【対談】谷村海那×山口大輝:「選んだ道は正解だった」躍進のいわきFCを支える元JFL組の挑戦
田村雄三監督が率いるいわきが好調だ。今オフに多くの主力を引き抜かれながら、いわきらしい「魂の息吹くフットボール」が浸透し、16節終了時点でJ1昇格も狙える7位につける。そのいわきを根幹から支えるのが、JFLからキャリアをスタートさせた谷村海那と山口大輝という同い年の2人。仲睦まじい2人のこれまでを振り返りつつ、好調いわきの内側を照射してみた。
清水に対してもボールを持ち、攻撃回数を確保
――まず今シーズンのチームについてお伺いしたいと思います。選手がガラッと変わってスタートしました。ここまで、これだけの成績(16節終了時点で7勝5分4敗、勝点26、7位)を残している要因を2人はどう考えていらっしゃいますか?
山口大輝(以下、山口)「半分くらいメンバーが入れ替わりましたけど、(田村)雄三さんがうまくマネジメントして、しっかりとチームを作ってくれていると思います。開幕戦の水戸戦は、あまりよくなかったですけど、そこからどんどん自分たちのサッカーができたので、今の上位にいるというのは必然かなと思う。開幕前から積み上げてきたものが、ちゃんと試合で生きているのではないかとやっていて思います」
谷村海那(以下、谷村)「去年から個で戦うことよりチームとしてまとまってプレーができているからだと思います」
――その中で2人が担う役割も大きいと思います。
山口「自分のポジションはボックストゥボックスのプレーが求められていて運動量だったり、セカンドボール回収だったり、 あとボール受けて周りの架け橋というか、そういう繋ぎ役のところも含めて、今のところうまく体現できているのではないかなと思っています」
谷村「自分は声とか大輝みたいに行動では引っ張れないタイプなので、結果で引っ張ろうとしています」
――いわきの今季のやり方について、いつ頃から自信を持てるようになりましたか?
山口「去年、何もできなかった清水相手にホームで負けましたけど(10節、●2-3)、普通にボールを持って攻撃回数もたくさん作れたことは自分たちの強みになったというか、首位相手にこれだけ自分たちのサッカーができるんだとわかりました。結果がついてくれば、自ずとチームの自信にも繋がると思うんです。海那だけではなく、周りの選手がもっと点決めれるようになったら、もっといいチームになると思っています」
――今年のいわきのサッカーは西川潤選手も含めた3人の連係が肝になっていると思います。練習から良い感覚がありますか?
山口「練習から合わせることはないよね?」
谷村「練習ではやってないですけど、試合になったら自然と出るよね」
山口「紅白戦も長くやらないので、3人の場面を作れたらいいなあくらいの感覚だし、紅白戦ではせめぎ合いが激しい展開になることが多いですね。でも、試合になったら合うんですよね」
今季は初日から10kmを激走した
――いわきのサッカーの基礎になっている走力面について、今年は初日から10km近く走るトレーニングがありましたね。
山口「さすがにあれはビビりましたね(笑)。タイムは全部入りましたけど、こんな走ることはなかったよね?」
谷村「いやー、もうしんどかったです!(笑)」
――プレシーズンにあれだけ走ったのは初めてですか?
山口「そうだよね?」
谷村「うん」
山口「いつも1月に3日間くらい自主練期間があるんですよ。そこから徐々に上げていく感じでしたね。初日から10kmとかやったことなかったですね。多分、新加入選手はみんな震え上がったと思いますよ。おい大丈夫か?って」
――秋本真吾スプリントコーチがメニューを作成して実行したと聞きました。
山口「毎日ビビッていましたね。明日は何走りだろう?って、情報を早く得るために必死でした。前日に次の走りを考えながら寝ていました。秋本さんから『昨日よりキツイよ』と言われるから『マジかよ!』という感覚にみんながなってましたね。でも、試合で走るためには必要なことなので全てつながっていると思います」
――高校や大学時代にくらべたらどうですか?
山口「高校(西武台)はめちゃくちゃ走りましたね」
谷村「僕の高校(花巻東高)は全然走らなかったですね。大学(国士舘大)ではかなりやりました」
山口「僕が所属した流通経済大はたつのこ(龍ケ岡公園)の階段ダッシュがきつかったくらいですね」
谷村「国士舘大はめちゃくちゃ走りますね。週1は絶対あるし、長期オフのあととかに絶対に走るメニューがあるんです」
山口「3部練走りじゃないの?」
谷村「僕のときは2部練習がメインだったけど、ひたすら走るんだよね」
最初からJ2に加入していたら…
――キャリアについてお伺いします。大学からプロへのオファーはありましたか?
山口「Jのチームから話もあったのですが、その練習に参加する前に、いわきに加入することを決めていたので、練習参加はどこも行ってないですね。自分が4年の時のリーグ戦で7連敗くらいしていて、もう進路とか言っている場合ではないなという気持ちが強くて、当時の大学の監督にも『いわきで良いんじゃない?』というアドバイスは頂いてました。いわきは環境が整っているクラブだったし、フィジカル弱いよね? という話もスタッフから指摘されていたので。当時いわきはJFLに上がるかどうかの状況だったので昇格して欲しいと願っていました。自分の成長も考えたときに、いわきでサッカーがしたいという気持ちだったので即答しましたね」
谷村「自分は国士舘大の大澤(英雄)先生から『いわきに練習参加に行って来い』と言われて、そこで評価していただいて決めました。僕は行くところが正直なかったんです」
――谷村選手の兄(谷村憲一)はいわてグルージャ盛岡で現役でしたね。
谷村「特別意識したことはなかったですが、いずれ同じ舞台に立ちたいという思いはありました」
――二人は大学時代に対戦経験ありましたか?
谷村「カテゴリーが違ったので一回もないですね」
山口「流経大が関東1部で国士舘大は関東2部だったので」
――当時はどんなサッカーキャリアを描いていましたか?
山口「流経大に行った時点で、まずプロになりたいという思いはありましたね。どこのチームに行きたいというより、J2以上には行きたい気持ちで努力して、結果、今はJ2にいるので選んだ道は正解だったと思います」
谷村「自分は大学卒業の時にはJ2以上は行きたいと思っていましたが無理でした。だからあとあと行けたら良いなと。もし大学卒業時に他のJ2クラブに加入していたら自分は潰れてたかなと思っていて、いわきで正解だと思いました。いわきじゃなければ自分と向き合えていなかったと思いますね」
――最初はどんな感じでしたか?
山口「よく遅刻していたよね?」
谷村「そうそう」
山口「最初の食事も酷かったですよ」
谷村「豚カツ食べてましたね」
山口「でも最初は何も言われなかったよね?」
谷村「最初はね」
――コロナ禍による影響はありましたか?
山口「試合がないこととか、3日練習やって2日オフみたいなサイクルがずっと続いていて、 移動するときも車に同乗禁止とか、ご飯に行くときも2人までとか。色々ストレスはありましたね」
谷村「自分は車がなかったので、いわきFCパークまでチャリで行くのがきつかったです」
――在籍2年目でJFLからJ3に昇格しました。1年目で昇格できずに悔しい思いをしたことも要因としてありましたか?……
Profile
柿崎 優成
1996年11月29日生まれ。サッカーの出会いは2005年ドイツW杯最終予選ホーム北朝鮮戦。試合終了間際に得点した大黒将志に目を奪われて当時大阪在住だったことからガンバ大阪のサポーターになる。2022年からサッカー専門新聞エル・ゴラッソいわきFCの番記者になって未来の名プレーヤーの成長を見届けている。