監督や選手から悲鳴が上がっている。が、誰も過密日程を緩和しようとはしない。身入りが少なくなるからだ。売り上げが下がるからFIFA もUEFA もリーガもクラブも動けない。給料が下がるから当の選手たちも先頭に立って抗議することをしない。責任の押し付け合いの中、ケガの可能性だけが確実に増えていく。解決策はまったく見えない。
※『フットボリスタ第100号』より掲載。
将来、サッカーは「質」よりも「量」の時代になるだろう。理詰めて考えるとそういう結論しか見えない。
論証は簡単だ。試合数が多くなるほど儲かる→これは間違いない。試合が多くなるほど疲労が溜まり、ケガが多くなる→これも間違いない。また、日程が詰まれば準備期間が減りプレーの質が下がる→これも間違いはない。だが、儲けを犠牲にして試合を減らす者はいない→これも間違いない。となれば当然、サッカー界は質の低下に目をつむって量を増やし続けることを選ぶ、という結論になる。
いずれ、質の低下も量の増加も止まる。これも間違いない。1年は365日で、人間には体力という物理的な限界があるのだから。だが、それは「止まる」だけで、そこから量よりも質の時代に転換することを意味しない。
個人的には、質の低下はすでに始まっていると思う。インターナショナルマッチウィーク後に、特に代表選手が少ない中小クラブのパフォーマンスは目覚ましく良くなるし、逆に連戦続きだと明らかに走れなくなる。
要因の1つは戦術面。プロの練習時間は1日せいぜい90分間で、短時間化がトレンドになっている。密度を上げて休養を長くする方が効果が上がる、ということを体験的に知っている指導者が増えている(メソッドも高度化しているが、選手の疲労蓄積を考慮してのことだ)。週2試合ペースで少なくとも1日半の休養を選手に確保し、試合の直後の練習は回復に充てざるを得ないことを考えると、新しいことを学ぶ時間はない。プレシーズンにまとめて身に付けたことを反復によって維持するのがせいぜいだろう。欠点が明らかなのに修正できないチームがあるのは、監督の能力もあるが時間のなさもある。
2つ目は個人のパフォーマンスの低下。疲れると判断を間違うし技術もブレる。例えば、久保建英のドリブルの切れ味は明らかに落ちている。本人も自覚しているからバックパスを選択することも多くなっている。疲れたらそうなる。人間だから当然だ。
増収は見えても質の低下は見えない
とはいえ、質の低下は見えにくい。数値化できないからである。質が半分になったことを示すのは、売上高が2倍になったことを示すことよりもはるかに難しい。よって質と量のせめぎ合いになった時、説得力を欠く質の議論は明解な量の議論に押し切られる運命にある。
ゆえに、限界まで試合を増やし限界まで質を低下させて止まった後に「量よりも質」という逆転現象は起きないのだ。FIFAもUEFAも“増量”には熱心だ。両者の“努力”によって、24‒25からCL参加チームは32から36になり、優勝に必要な試合数は13から15~17に増加。25年夏からFCWCの参加チームは7から32になり、優勝に必要な試合数は2から7に増加。26年夏のW杯から参加チームは32から48になり、優勝に必要な試合数は7から8に増加。W杯については、拘束日数がカタールの29日間(開会式から閉会式までの日数)から39日間に増える。“増量”ならクラブも負けてはいない。
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Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。