルを取れた場合は一度『チームを壊すくらいの覚悟』も必要だと考えるようになりました。もちろん、今季の事も考えてチームに残したかったユウヤ(山岸)やヨウスケ(井手口)が最終的にそれぞれの決断でチームを離れましたが、これは必然だと思っていました。もちろん、ファン、サポーターの方々と同じく彼らと同じチームメイトだった僕らもつらい別れになりましたが、想定していたことでもあるし、想定していた中で次の手が何なのかは、実はタイトルを取る前に考えていたことです」
――「チームを壊す覚悟」というのは強烈な言葉ですね。しかし、大分がナビスコカップで優勝した翌年の2009年にJ2に降格した経験から生まれた覚悟でもあるんですね。……
Profile
島田 徹
島田徹(しまだ・とおる)/広告代理店勤務の後、1997年にベースボール・マガジン社に転職。サッカーマガジン編集部、ワールドサッカーマガジン編集部で2006年まで勤務した後、07年より福岡にてフリー活動を開始。サッカーマガジン時代に担当を務めたアビスパ福岡とギラヴァンツ北九州をメインに、ほぼサッカーの仕事だけで生きつなぐ。現在はエルゴラッソの福岡&北九州を担当。