スペインで開催されたブラジル代表戦を前に、なくならない人種差別について涙ながらに訴え、世界中で反響を呼んだビニシウス・ジュニオールの会見。この日その場で本人と直接対話をした記者の一人が、長年セレソンに帯同し、密着取材を続ける日本人ジャーナリスト、藤原清美さんである。10代の頃から知るまだ23歳の“Vini”が「人としてまったく苦しむ必要のないはずのこと」に苦しみ、戦う現状、そして泣きながらも立ち上がり、自分の役割を力強く表明した彼の姿に、藤原さんは何を思うのか。
あの日から9カ月、何かが変わったのだろうか
3月26日、サンティアゴ・ベルナベウで開催された親善試合スペイン対ブラジル戦には、既視感があった。
この試合は昨年6月に開催が決まったものだ。その1カ月前、ビニシウス・ジュニオールの所属するレアル・マドリーがバレンシアと対戦した際、相手チームのサポーターから彼に対する人種差別的な侮辱行為が執拗に行われ、試合が約10分間にわたって中断されるという事件があった。そこで、スペイン国内で繰り返される人種差別に反対の意を示すために、CBF(ブラジルサッカー連盟)とRFEF(スペインサッカー連盟)が手を組んだのだった。
既視感は、その事件のすぐ後、昨年6月17日の親善試合ブラジル対ギニア戦の記憶による。RCDEスタジアム(バルセロナ)で行われた試合には「あんな人種差別行為があった直後なのに、スペイン国内で親善試合をするのか」という議論があった。その時、CBF会長は「人種差別主義者たちの牙城に立ち向かうことが、メッセージを力強く伝えるための最善の方法なんだ。我われは彼らに『ノー』と言わなければならない。『ノー』と繰り返さなければならないんだ」と語り、試合を敢行したのだった。
その際、CBFは『Com racismo não tem jogo(人種差別を許す試合なんて、ない)』というスローガンを掲げ、チームは試合前半、ブラジルカラーの黄色でも青色でもない、黒いユニフォームでプレーした。
今回は『uma só pele; uma só identidade(肌はただ一つ、アイデンティティはただ一つ)』というスローガンが打ち出された。普段は鮮やかな黄色のチームバスが黒地に変わり、このスローガンがペイントされた。選手入場と国歌斉唱の際にチームが身につけたジャージは、やはり黒色だった。
この反人種差別キャンペーンの旗印の役割を担ったビニシウスは、この試合でキャプテンも務めた。4-1で勝利したギニア戦では、その4点目を決めるという象徴的な場面があったが、今回は3-3で引き分けたスペインとの強豪同士の対決で、ゴールを決めることはできなかった。それでも、後半70分に交代でピッチを去る時には、スタジアム中の拍手に見送られた。
あのギニア戦でのキャンペーンから、何かが変わったのだろうか。ビニシウスに関して、その後も数々の人種差別行為が報道されている。
今回、この既視感のあったスペイン戦で、私が最も大きな違いを感じたのは、ビニシウス自身に対してだった。試合前日の記者会見のことだ。彼が込み上げる感情を抑え切れずに泣いたことで、さらに大きな注目を集めることになったが、私が感じたのは、彼の強さだった。……
Profile
藤原 清美
2001年、リオデジャネイロに拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特にサッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のTV・執筆等で成果を発表している。W杯6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTube『Planeta Kiyomi』も運営中。